戦争とはそれ自体が文化

  同じテーブルに黙って並べてみると‥
 ① 日本通の歴史学者 ジョン・ダワー氏(米)の「戦争とはそれ自体が文化」の言葉に目からウロコのような共感を覚えた。今は、立場に関わらず安全保障や戦争を特別扱いしていないか。
 
 ②生き物は1に安全2にエサ(食糧確保)だが、ヒトは1と2が薄れ、12が入れ替わっていないか。
 
③他を批判し、己を正当化するのは政界だけではない。マスコミに登場する殆どがそうで、他人事でもない。全ての人間は全ての問題から【全く】無責任で一方的に他を非難できる立場にはない、と思った。最低限のマナーかもも知れない。

 
 
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 民主主義は、ふた?

 
  行き詰まているニンゲンが、新しい理念や政策を生み出せないのは、社会の仕組みがあるからだろうと、考えてきた。
 もう少し考えてみた。
 多数決は民意を問う選挙によってデモクラシー(民主主義)の根幹の仕組みになっている。
 
  60数億のニンゲンがいても、新しい理念や対応は個人や少数からしか生まれない。
  そうすると、現在の民主主義の体制が新しい理念や政策を生み出すのに蓋をしていない
   とも言い切れない。
   現在の民主主義はそういう物を内包しているかもしれない。
  もう一つ、(民主 )とは言うものの、所詮人間中心であり、全体とは矛盾している可能性はある。(同じような論理で護憲・改憲とは全く違う立場で憲法も考えてみる必要があるかもしれない。)

 こんな中途半端な原理や理念から生まれたかどうかは分らないが、周りには民主的でないものが、多すぎるように見える。
   例えば、宝と言われてる子供の民主主義は、どうなっている?
   学校で目いっぱいやって、宿題を背負い下校して、そして塾。
   大人の8時間労働どころか、下手するとお父さんの残業以上。家族と一緒に食事も出来ず、一人、隅っこでゲームに逃げる。
大人が《民主主義》にしがみついても、『子供哀史』が何時までも続くはずはない。
 
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普通でいい

ヒトはよく競争して勝ち負けを決める。
 ヒトの普通の暮らしだろうと思われる暮らしが出来なかったり、反対に何倍もの暮らしぶりにヒトもいる。
 競争だから、一方は普通の暮らしが奪われ、一方は普通の暮らしを奪っているのかもしれない。
 みんな普通でいいのに‥ ヒト以外は普通に見えるけど‥ ヒトも普通 に は 還る。
     
  
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気になっている

 【命のある間は正気でいなければ】は大江健三郎氏が定義集で故井上ひさし氏へ送った1文の見出しである。
 その中に、井上ひさし氏作『少年口伝隊一九四五』の中の被爆に心も崩れそうな少年と、励ます老人、その二人ともかれ自身です。と取り上げさらに「いのちのあるあいだは、正気でいな いけん。おまえたちにゃーことあるごとに狂った号令を出すやつらと正面から向き合うという勤めが
まだのこっとるんじゃけえ」と原文を紹介している。
 大江氏も井上氏も(正気と狂気)を相当気になっている(なっていた)なとほっとした。
 狂った号令や情報を多く感じるもんだから‥
  
            
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見事な見出し

5月17日 朝日新聞(日本)の1面トップの大見出し
 《内閣支持続落21パーセント 
    普天間『約束違反』61パーセント  本社世論調査
 
   ならば、世論や情報提供で道案内役の本社はどうしてほしい、どうしたら良いと一つでも提案してきたのか?未だ見たことも聞いたこともない。
    身近な人との会話だってこんな事は通らない。
   行き詰まった世界や日本の無責任さを端的で見事に表してくれた見出し。
      マスコミの支持率も発表したら?じゃないと、お天道様に悪いよ!


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背景の変化や違いを見る

 昨日行った喫茶店の壁に、長い短冊に日本調に描かれた藤の絵が飾ってあった。
  4分の3は空白の背景である。空白が藤の色鮮やかさと控えめの程を際立たせているようだった。  背景が藤を物語っている。
  考えてみると全てがそうかもしれない。背景の変化や違いを見ないで正面のもののもつ意味は見えないかもしれない。
 そうすると、物事は背景の変化や違いをどれだけ見るかで決まる。
 貪欲さで目先に走り、背景を見ないクセがこびり付いているかも知れない。
 少なくても背景を探る空気が世の中全体に薄くなっているような気がする。
 
   
 
  
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現実と離れるだけ

 
  

内向きで仲間の利益を優先する世界(日本も)は地球の現実から離れていく一方に見える。
細分化された縦割りの権力で繋がる社会にあっては、外からよっぽど大きな力が働かない限り限りそこから抜け出す事が出来ないのではないだろうか?
 マスコミもまた、内向きな仲間(業界)の利益を優先した情報を発信し、自他をも縛る。
 個々のちぐはぐな合理性と責任を繋げて全体的な不合理と無責任を生むようなものである。
目先の個々を変えても必要な新しい理念も政策も生まれない。
  全てのものは全体の中で意味を持ち生まれる。
 経済も政治も教育もそうではないか?
  
 
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目指すは1枚の絵

お寺の鐘が  ゴー ー ~~~~~~~ ~  ~ ‥ ‥○ ○ 。 。 。  ン
  お寺の鐘が シャボンになった
    そのシャボンに スズメが チュン チチチ
  
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「坂本竜馬」を見ながら

 「坂本竜馬」を見ていると、現代と重なってくる。
 国の統治が弱まり、強力な黒船が開国を迫る中でおらが国を越えて新しい日本を打ちたてようと東へ西へ。

  当時の日本は今の世界、300数余のおらが国
  未だ世界は統一されないおらが国は、武士ならぬ軍隊を抱える
  
  ‥となると、開国を迫る黒船はどこ?
  ちょっとしたら、天罰を振りかざす大自然か?
  
ならば、安全は軍隊で間に合うか?
    
 無理、無理
    
刀やや普天間では間に合わない
        しっかり国の安全を保障せよ!

     偽名の竜馬は別だけど、テレビの竜馬ならどうする?
    
       世界の竜馬よ 出ておいで!
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変(へん)

1昨年を1文字で(変)と表した。
 (チェンジ)と解釈したようでもあったが、(へんだ)の印象をうけた。
 気象が異常で、生物の多様性が損なわれているのだから。全体的に異常な状態にある、と言う事か?
自然の因果や循環の中でヒトの意識や感情そして行動が、異常であったり変(へん)になるのは自然の成り行きかもしれない。
 庭の珍しい色のバラは何時もより多く咲いた。スズメは以前ほど逃げないからなお可愛い。
 しかし、目の前の風景は、少しも変(へん)ではなく美しい。
  だから、ヒトは、成り行きに任せ踵を返せないのかもしれない。
でもよく見るとやっぱり変(へん)になっているようで、気にもなる。
  
 
 
 
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