世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
もっとスッキリ
物心がつく前はそうではなかったと思うが、
傲慢さが染みつき無知の知を解せない自分をはっきり目にする。
余生長くはないだろうが 出来ればもう少し綺麗にスッキリして往きたいものだ。
時代が求める「無知の知」
「無知の知」の根は「知」に限界が無いからだろう。
知に対する謙虚さ無しに知を求めることは出来ない。
権威主義が幅を利かす時代であるが故 「無知の知」が特別な意味を持つ。
練習あるのみ
人は(自然の理)を無視して行動することは出来るが、(自然の理)を離れて存在することは出来ない。
だから自然を探索し「自然の理」に気付く他ない。
これは 全ての人間活動に言えることだが、それに気付くのが大変だ。練習あるのみ!
(「汝自身を知れ」の(無知の知)を対話法で説く ソクラテスを思い出す。)
(自然の理)からは 逃れられないのだから
地上は幾多の不思議な光景を見せながら 自然を基盤にした解決を図る。
そして 人々は「平和と豊かさ」を獲得し幸せになるんだろう。
人は(自然の理)から隔たったことを考えられても、(自然の理)からは逃れられないのだから。
不思議な光景
地上は疫病が蔓延し 毎日1万からの死者を出し、人々は嘆き悲しみ葬っている。
片や 人々はマスクを着けて70日後に迫った祭りの準備をしている。
「平和の祭典」だと言う。 見た事の無い不思議な光景である。
やはり壁は人の自己中心性
人や社会が自然とどう対峙するかが問われているのだが、世界を概括して その本来の関係を認識するのは難しい。
しかし 今は世界的規模での事物の移動によって 認識し易くなってはいる。
パンデミック 温暖化 生物の多様性の毀損 経済の何れも 自然との壁にぶつかっているのだから。
自然への対峙の仕方
争いも色々あって 見栄や尊厳を傷つけられて争うこともあれば 利益を争うこともあるし 生存を脅かされて争うこともある。
一体 世界で見る武力紛争は 何で争っているんだろう?
個人や社会が対峙した争いの結果は勝敗だが、 自然と人の対峙は勝敗ではなく 存在の可否である。
人や社会にとって対峙する相手によって物事の意味や価値は異なる。
正に現代は人や社会が 自然とどう対峙するかが問われているのだが‥‥