世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
自然との関係に因る
「自然と人」か「人と自然」か と問われたら 自分は前者が正しいと答える。
テロとテロと戦う人 制裁する国と制裁される国 与党と野党 右と左
これらは何れも後者の立場ではないか。
そもそもの思いは色々だけど 物事はこれまでもなるようになって来たしこれからも成るようになる なるようにしか成らない。結果は人の思いではなく 自然との関係に因る。
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大人の躾
戦地ばかりでなく 国会も国際会議も巷も 喧嘩は目につく。
子供のころ 「喧嘩両成敗」だと よく言われた。
仮に「社会正義の喧嘩は良し」としても その時は 両者の正義の声を聞いて 考えると良いのに… 相手の声も聴かない。
大人の躾がなっていない。 これじゃあ 大人は「喧嘩両成敗」も言えない。ウソは問題外。
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リアリティ
現実の世の中に希望を見いだせない子供や大人が 現実から目を逸らし スマホやバーチヤルな世界にのめり込んでしまうのは
仕方ないのかもしれない。
誰だって興味のあるところに目が行くもんだ。私の囲碁やカラオケも同じようなもの。
良くも悪くも 現実や現状から目を逸らしてばかりいては (生ける屍とまでは言わないが)
リアルな感動は遠のき 周囲や出来事の意味が希薄になるから気を付けよう。
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ちょっと違う
人が 何を考えどう行動するかは個人的には自由だが 世の道理に合うかどうかは別。
9人に1人の飢餓難民を出しおまけに地上の自然までもを壊していると言う。 人のしている事が世の道理に適っているとは思えない。
3次安倍内閣・トランプ政権・習政権 ・連日のマスコミ報道 何処もちょっと違う。
長年お世話になった女性の訃報が 先ほど入った。 その人お陰で 今の私たちの家族があるのは 確かなこと。
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感覚マヒ
経済再生担当相が人作り革命担当相を兼ねると言う。
「人作り革命」だけでも見識を疑うが 「経済再生と兼ねる」では 滅茶苦茶ではないか。
元々 人は人 ロボットのように作るものではない。まして上から革命的に 加えて経済再生。
これが 改造内閣の「目玉ポスト」だと言う。
こんなポストを発想したり 通用させてる我々大人の感覚は どうなっているんだ。
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さ迷いながらバタバタ
教育現場に入った50数年前 子どもたちが理想や希望を失っているように 私には見えた。
(大袈裟だが) 今は 世界の大人やリーダーが 同じように理想や希望を見失っているように見える。
経済成長が停滞し20年以上になるが さ迷いながらバタバタしている感がある。
子供たちは たまらないだろうと思う。
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癖
芝居や映画では 善人風の悪人と 悪人風の善人が 争そうのをよく見る。
美しい国を作ろうとする非の打ちどころのない善人と それを拒もうとする悪人が 国会の内外で争そう。 芝居と重なるが
結局 善悪は 話の背景や筋を追って やっと分かるのだが 目先で判断する癖は なかなか直らないもんだ。
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風物詩
畑のスイカが きれいさっぱり無くなっていた。
子供の頃 他所の畑のスイカを盗ったような 盗らなかったような 記憶は曖昧だが 東京で生活をしていると
今時「スイカ泥棒」が どこか風物詩のように感じてる自分があって まんざら悪くも無い。
そうそう 子供の頃 七夕に他所の庭先に並べてあったスイカを ちょっこり失礼し 兄貴と一緒に逃げたことがあったなあ
その他所の庭先は 兄貴の先生の家で 母さんの親しくしていた家だった
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どうにも止まらない
学校帰りに友達の家に寄ってマンガの本を読んだり 神社によってサクランボを採ったり 缶蹴りをしたりして道草を喰った。
家へ帰ったらカバンを放り出して遊びほろけた。寄り道は面白かった。
政府は 憲法や家計学園など 寄り道が多過ぎたからか反省を込めて 今度は 経済を真っ正面にして取り組むと言う。
初心に帰ってアベノミクスか?経済政策の発想を転換か?
多分 経済政策としてはアベノミクス(寄り道・道草)を継続することになり、実体経済は縮小し 富の流出し続けるだろう と(個人的には)考えている。
(寄り道や道草)が好きなのは 世界中 子どもも大人も同じようだ。
私たちの親達とは 少し違う。
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安定の基
訳も分からず(自分の非を自覚できず)人間関係が切れるのは 社会関係が複雑化し 不安定になっているからかも知れない。
社会関係の不安定さは 人間にとって良い事ではない。
「自然をベースにした社会」この認識がしっかりしていたら こうはならなかっただろう。
当然 自らの課題であると共に その欲求は 社会的に高まるものだ。
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