オリンピックの肝

命を犠牲にしたスポーツや平和は無い。

パンデミック下、犠牲を承知で 如何に少なくするかでオリンピックの実施計画が立てられている。

どれだけ犠牲をすくなくしたところで すでに祭典の意味は失われていないだろうか。

自然の原理を無視し オリンピックの意義に反した祭典の意味は何だろう?
開会まで70日を切っているのに明らかにされていない。
 魂の抜け殻でお祭りになるんだろうか。

 

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自然の原理が教育されていたら

もし 人が自然と社会の原理的な関係を教育されていたら 世界は今日のような多くの難問を抱えなくてよかったのではないだろうか。

コロナ 温暖化 原発 経済の破綻 戦争 何れも地球の存在を第1義的に考えて行動していたら

 今のようにはならなかったと思う。今からでも現状から学び再教育すべきだろう。

 

 

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もし 教育されていたら

またもイスラエルとパレスチナの悲劇が起きた。

もし、両者が自然と人間の原理を教育されていたら こんなことが起きたろうか?

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原理はしっかり教育すべき

 自然が大事であることを教えない国は無いと思うが、自然無しには人類もス社会も存在出来ない事を教えている国は 世界の何処かにあるんだろうか?
教育の分野だけでなく(私は)この自然も原理を何所からも耳にしたことが無い。

自然から離れた現代人に警鐘を鳴らしたり、壊れゆく人工的な社会に危機感を訴える人はいる。  自然と人類社会のこの原理をしっかり教え 子孫に伝えるのは教育の仕事ではないか。

 

 

 

 

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至上の喜び

人は誰でも世界の現状から将来を予測して生きているだろう。
自分も勝手に考えている。
時代の価値感は 5~60年かけて これまでの人間本位から自然本位へと変わるのではないか。
 前半はトンネルに入るが如く暗さは増し、後半になって先行きに明るさを見いだす そんな過程を辿るだろう。

今はこの筋書きに出来事を挿入して考えている。

コロナ 温暖化 生物の多様性 政治 経済 争い 教育 ‥‥ から 自然や社 会の身近な全ての出来事にいたるまで。

何年付き合えるかは分からいが やっていて面白いのは

目を凝らせば前半の今であっても明るさを見いだせることである。

そこを追いかけて過ごすのは至上の喜びであり、先へもうまく繋がる。

 

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