身体感覚の希薄化



自分の身体感覚の弱さから 今もそれへの関心が 余計強いのだとは思うが、政治をはじめマスコミや庶民の会話にも 身体感覚の薄い言葉が溢れているように感じてならない。

  

   (自分を戒めることが1番だとは思うが)退廃的な文化の特徴かもしれない。
   
 
社会全体が 言葉だけでなく生理的にも その感覚を失してきているとすれば、全く違う次元の問題になる。


  事実認識とも関係し、全体的にその感がないではない。

   


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今は 大人に求めたい



1960年代 日本は 奇跡的とも言われる高度経済成長をした。

1970代以降 貿易と為替の自由化の流れの中で、日本は今日の世界1の借金の山を築いてしまった。


確かにTPPが求める完全な貿易の自由化は(将来)必要だとは思うがろうが 、強者の論理で動く経済体制にあって 将来に至る間 どうなるかは これまでの経過を見れば 実証済み とも言える。

  

世界平和のために 「いざ鎌倉!」で 地球の裏側まで駆けつけ警護をするのも良いが 現に何十万の難民のところへは 飛んで行かない世界平和って それは何?
 

それどころか 足元で およそ1時間に3人の自殺者と不慮の死者と孤独死老人 合わせると1時間に

 8~9人 1日に200人近くの 避難すら出来ない人たちを抱えている。

 
現実から目を逸らして 世界の平和も繁栄も (私には)考えられないのだが…。

   かつての(あったことをありのまま 書く)を 今は 大人に求めたい。

  
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