世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
嫌な閲覧数の変化
この日記を書いていると 翌日読者数と閲覧数が表示される。
6~7年前から 閲覧数が急に増えたり減ったりし、時には10倍近く増えたり急に半減したりたりする。
人為的な操作を感じて 良い気持ちはしない。
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恥ずかしい
希望は見えるし 羅針盤上の位置もおおよそ見えるが 今やってる事は 憤懣やるかたない。
勝手に平気で子供たちにツケを引き渡す この図々しさ 恥ずかしくないか? これじゃ 子供たちや若者が現実から逃れ バーチャルな世界に逃げ込むのも仕方ない。 ここまでやらなくても良いのに…
ジャイアンが鉄の棒を振り回すが許されて スネオが木の枝を振り回わすのは許されない スネオは 皆で制裁か…。
虐待やいじめと どこ違う?
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エラーい人たちも 思い出してほしい
プライドの為に過去の判断ミスを引きずるのと、ミスから学び先へ進むのとでは どちらが良いだろう?
教室には「間違は大事」の詩が背面に貼ってあった。
歴史から学ぶ とはそう言う意味なんだ。失敗や間違いは恥ずかしい事ではない、失敗や間違いをを認められなかったり隠したりする方が よっぽど恥ずかしい。
エラーい人たちも もう一度 あの事を思い出してほしい。
。
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本来の感性
人々がこれだけ社会化しマスコミ情報に踊らされる時代にあっては、殊更 個人の持つ意味は 社会にとっても個人にとっても大きい。
「在ったこと 思ったことをありのままに書こう!」 で良かったような気がする。
個人の本来の感性がものを言う。
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明日は赤飯
台風の影響を受けてはいるものの 雨上がりの朝の通勤する人たちの歩みは 昔と変わらず急ぎ足。
一日の始まりの空気は 何処も同じか。それでもしばらくは蝉も鳴りを潜めていたが 気温の急上昇と共に蝉しぐれ。
穴あけ底も見え出した。明日は赤飯。
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水先案内
第3の矢は 構造改革だが あまりパッとした矢は放たれない。
カジノ、軍需品の解禁 戦略特区 オリンピック 何れもいわくつきバッカだが 効果は見るまでもない。
共生社会へ向けた「産業構造の転換」とは異なる。
現状の支配体制や 現在経済活動をしている企業のあることを考えると発想の転換は難しいことだが それが政治ではないのだろうか。
ただ、現状では 発想する土壌すら見られなず、学者やジャーナリスト 他の文化人の責任は大きい。
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「国富」喪失
「国富」喪失 植草一秀 著 を読んだ。
賛同するところも少なくなかったが、基本的な「自然と人」の認識は一致しなかった。
アベノミクスの第一の矢である 金融緩和の功罪を取り上げてほしかったが 少し残念。
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俯瞰感覚を育てる
どの分野でも秀でている人は俯瞰能力(感覚)良いようだ。
教育の体系に俯瞰能力を組み込めないものだろうか。
もっとも、家庭教師から教わったような「地球儀俯瞰外交」の言葉は使えても、俯瞰感覚が無いと能力とは言えないから難しいとは思が…
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自然の力を拠り所にして
パリ協定や核兵器廃絶条約の成立は 人類の共生社会や統治の一元化へ至る到達点の一面とも言える。
道は遠いが 自然の力を拠り所に 進んでいる。(人を拠り所にする前の段階)
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台風は 自然の理
台風がやって来ても 人は その時だけですぐ忘れる。
自然は かつてない規模へとエスカレートしているが 人はいつの時点で(自然と人)を自覚するんだろう?
人の多くが自覚するまでエスカレートするのは 自然からすると 壊されまいとする(自然の理)で必然かもしれない。
疫病も自然の理である。 昔なら 自然の神に赦しを乞うたかもしれないが 今は 自覚だにしない。
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