為替介入

 
  外需中心の日本は 円高を阻止するために敢えて単独で為替介入に踏み切った。
   産業界・メディア・与野党こぞって異を唱えるところは無い。効果のほどを危惧する声はあっても、せついてきた来たこともあってか 全体的には歓迎しているようだ。
 ところで、為替介入は全く異を唱える必要の無いものか?
  どんな政策や対策も完全無欠なものはない。
 前回の為替介入で政府は35兆円つぎ込み、現在10兆円の含み損があると言う。
 為替市場の拡大や単独介入の今回は、それを大きく上回り、これまで同様の展開だとどれだけ財政を悪化させることか。
 市場から足元を見られ、外国メディアから批判され、大きな借金を抱えることになりかねない。
 為替介入は世界の投機筋との駆け引きを伴った戦いだから、勝つこともあれば負けることもある。 それだけ大きなリスクのあることに国を挙げて足を踏み込んだ訳で、少なくてもその情報を全国民に分かるように伝えるのは政府やメディアの最低限の責任ではないか?
 管対小沢の陰で、そんなことをまかり通している。
 
 為替の問題は国内事情よりまさにグローバルな土俵で論じられなければ意味が無い。
 為替市場で円高は相対的に円の価値が上昇したもので、世界経済が行き詰まっている今、
 円高は世界経済の急激な落ち込みを意味し、相対的に過去の財を溜め込んでいる日本の懐に手を突っ込まれ掃き出しを求められてると言えないか。もしそうだとすると、やすやすその手に乗ったことになるかもしれない。
 専門家でもない私の仮の仮の話だが、少なくてもそんな国民の疑問に政府やメディアは、事後事前は ともかく、きちんんと説明すべきではないのか。 
 財政赤字が子孫に付けを残すと消費税云々言う人たちなら当然のことではないか。
 政治とカネの【説明責任】でいえば、小沢氏どころの話ではない。
 
 
 
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異常な環境下では 当然の変化

 
この間、遠くに住んでいる娘が家で飼っている猫(ナゴヤ)を連れて遊びに来た。
 ナゴヤは彼女たちが荷物を置いた今の隣の座敷のカーテンの裏に隠れ、長い時間出てこない。抱っこして畳のところにおいても直ぐまた隠れる。丸い1日は全くえさも食べず、げろを吐き、トイレもしない。
 時間がたつにつれ様子を伺うように出てきて、いつものペースに戻り、1週間後には
 居間から台所、高い窓の台のところに飛び乗ったり飛び降りたりするようになった。
 帰る時、車に乗せるので籠に入れようとしたら嫌がってバタバタした。
 ナゴヤにとって異常な環境の中で当然の異常な行動をしただけである。
 不登校や発達障害と言われる、スタンダードからすると特異な行動はナゴヤの行動と相通ずるところがあるのではないか。

 異常な環境の中で異常な行動をするのは生物として当たり前の変化である。
 学校へ行けなくなったり、集中力を欠きトラブルを起こすのは 子供だけでなく向かい入れる教師にも多いと言う。学校と言う教育空間が異常だと考えると理解しやすい。
 人は可塑性があるから環境を整えれば本来に戻る。

 補足 庭に来るすずめも似たところがある。
 
 
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激動

 
      気候が変わり、生態系が変わり、お金の流れが変わる

これまでに無い速さで変わる

核隠しが許され お金をいっぱい印刷して金儲けに走る

      

      奈良遷都から1300年 数々の品が 静かに今を見つめてる

     皆してやってる今を 長い流れの中で 希望と一緒に 見つめてる

  
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メディアの相互批判

 
   アメリカの牧師がコーランを燃やすと公言し、イスラム圏で抗議行動が起きた。
    
  今朝のNHK衛星放送は公言した牧師の報道の仕方についてアメリカのメディアに疑問を  はさんでいた。
  
  一般人のメディアに対する批判が聞かれないだけでなく 国内におけるメディアの批判ら  しい相互批判は体制の如何を問わずほとんどと言っていいほど目にしない。
  それが国境を越えるとそのたがは緩むようだ。
  
   グローバル経済で国益を異にすることが多くなって来た今日、国際間のメディア批判は
   増えてくるのではないだろうか。
   地球規模で見ると、全体の関係が分かりやすくなるかもしれない。
  
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コマーシャル

 
  番組をさえぎって次々コマーシャルが流される。
  この不快を味わって何年になりるだろう? 近頃は、コマーシャルからコマーシャルへと
  立て続けに変わったりして不快が増しているようだ。
  民放の経営ははコマーシャルで成り立っているから諦めてはいるものの、その影響力は 
  計り知れない。
  「テレビを見なければいい」との理屈もあるが情報を完全に絶った社会生活はあり得ない。
  突然割り込むコマーシャルの影響は(不快)だけだろうか?
   情報と思考の分断が社会や個人の心身へ良い影響を与えているとは考えにくい。
   系統だって物事考え、集中する力を萎えさせるのではないか。特に子供への影響が心配。
  しかしそれが当たり前になっている今日、意味をぶち壊すような言動や状況が蔓延しているようだ。
  新聞に挟まれる大量の広告、電車も通りも広告と看板だらけ。
 それどころか、政治や経済、そして報道そのものがコマーシャル(商業宣伝)的になってきていないだろうか?
 コマーシャルは売ることに最大の意味がある。
 コマーシャル的な政策が今日の社会の行き詰まりをもたらす一因になってはいないか?
 
 
  
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 制御できない

 
 日本が円高対策を講じても効き目が無いないように、超大国アメリカも大統領の威信をかけ
 景気対策を打ち上げても市場ですらほとんど変化が見られない。
 世界の1、2位の経済大国は 自国の経済を制御する手段を失している。
 それぞれ自国の経済成長を最優先しながら、その対策を生み出すことができないでいる。
 これは 世界経済の行き詰まりをも意味する。 
 なぜかこうなったか? どうしたら良いか? が  問われてるのだが‥
 
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ちょっとしたら

  
  日本で10月に生物の多様性を守る国際会議が開かれる。
  地球上では生物の多様性が壊されその損害額を貨幣価値にして、200兆円との試算もあ   る。
  世界の国々はGDPを目印にして経済成長を目指しているが、果たして人間が得るものと失うものとの損得勘定はどうなっているのだろうか?
 異常気象や疫病をはじめ社会的に失っているものは 計り知れない。
 人間は幸福をもとめて人間活動をしているのだが、言われてる閉塞感や先行きの不透明感はもちろん、子供たちや若者が将来に夢を描けなくなったと言われて久しい。
人間は 頑張っているのにますます希望がもてなくなっている現状は、(ちょっとしたら)人間活動の損得勘定はすでに逆転しているかもしれない。
 もしそうだとすると、人間活動の全体を見直す以外に無い。
  
  
  
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ドラッカー

  
「 もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」作 岩崎夏海 を一気に読んだ。
 作者が日野市出身で身近な地名が出てくる親近感も手伝ったが、原典のドラッカーの発想にいたく共鳴した。マネジメントの基本を顧客の希望においてそれをマーケティングし、それに沿ってマネージメントするというのだが常識をことごとくぶち破る発想の転換にすっかり引きこまれた。
 逆にこれまでの自分の(普通)が何と貧しい発想から生まれていたかと(目からうろこ》の感じだった。
 これまで相手を大事にしているつもりで何と自分中心だったことか‥ 
  
  遅ればせながら、真似事でもやってみたい。
 
補足 書かれてる人間関係や組織のとらえ方が 囲碁や俯瞰した視座に通じているように感じた。 120万部のベストセラーで店頭に並んでいたのは心強いが、これまでどうして広まらなかったのかとも思う。
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まずい情報戦

 
  ある意味で現代社会は「情報戦」といえるぐらい、情報は重要な役割を果たしている。
 経済活動も同様であり、世界的な地位を下げたといわれる日本は情報戦の結果と言えなくもない。
 全体の状況をいち早く収集し提供して、国民や政治が予知すべく道案内が機能していなかったことを意味する。 今行われてる民主党の党首選、海外情報の全体的不足や偏りに顕著に見られる。
 
 そのことが 今なお社会的に認識されていないようだ。
 
 
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放っておけないこと

 
  目先のことに反応するのは本能かもしれない。
 
  目先のことの意味を冷静に理解するには背景を把握することなしにはありえない。
 
  だから、背景から目先の意味を割り出すには本能的な反応と戦わなければならない。

   囲碁や金儲けだけでなくすべてに言えることかもしれない。
  
  社会も個人も そこが難しいが、放っても置けない。

  
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