行きづまりの両者の立ち位置

反戦運動は耳にしても【新植民地支配】に対する運動を聞いたことが無いのは何故なのか?

弱肉強食的な支配構造は世界の国家間の関係から個人の関係にまで及び、関係を損ない争いの原因になる事の多いのに、結果に対する反対の声はあっても原因を無くそうとする声や動きはあまり見られない。

支配する側だけでなく、抵抗し反対する側も背景や原因を見過ごしている感があるのはどうしたことか? 視野が支配者と同等であることを意味していないだろうか?   弱者の視野が強者と同じでは力関係は変わらず一緒に行き詰まる。

   共に視野を拡げて探さない限り、新たな出口は見いだせない。

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ならぬものはならぬ!

エジプトの内戦の背景が世界のあちこちの争いの背景と同じに思えてならない。

それは地上の歴史的に繰り広げているパワーとマネーによる植民地的(的)支配。

この論理は国や人間には通じても自然界には通じないだろうからやがて落ち着くだろうが経過には膨大な時間とリスクを伴うから翻弄される相対的弱小者はは大変だ。強者は合理や倫理を越えた「勝てば官軍」が限られた人間社会にしか通用しないことを忘れてる。

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安全保障のカン違い

年間、日本における自殺や災害事故死などの不慮の死者はおよそ10万人と言われている。計算上10年間だと計算上100万人になる。

これが世界全体だとどうなるか?しっかりしたデーターがあればと思うが手に入りそうもない。

日本は世界でも豊かで安全な国と言われているから、機械的に日本の割合で世界に当てはめると、年間600万人の不慮の死者が出ていることになる。(飢餓難民などの死者は年間1000万とも言われているから、600万の数字は特別無理な数字ではないかもしれない。)

「安全保障」即「軍事力」であるかのように論じられているが、(データーを持ち合わせていない単なる直観だが)世界の全ての武力衝突は合わせても安全を損なっている人たちの10分の1であるある年間60~100万人すら達しないもが現状だ。

 

 

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仮定の20分後

はっきりゴーサインを出してはいないが、全体的なニューアンスは少なく見ても7:3のゴーサインで来月の国会に向けた地ならしになっていたようだ。

夏にお似合いの怪談のような数字を操り、(好景気)を演じているのを指摘するのは皆無だった。これからマスコミは一斉に怪談の季節に入る。

暫く怪談は続くだろうが、季節が過ぎた頃化けて出てくる。

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当てにしてないニュース解説を楽しむ法

来意度から実施予定の消費増税の判断と相俟って(待ちに待った)4~6月期のGDPの速報値の発表を受け、10分後にNHKは予測解説する。

予測解説の予測をしておきたい。

「報値は気がかりな面を持つが、この秋以降の政府のテコ入れを期待して、ゴー。」 

こうやって予想して聞くのは推理小説を読むようで楽しさが倍加する。

 

 

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どっちへ進む?

熱さだけでもないだろうが、テロとの戦い・中近東・アラブの春・北朝鮮・南西諸島海域‥等世界の紛争地域はどこも膠着状態に見える。

世界の政治・経済は良い状態にはないから、ダイナミックに変化してほしが、その兆しは無い。

こんな時、変化のきっかけを思いがけない良いことより、、困った出来事に現実性を感じる。

落ちこぼれとフロンティアは目指す方向と図る尺度の違いだけなのだが… その国はどっちへ進む?

 

 

 

 

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先ず、五輪はアフリカで

五輪が平和の祭典として引き継がれてきたが、最近は商業主義が目について素直に楽しめないでいる。

唯一の願いは五輪のマークの最後に残ったアフリカで開催して欲しいだけ。

東京で開催したら〇兆円の経済効果があると宣伝されているが、平和の祭典で金儲けしようとする美しい国にはふさわしくないえげつなさが垣間見えて情けない。

そんなことをするぐらいなら、有志の国がお金を出し合ってアフリカのどこかで開催したら、それこそ直接・間接的に植民地化した罪の償いにもなるし、人類史的な平和の祭典になるのに…。

先ずは 罪を償ってからでないと(平和の祭典)は始まらない。

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まだら模様と曖昧さ

身近にいる筈の小動物が姿を消し、連日の暑さと経験したことの無い豪雨、制御できない実験段階の核分裂を実用化し続け、お金が無くなれば景気回復に増刷する。

何れも人間が引き起こしている現実。

これを「危ない」と心配するのも人間だから、私たちは(異常と正常)の間を右往左往するまだら模様の動物かもしれない。大自然界でまだら模様の違いを攻め合うのも感心しないが曖昧にするのは余計にいただけない。何故なら、大自然や人間の生がかかっているのだから。



 

 

 

 

 

 

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ムラっ気なマスコミ報道の裏

毎朝BSで世界のニュースを見るのを日課にしているが、かつては連日報道されていたアフガンやイラクの戦況、アラブの春、シリア、イラン、北朝鮮、イスラエルとパレスチナ問題

など、ここに来てどれもさっぱり報道されない。  一体どうなっているのか?

問題を追うところにマスコミ報道の意味もあるだだろうに、むらっけな報道に何やらの不自然さと人為を感じてならない。

国内の問題も同様で、数年にわたって全のテレビと新聞が連日キャンペーンに明けくれた小沢氏の「金と政治」の問題はどこでどうなったか?皆分かっていて黙っているのだろうか?   これも報道する権益を持ったマスコミにのみ許される「報道の自由」だとしたら、「報道の自由」が問われてしかるべきだが…

 

 

 

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天気予報に期待

BS放送では南半球を含め世界の天気図を示しながら日本の予報を説明してくれることが多くなってきた。

政治や経済は例え海外の出来事でも、ピックアップして報道するスタイルに変化はあまり見られないが、天気予報のように全体的な関係で取り上げるとよっぽど分かり易いのに、と思う。

BSの天気予報を見れ育つ世代は自然にそのように認識し、説明するようになるだろうと期待している。

 

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