こんな道もある





人間が 大自然の地上に世界があることを忘れ、国々がそれぞれ 競い争そってお金儲けに走ったら 世界の行く末はどうなるだろう? 
  
  地球を壊し 争いは絶えることなく 子供までが競争にかり出され煽られる今日の現状が その答えに近くないだろうか。

   誰もが知っている当たり前の≪世界≫と≪自然≫を忘れることなく  自らが作っているこの2つのハードルを越えることなく 平和も繁栄も無いのは自明だろう。
   

 地球規模の動きや変化によって それを乗り越えるんだろう。

  リーダーに その自覚が芽生えると良いのだが…

。 

   
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しょうがない 無いものねだり




   (世界)はあっても(世界を単位に考える指導者)は思い浮かばない。

    年頭教書のオバマさんや施政方針演説の安部さんからは(国家)に対するの意識は感じても (世界)や成立基盤の(自然)に対する自覚的な意識は感じない。 ここにいるヒトも 無いものねだりしてもしょうがない(おとなの立場)にいる。

   ここにいる人も 子供たちにワクワクするような話が出来れば良いのに!  出来ないな…

    



     
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おとなは 何を残す?






   子供たちには ながねん(あったことをありのまま書く)ように 日記の書き方を指導してきたが 教え子と同年齢の総理大臣の施政方針演説の原稿は 全く逆のようだった。

   美辞麗句を並べたてた 文字通りの(作文)。

    作文は作文で それなりの意味があることに気付かされた。現実と絵空事の乖離が 見事に社会の現状を見せてくれた。

   例えば 

①アベノミクスでそんなに景気が良くなっているのなら  増税したり社会保障を削る必要は無く 借金も返せるだろう?

   
   ②「日本を中心にした世界」と「世界を俯瞰する」は それぞれの意味と魅力を持った言葉だが 両者の論理的な違いや矛盾は

    一切お構いなしに並べ立てている。  


これでは 文を書く意味がないから 評価は 宿題を提出しただけの(3重丸) と言うことになる。

    子供たちと(五重丸)を目指してきたのに…これが「美しい」とは サッパリだ。 山中 恒さんを見た後だけに ギャップ

が特に大きかったかもしれない。   


 現状とは似ても似つかない良い事ずくめの作文に問われているのは 作文の出来では無く 読み手・聞き手(国民)の現状と照合 する読解力だろう。


「私たち大人が こんな困った社会を子供たちに残している。」と思っているのは 山中 恒さんだけではない。

    
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初めて会う友






    昨日、山中 恒さん(児童読み物の作家)の個展を見てきた。

     授業の合間に(サムライの子)なんかを読んであげた… あの人に出会ったような感動。

    出口のところにあった 今年 1月16日に毛筆でしたためた一文は (自分は 子供たちに残してきたものは これでよかったのだろうか?)

    の疑問符をこめたものだった。 

     あれだけ純粋に子供を見つめ関わってきた人 86歳  その人が今も 自分への問いかけを続けている。

    来月にはフォーラムがあると言う 是非是非 直接お顔を拝顔し声が聴きたい!  


(ストーカーか 追っかけの気が この体の中にあったのか? 彼とは次元が違うようだが…)
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