世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
当てにできないニュース
内外の情報は次第に細切れ化していないだろうか。
お肉と同様 細かくすればするほど 肉の正体が分かりにくくなり 同時に有効期間が短くなっているのではないか。
例えば Jアラートやアベノミクスの好景気の賞味期限は 大丈夫だろうか と思う。
いじめや虐待の対策を講じたと言っても 効き目は不明で 不登校などは増えている。
情報としての価値は細切れになるほどなくなるのではないだろうか。最近は当てにできないものが多い。
「当時の人」の考えも陳列?
テレビに出てくる人たちを見ていると 巧言令色は似合っていても 自然の空気を感じさせる人は少ない、
特に政治家や学者 芸能人 局のアナウンサーも。
都会的かもしれないが 今 最も必要な情報は 「自然」ではないか。善し悪しが 逆さまになっている感じがする。
国境の壁も 100年後には 博物館入りで その頃の人(私たち)の考えも陳列されるのではないか。
個人の確かめの大切さ
私たちは 自然から学べば良いのだが 緩むと 自然から学びを強制されることになるだろう。
世界経済の縮小や多くの人災 とりわけ原発災害はその例であり 子育てや教育も同様でゃないか。
そのため 確かめの作業が大切だが 公が不正統計をしていているようでは 社会的に確かめるのは難しく 個人にゆだねられている。結局 自然からの学びと確かめの主体は 生活している個人になる。
この穏やかな日差しと風がやさしく教えてくれる。
自らに問う
梅が咲き桜の蕾が膨らんできたが 世の中の問題は 煎じ詰めると 自然はどうなっていて 自然とどう付き合うと良いのか?にかかってる。
政治も経済も教育も社会の出来事の全ては 自然に依拠している。
人の幸せは 子孫の幸せにかかっている。自然の理でもある。
今 世界の子供たちはどうなっているだろう? これから どうなっていくんだろう?
大人は 真面目に考えているだろうか? 大人は自然を経験し自然から学んでいるだろうか 自らに問いたい。
外はポカポカ天気。