逸れていないか 安全保障

 

  アラスカで地震、イラクやシリアで武力紛争、ブラジルでサッカー、飢餓難民は溢れ、今日も温暖化は進み絶滅種は増える。

 そんな地上のこの国は 人々の周辺から小さな生物が姿を消し、連日70人からが自ら命を絶ち  子孫に残さざるを得ない借金の山。

    

    そんな地上のこんな国に居ながら 安全保障の名で お隣りの軍備が脅威だと言っては 軍備を強める。

    軍備を強めていたら 本当にどんな場合も 子どもや孫に 安全・安心が 保障されるだろうか。

むしろ「安全保障」の名で、現実的には(戦争が出来る・出来ない以前の)日常的な安全がさらに損なわれるように思えてならない。

    

    

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最優的に人は信頼に値する存在

 

       (昨日この件で疑問を記した)22日早速、イランの最高指導者とされるハメネイ氏は 「米国は 宗派抗争として描こうとしているが、実態は違う。 米国は再び傀儡による覇権確立を画策している。」とい国営放送で批判したと言う。(24日東京新聞 朝刊9面)

   氏の全てを肯定する気はないが、前半の宗派抗争を否定した部分については経過や関係国の様子を想像ると納得できる。

     国際問題など 遠く離れていて現場の現状を知り得ない世界の大半の市民は 政府や情報機関以外から情報は 得られない。

        報道を信じる他ないのだから、上記のようなことが事実だとすると 市民は(国の内外を問わず)まともな社会的判断や行動は出来ない。 

          「民主主義」と言いながら こんな事が罷り通ってる現代社会(少なくても 私にはそう見える)をどう建て直したらいいのだろう? 

          普通に考えると 支配者やその道具が立ち行かなくなるまで無理なのかもしれないが、人はそんなに単純な生き物ではないと(私の)思いは変わらない。

      

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