意味は意識化

  平凡な暮らしの装いは 奇跡的な一瞬の集合体かもしれない。

 

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成人式の日の老人

映画を見た帰り道、道玄坂下の大きな交差点や携帯を覗く人の多い電車の中へと、(ブリューゲルの動く絵・風車とキリスト)は続いた。

      

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法律

自然の法に反する法律をつくり、それに従うから自然がおかしくなっているのかもしれない。

 それは、民を主とする思想(民主主義)が、もともと自然を切り離した人間の独善的な思想だったのではないか?

 これでは、人間は自ら作った法律によって滅びることも有り得る。

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動くのは誰だ

 

格下は動いても横綱は動かないのが 横綱相撲

世界は動く
           動くのは誰だ
           動かいのは誰だ

       日本は ドジョウ踊りで動きまわる

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歴史的転換の一つ

アメリカは財政難で軍事戦略を変更すると言う。理由はともあれ軍縮は喜ばしい。

 軍事費を減らし、市場の変化に合わせアジア太平洋に重点を移すと言う。

 経済の行き詰まりにより国際関係は 変化したようだ。

    世界の中心にいる超大国アメリカの(超)が少しとれ、アメリカと他の国との関係が 分かりやすくなったのではないか。

 転換期にふさわしい歴史的な出来事の一つに違いない。

 

 

 

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文化も萎えていない?

経済の力、政治の力が落ち込んでいるとよく言われるが、文化の力も同じように落ちていないか。

 子供たちの問題は端的に言えば文化である教育の力の低下に他ならない。他の芸術や文化は現実と未来を照らしてくれているのだろうか?

    ( 私の勘違いで)芸術や文化が経済・政治同様、目先のお金に流されていなけれ良いが…

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改革はすでに守旧

 
  気になってしょうがないのだが…

 まだ経済成長を口にする前世代的なリーダーもいるにはいるが、まともにそう考えている人がいるとは考えにくい。

 朝日も元旦に「ポスト経済成長のもとで…」を表題にした社説を掲げた。国内のマスコミやメディアの認識も基本的にはほぼその線上だろうが、組織や個人は旧態の仕組みにしっかり組み込まれているから、抜け出すのは難しい。

社説を基準にすると、総理や石原知事や橋下市長をはじめ与野党関係なく多くの政治家は(守旧派)と言えそう…、

 

 

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達観とは


全てのものが一直線につき通して見えることを言うのだろうか?

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消費増税の愚とマスコミの欺瞞性

朝日の元旦の社説は 《ポスト成長の年明け》『すべての将来世代のために』と題して「増税や政府支出のカットはつらい。成長率の押し下げ要因になるが甘受しなくてはいけない。」さらに「成長から成熟へ、社会を切りかえることでもある。成長の時代を享受してきた私たちは、変化していく歴史の行くへを長い目で見つめながら、今やるべきことを着実に実行していかねばならない。」と結ぶ。この論調は目にするすべてのマスコミ(新聞テレビ)に共通しており、1連のプロパガンダの新年のあいさつの感がある。

 一見、その通りだが、これまでの経過と現状を見ると、これが如何に欺瞞に満ちた物かが分かる。

  2点取り上げたい。

 ①(消費増税)があたかも、将来世代のツケを和らげる策であるかのように述べているが、これは経過から言っても経済の理に合わない。

   勿論(景気後退とか、弱い者いじめ、中にはデフレ対策を優先)を主張する野党や論者の説に組するものではない。

  もともと、国の借金は景気対策の金融緩和と財政支出が積み上がったものだ。バブル自身が病的な産業構造の結果であるにもかかわらず、それが弾けたとして産業構造をそのままにして前記の景気対策を繰り返してきた。その手法も限界になり使えなくなり、今度は、国民から税金としてお金を集め景気対策に回すの自明。増税する前から公共事業への投資が復活したのは自然な帰結。

産業構造に手を付けないのだから、いくら税金を集めてもきりがない。一部に消費増税20~30パーセントの説が聞こえるが当然だし、さらに国債発行してインフレへ誘導した方が良いとの声もあるがインフレにしたところで産業構造が良くなるわけではないから抜き差しならない状況に陥ることは当然。
 国家の経済破綻は産業構造そのものを壊し、新しい産業構造が生まれるのは必然だが、果たしてマスコミはそこへ財界の中枢を誘導しようと言うのだろうか。
  これでは、スポンサーである財界の意向にさえ沿えない。国家の経済的破綻へつながる消費増税を優先するのではなく遅ればせながらであっても産業の構造に着手すべく、論じるべきではなかったか。

 ②「…成長の時代を享受してきた私たち…」とあるが、本当に我々はそれを望み、成熟した社会を享受してきたと言えるだろうか?

   家族や地域共同体を壊し、自殺者を大量に出し、無縁社会をだれが望んだか?

   紛れもなく、財界の意向を受けた政治を長年やって来た結果ではなかったか。そこに至ったマスコミの果たした役割を棚に上げ、さも国民が望み選択したかのように言う、マスコミは己の欺瞞さえ感じさせないぐらい感覚がマヒしたのかか。

 元旦の紙面では「社会的カオス」を問題にし「民主主義」の限界を大きく取り上げていたが、今さらの観がなくもない。 
 
    マスコミは財界首脳と顔を並べ財界もはっきり政策を要請し主張し、マスコミは「財界の意向に沿って…」と言えば分かり易く事足りる。 財界の意向が変ればそれに沿いメディアも社論を変えれば良いだけ。政治は脇役で良い。

 同じお金に支配されるとしても、その方が政治は分かりやすく財界にも責任が生じ、マスコミも小賢しいことをせずにいられるはずだ。 

 脇役の政治を主役に芝居をするから話が混乱する。 

 

 

  

 

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想像の垣根

        人は、想像して動く存在だと思う。

         制約されることなく広く深くと自由に想像し、それが少しでもだれかと共有できれば、この上ない。

         どの子も、そう願ってるに違いない。

         想像に垣根は要らない。

         想像の垣根は自分が作らない限り、他人には作れない。

 

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