世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
想定外が当然
この世は人間を中心に動いているように見え、そのように動いているけどるけど 実際は自然を中心に動いている、これが私の考えである。
前者と後者は正反対だから 物事が思うように行かないのは当然な事。
台風の規模 復旧の難しさ 縮小する世界経済 争い だけではない。
野次ってる場合か?
(人と自然)と(自然と人)の理念や価値観の壁は ベルリンの壁どころじゃない。
人が自然へ無限に手を伸ばし近づいても自然に立つことは出来ない。
全体と部分の関係でもあり 位置関係は 全体から部分を察する他ない。
政治や経済 教育も同じであり 先ずは 世界の全容の把握の位置に立つべきだろう。
全体の把握は無理でも その意識は必要だろうから 国会で野次ってる場合ではない。
生体へのストレスがもたらすもの
昨日 公園へ行って幼児の動きを見て来た。
立ったり しゃがんだり 飛んだり走ったり 這いつくばったりぶら下がったり じっとしていない。
色んな形の動の動きは 体の隅々までを意識させる。
何をしてるか分かり難いのは 目的を持った行動前の 手探りの動きだろう。
対称的に 傍で見ている親御さんの動きは 動きは少なく遠目にも何をしているかがすぐ分かる。
大人は この子供の性質とも思える動きをどう捉えているだろう?
学校の仕組みはこの子供の性質を勘案しているだろうか。
児童心理や教育心理にも登場しないこの性質を抜きに子供の心身へのストレス(負荷)の軽重は測れない。
負荷にかけ具合を抜きにして 公教育が行われていないだろうか。
生体である子どもへの負荷のかけ過ぎがもたらすものの研究が 喫緊に必要か。
定数の無い方程式
毎度の日曜討論を2つ見ていた。
全体を通して 定数の無い方程式を解くような 空理空論を感じた。
政治 経済 教育 文化 何れの分野も定数を数値では表せないが 社会の出来事は恣意によってのみ動くものではない。 この世には 恣意に依らず定かなものあることを忘れてる。