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極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

サボテンとユダヤ人

2009年10月20日 | 世界歴史回廊

サボテンの 種の多さに 驚きぬ 今朝の花にも また驚きぬ


Kawarayuonsen New Spring Source.jpg あしたの会
川原温泉新源泉

八ッ場ダム建設中止の動向を見て、「これが政治なんだ
なぁ~」と。国家官僚としては大型建設をこなすほど楽
なものはない。ゼネコンに丸投げ、ゼネコンは系列、下
請けに丸投げ。調整は地元議員先生や顔役にお任せ。揉
めそうな場合は、派閥の長におまかせ。官僚は元官僚と
して関連団体に天下りと渡り(この高度成長期の日本型
ケイジアンの構図は、戦前の軍・顔・官と同じ、「やり
はじたらやめられない」)。新政権は熟れていないから、
<撤収特別予算>が準備できていないのは可愛そうな気が
するが(※利水若しくは、治水に特化縮小するのかの選
択肢は検討してみてはどうか)。






6世紀後半に南蛮人が日本に持ち込まれたのが初めとさ
れる。彼らが「ウチワサボテン」の樹液をシャボン(石
けん)としてつかっていたため「しゃぼてん」と呼ばれ
るようになったとする説が有力。花も美しい「サボテン
」。花言葉は「風刺」「恩情」


 「ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説」

「ユダヤ人ってなんなの」と唐突に夕食後彼女が尋ねる。
どうして、それほどまでにイスラエルにこだわるのか理
解できなくはないが、昔、領土だったから二千年経って
武力で建国するなんて、余りにも、学習能力がないので
はないのかと思ってしまう。


 Bruno Bauer

 
バウアーは、政治的解放を人間的解放を混同してい
 る。キリスト教国家のみを批判し、国家そのものを
 批判していない。真の解放とは、そのような市民と
 公民との対立そのものの解消、すなわちキリスト教
 国家批判ではなく、国家一般、国家そのものへの批
 判こそが、なされるべきである。

       カール・マルクス「ユダヤ人問題」 

 宗教は悩めるもののため息であり、心なき世界の心
 情であるとともに、精神なき状態の精神である。そ
 れは民衆の阿片である。民衆の幻想的幸福である宗
 教を廃棄することは、民衆の現実的幸福を要求する
 ことである。民衆の状態についての幻想を放棄せよ
 と要求することは、幻想を必要とするような状態を
 放棄せよという要求することである。    

        同著「ヘーゲル法哲学批判序説」

と、ここでは、ユダヤ人のマルクスのお復習いだが宗教、
国家、貨幣という幻想の廃絶の実現がいかに困難かをマ
ルクスは炙り出す役割をはたしている。


 Judaism, Zionism and Anti-Zionism

理性と知性を欠いた議論、記事はここでは退席いただく
として、ヤコブ・ラブキン(モントリオール大学教授)
の「ユダヤ人と旧ソ連の記憶―文学・宗教の交差―」
講演を考察し以下にまとめる。


 Yakov M Rabkin

第二神殿時代以降のユダヤ人のアイデンティティ構築の
歴史を概観し、18世紀の欧州に端を発する啓蒙主義思想
の影響を受けたロシアこそが、民族的定義に依る「無神
論者としてのユダヤ人」という新たな自己理解の創出地
であったことを社会史的観点から浮き彫りにした。



ラビ・ユダヤ教の理解によれば、ユダヤの信仰共同体を
担い支えているのは、専らトーラーとその教説である。
この自己理解は、ユダヤ教を土地や神殿などの地理上の
規定から解き放ち、他所へと移送可能な宗教とした点、
またトーラーとその教説にのみに基礎を置くことで政治
的野心を総じて放棄し、移住先の支配者と良好な関係を
結ぶことを可能にした点で、ディアスポラ以降、今日に
至るまで重要な意味を持っている。


キリスト教圏の欧州ではユダヤ人は長らく迫害の対象と
なってきたが、18世紀から19世紀初頭にかけて啓蒙主義
が台頭することで、その状況に大きな変化が生じる。信
仰の相違に依らない人間性と、その平等性を唱える啓蒙
思想の普及により、ユダヤ人にも他の国民と同等の市民
権が与えられた。それはまた宗教の世俗化をも惹起する
ものでもあり、ユダヤ教内部では改革派ユダヤ教などリ
ベラリズムの潮流を生み出した。


啓蒙専制君主エカテリーナ2世の即位により、ロシア帝
国にも啓蒙主義の潮流が波及し、一部ユダヤ人がユダヤ
教から離反し始めた。居住地選択の自由が認められてい
たドイツやフランスとは異なり、農奴制の影響が残存す
るロシア帝国では、多くの農奴と同様にユダヤ人はユダ
ヤ人居住区に留まらざるを得なかった。その結果、その
制限された地域の内部で、正統派ユダヤ教徒と世俗的ユ
ダヤ人との軋轢、緊張関係が他国では見られないほどに
高まってゆくこととなる。


その際、世俗的ユダヤ人は宗教的要素を退け、言語(イ
ディッシュ語)と土地(ユダヤ人居住区)という民族的
要素にアイデンティティの基礎を求めた。ここに民族的
自己規定に依拠した「無神論者としてのユダヤ人」が創
出されたのである。この無神論者のユダヤ人は、19世紀
末から始まるのシオニズム運動積極的な担い手となって
ゆく。



1881年のロシア皇帝暗殺を契機にポグロムがロシア全土
に波及し、ユダヤ人の間では「約束の地」に自民族の国
家を建立しようとの気運が高まるが、その初期シオニズ
ム運動の指導的役割を果たしたのは、ユダヤ人固有の領
土を獲得し、そこでユダヤ文化を開花させることを悲願
とする彼らであった。1920年代から30年代にかけてのソ
ビエト国内での宗教弾圧や第二次大戦後の苦境を経た結
果、無神論者のユダヤ人にとって、多大な労苦を負うこ
となく自民族の文化を保存、発展させることが可能とな
る安住の地はイスラエルのみとなる。



また同時に、イスラエルにおける彼らの文化構築への専
心は新たな抗争の火種ともなった。それは、かつてロシ
ア帝国のユダヤ人居住区で生じたものと同じであり、つ
まりは正統派ユダヤ教と無神論者のユダヤ人との抗争
ある。この対立は今日のイスラエルにおいてもなお解決
を見ていない





なるほどそういうことか。アジア専制主義的な後進性を
引き摺っているのかと腑に落とす。

GLOBE(091019) の「ユダヤ教徒がシオニズムに反発する
理由」(同著者)で、
パレスチナの地にユダヤ人のホー
ムランド建設を目指す「シオニズム(Zionism)は、聖地エル
サレムに由来する。これは宗教イデオロギーでなく、
治的イデオロギとして19世紀後半に欧州で誕生。戒律、
律法に従う人々の宗数的共同体のユダヤ人社会に欧州の
ナショナリズムを当てはめたものだ
。独自言語 (ヘブラ
イ語)を持つ国民、民族として「ユダヤ人」(The Jews)を位
置づけた国民国家主義だとし以下の様に語る。


日本人が、お寺に参拝しなくても 「日本人」という民族的
アイデンティティーを持てるが、世俗化した東欧系ユダ
ヤ人は、シオニズムによって、民族的アイデンティティ
ーを持ち、欧州の反ユダヤ主義(a nti-Semitiszm )に対抗し
少数者の権利を主張できるようになった。イスラエルの
ある学者は「我々がこの土地を求める理由は単純だ。神
は存在しない。だが、神はこの土地を我々に約束したのだ
」と。この発言はシオニズムが非宗数的な政治的主張で
あることをよく示している。




20世紀のドイツ系ユダヤ人の政治思想家 ハンナ・アーレ
ント
(1906~75 )は自身もシオニストだったが、シオニス
ト国家の樹立には否定的だった。彼女はイスラエルが建
国された 1948年の段階で、シオニスト国家を作れば、絶
え間ない紛争が続くと見ていた
。昨年後、事態はまさに
その通りになっている。昨年暮れから今年初めにガザで
起きたスラエルの軍事行動は、彼女の見通した事態が現
実化したものなのだと述べる。

残念だが容量が尽きそうだ。この続きは明日にでも。

コメント
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