どうしても思い浮かぶのは

日本の学校教育を見ていると 「国家犯罪」の言葉が思い浮かぶ。 

  多くの子どもたちを阻害し傷つけ 子どもが悲鳴を上げると 騒ぎをとがめる。

  こんなことは無いとは思うが 押さえても押さえても思い浮かぶのはどうしたことか?‥

 

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道は遠いが

 

  公教育が いじめや 不登校 発達障害 に関与していないと検証できないと同等に 関与していることも検証できないでいる、これが現状の教育に対する社会的評価だろう。

  問題は検証出来ないのか していないのかである。長く教育に関わってきたが 検証する話を聞いたことが無い。   国家的に実施している教育が科学として扱われていないで来ている。

  学校教育の周辺で起きている出来事が 人文科学の対象から外されている。

 関与していることを 経験的には十分認識しているが、一般化が難しい。

  事態がさらに悪化するか教育学の発展を期すか 相当時間がかかりそう。

  

 

   

 

  

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惰眠

 

  街角で「憲法が希望」のポスターを見た。

   本当にそうだろうか?

   勿論 憲法を変えて云々も アメリカファーストも 一帯一路も 脱原発も 核兵器廃絶も究極的に目指す希望ではない。 

   グレタさんが言うように 希望は 唯一自然であり 科学であり 共生への道を探ることではないのか。

   的を外すは 彼我の読み違い。  今日を招いたマッチポンプを繰り返すことになる。

   人類は 惰眠からなかなか醒めない。 大人は グレタさんに恥ずかしくないか?

    

   

 

   

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世界が通して見え出した

 

  世界の田舎の感が強かった南米やアフリカが このところ舞台に登場することが増え、世界全体がプレーヤーとして一望できるようになってきた。

  マスコミ報道の変化か 実際動きの変化かは分からないが 世界全体が見えやすなってきたのは 良い事だ。

 多く人々が気づき易い状況が生まれてる。 全体が見えなくてはこれまでのように意味も価値も分からない。

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