5月14日、応用ドラマ教育研究会がありました。
渡辺貴裕先生が前回に引き続き、イギリスのドラマティーチャー、ジョー先生の実践を報告してくださいました。
渡辺先生の報告の特徴は、要所要所DVDを見せながら、ポイントを押さえて、実に分かりやすく明快なのです。DVDも子どもたちの様子を良く捉えらえているところを見せてくれます。間は説明で補ってくれます。自分で見てきた気になります。
渡辺先生は渡部淳先生から「日本のドラマ教育の未来を背負って立つ人」と評価されていて、応用ドラマ教育研究会の八木延佳事務局長はいつもそう言って紹介するのですが、私もまったくそうだと思います。「演劇と教育」の連載や対談もをみても、とても賢い人で、しかも他人に伝わる言葉を持っています。思いやりもあるし・・・。
さて、本題。
プレイバック・シアターでアクターとしてのニュートラルの大切さを学びました。インプロでは、「用意しないこと」「オープンでいること」「今ここ」などと言われましたが、同じことを指しているように思います。
あれこれ余計なことを考えていると、オファーを受けたり投げたり、即興でやりとりすることがうまくいかない。
ニュートラルの状態にあるとき、無表情になってしまう。けっして、ニコニコ笑ってる状態ではないのです。
ジョー先生を見ていて、これって教師にもドラマ・ファシリテーターにも必要なのじゃないかしら、と思いました。ジョー先生はニコニコしていません。だからこそ、状況に応じて恐い役をしても子どもたちに自然に受け入れられるのでは?ドラマ・ファシリテーターであり、かつティーチャー・イン・ロールをよく使うアクターでもあるから、余計にそう思うのでしょうか。
自分自身をふりかえって、沖縄では、私は授業でしょっちゅう笑っていました。学生のやることなすこと、楽しく思えました。今はあまり笑っていません。でもこれは、ニュートラルを獲得したからではなく、日々の生活があまりにもゆとりがないせいなのですが。残念ながら。
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