軌道を外していなか 進歩や発展







ずーっと  文化や歴史は 発展していると 思っていた。仕事もそれを当然の前提としてやってきた。

    最近、そのことを改めて考えている。
     

 時代が真に進歩しているとしたら 人々の未来への希望は膨らむはずだが 実際はどうだろう?
   

私たちは 何をもって発展や進歩の基準としてきたか。

     (耕す)が文化の語源だとすれば 大地との関係が問われる。

     人間活動によって大地の自然を損なっているとすれば その文化を≪進歩・発展≫と呼ぶにはふさわしくないだけでなく(自然と人)の


   主客の関係を見直さざるを得ない。
 
     
世界は全体が 文化や歴史の発展の軌道から外れ、「この道しかない。」と旧来に拘るなら、脱線に気が付かず走っていることになる。 
      
      (「超」をいくら付けても付けきれない大袈裟な言い方だが)今、人類は歴史的な岐路に立っている。
    

   ローマ法王の提唱するような本来の自然を含めた(地球時代)に期待しているのだが 具体的な歩みがあまり見えない。
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