<金曜は本の紹介>
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この本は、1986年4月26日からソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起こった事故についてと、その後のチェルノブイリについて書かれた本です。
ウクライナ系アメリカ人ジャーナリストの著者が、放射線に怯えつつも立ち入り制限区域に入り、取材を重ねた決死のルポルタージュです。
チェルノブイリ原子力発電所事故から20年、通説や想像とはうらはらに、チェルノブイリの土地ではヨーロッパ最大の自然の聖域として息を吹き返し、野生の生物で満ちているようです。放射性物質ですっかり汚染されてはいますが、野生動物が繁栄しているとのことです。驚きました。
この本はチェルノブイリ事故や、その後について詳しく書かれており、ちょうど20年以上経った現在に改めてチェルノブイリ事故について考えるのに良い本だと思います。とてもオススメです。
以下、この本のポイントなどです。
・4号機建屋を突き破った深夜の爆発は、写真に記録されていない。炎や火花や燃えさかる黒鉛の塊が空中に噴出し、やがて北半球全体にまき散らされた。赤々と燃える核燃料や黒鉛の破片が建屋の屋上に落下して30件の火災が発生し、屋上は焼けくずれ、原子炉ホールに落下した。屋上の火災は、防護服も線量計も身につけずに消火作業にあたった消防士37名の手で、夜明けまでに消し止められたが急性放射線症等で31名が死亡。黒鉛火災で何百万キュリーという放射能が放出され、放射能は不気味に輝き、破壊された原子炉の上空を照らしていた。
・当局の話では、避難するのはほんの3日間だった。おそらく、当局もそのつもりだったのだろう。ところがその後、放出される放射能の量は合計すると最初の爆発の5倍にもなることが判明する。黒鉛火災で核燃料が溶融し、広島に投下された原爆数個分に相当する放射能が毎日、10日間にわたって吐き出さされるというのだ。
・チェルノブイリと旧ソ連にあったチェルノブイリ型の原子炉は、チャンネル型黒鉛減速沸騰軽水冷却炉のロシア語の頭文字からRBMKと呼ばれ、黒鉛を減速材に使っていた。黒鉛は鉛筆の芯に使われる純粋の炭素だ。
・水を減速材として使う軽水炉では、冷却水(冷却材と減速材を兼ねる)がなくなったり減ったりすると中性子の速度が速くなりすぎて連鎖反応が止まり、核分裂が停止する。黒鉛炉では、冷却水の流れが遅くなったり水がなくなったりしても、黒鉛が減速材として働きつづける。核分裂は続き、冷却する水がじゅうぶんでないと炉の核分裂連鎖反応は続き、どんどん過熱される。
・発電所独自の安全基準の規則にことごとく違反するめちゃくちゃで軽率な実験がチェルノブイリで行われ、緊急炉心水冷装置のポンプが故意に閉じられた。ポンプが作動しなかったために、通常なら1時間に28トン流れていた冷却水の速度が遅くなり、燃料からますます多くの熱を吸収する。水は沸騰するどころか蒸気にまでなってしまい、数分とたたないうちに蒸気の膨大な圧力で炉心が爆発したのだ。最初の爆発で黒鉛と燃料がTNT火薬30トンから40トンの力で破壊され、もっとも重く、もっとも有害な破片が炉の外に放り出された。
・チェルノブイリの標準的なバックグラウンド線量は、15年の歳月がたった2001年でも、異常のないほかの場所のバックグラウンド線量の10数倍にもなった。その後2004年には、平均で43マイクロレントゲン/時になった。
・1986年4月30日には、私たちが歩いているこの野原の放射線量は30から40レントゲン/時にも達したが、こんな照射線量では、数時間で急性放射線障害を起こし、1日でたいていの人が死んでしまう。原子炉の近辺では、照射線量は少なくとも200レントゲン/時はあった。すくなくとも200というのは、当時手に入った放射線測定器は表示の最大値が200レントゲンのものしかなかったからである。
・4号機は爆発するまで2年間運転されていたので、核分裂生成物というきわめて放射性の高い元素がどっさり詰まっていた。セシウム134と137、ヨウ素131、ストロンチウム89、90で、ほかにはプルトニウム238、239、240、241などだ。
・4月30日に風向きがふたたび南になると、ヘリコプターから5000トンの砂や粘土、鉛、苦灰石を炉心に投げ落としたかいがあって、火災は消し止められたように見えた。放射能の放出はまだ一日で広島の原爆およそ1個分はあったが安定したかと思われた。何とも不可解な話だが5月1日に炉心の温度が上昇し、放射能を吐き出しはじめた。放射能は消化剤の厚い覆いを通り抜けた。炉心の温度が上昇するに連れて(摂氏3千度に達した)燃料が溶融し、ストロンチウムやルテニウム、ジルコニウムなど揮発性の低い元素が気化して南のキエフ方面に流れ出した。
・5月5日はロシア正教会の復活祭の翌日だった。炉心の溶融が激しく、放射線の放出量は事故の初日とほとんど変わらないほど多かった。線量は炉心付近で1000レントゲン/時にせまり、隣の3号炉で60レントゲンを記録する。それから突然、炉心の溶融が止まる。理由は不明。そもそも、炉心の温度が上昇したわけも、誰にもわからないのだ。また今日にいたるまで、事故で炉心のどのぐらいが放出されたのか、正確な量は誰にもわからない。永遠に分からないだろう。
・奇妙に思えるが、現在のチョルノブイリは人間の住むどこの町よりも空気が新鮮だ。車の数はたいてい片手で数えられるし、聞こえてくる音といえばせいぜい鳥のさえずりくらい。これはチェルノブイリ事故の逆説のひとつだが、強制避難が行われて、産業化、森林破壊、農耕、人口流入に終止符が打たれ、ゾーンは環境としてはウクライナでも指折りの清潔な地域になったのだ。放射能を除けば。
・チェルノブイリ事故で最大の被災国はどこかという問いには、ほんとうは、ひとつの政界はないのだ。何を基準にするかでまったく異なり、それは次に示すとおりだ。
●ロシア 汚染された土地の面積が最大
●ウクライナ 放射能にさらされた人数が最大
汚染のレベルが最高
石棺と放射性廃棄物のゴミ捨て場を引き継ぐ
●ベラルーシ 全国土と全人口に対する被災地の面積と被災者の割合が最大
放出された全放射性各種の降下した割合が最大
甲状腺癌の患者数が最多
・哺乳動物の場合と同様に、ゾーンの水系では魚の変異体や奇形はこれまでにひとつも見つかっていない。科学者が首をひねっているが、理由は、哺乳動物で変異体が一頭も現れなかったのと同じかもしれない。変異体は、野生では、生まれたとしても死ぬ、ということだ。また、事故で遺伝子に大きな損傷を受けた動物は、損傷を受けた遺伝子を子孫に受け渡す前に死んだ。正常に生まれて生き延びた動物は、放射能に対して抵抗力があるのかもしれず、子孫はこの特性を受け継いだのだろう。
<目次>
まえがき
第1章 チェルノブイリとニガヨモギ
聖書の預言と結びつけられた原発事故
原子力発電のしくみ
雨とともに降下する放射能
事故直後、大気中で起きていたこと
埋葬された村々
チェルノブイリを訪問するには
第2章 チェルノブイリの四季
冬-赤くなった森
春-植物に入りこむセシウム
夏-ストロンチウムをたくわえるベリー類
秋-放射能を閉じこめる木
第3章 ベラルーシの鳥
もうひとつの放射線環境管理区
何を基準に被害を算定するか
野鳥の聖域
繁栄する湿原
第4章 核の聖域
「自然動物園」の出現
絶滅危惧種の快適な棲みか
食物連鎖の環にしのびこむ放射性核種
第5章 自然に帰る
「動物相」計画
放射能まみれの放牧地に暮らすモウコノウマ
ハーレムの中の序列
野生馬の新しい未来
第6章 苦よもぎの水
水質汚染をふせぐポルダー
苦い水に棲む魚
湖底に積もった放射能の澱
地下水への影響
第7章 定住する人びと
把握できない不法侵入者の数
半合法的に生活する帰村者
健康被害補償の不備
子どもたちに対する援助の質
年に一度の墓参り
第8章 「不自然な自然」の将来
危険すぎる石棺の内部
新シェルターによる封じこめ作戦
子孫に伝えるメッセージ
謝辞
訳者あとがき
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)
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<今日の独り言>
最近隣の駅から歩くようにしています。数ヵ月後に体脂肪率が改善することを期待しています^_^;)
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この本は、1986年4月26日からソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起こった事故についてと、その後のチェルノブイリについて書かれた本です。
ウクライナ系アメリカ人ジャーナリストの著者が、放射線に怯えつつも立ち入り制限区域に入り、取材を重ねた決死のルポルタージュです。
チェルノブイリ原子力発電所事故から20年、通説や想像とはうらはらに、チェルノブイリの土地ではヨーロッパ最大の自然の聖域として息を吹き返し、野生の生物で満ちているようです。放射性物質ですっかり汚染されてはいますが、野生動物が繁栄しているとのことです。驚きました。
この本はチェルノブイリ事故や、その後について詳しく書かれており、ちょうど20年以上経った現在に改めてチェルノブイリ事故について考えるのに良い本だと思います。とてもオススメです。
以下、この本のポイントなどです。
・4号機建屋を突き破った深夜の爆発は、写真に記録されていない。炎や火花や燃えさかる黒鉛の塊が空中に噴出し、やがて北半球全体にまき散らされた。赤々と燃える核燃料や黒鉛の破片が建屋の屋上に落下して30件の火災が発生し、屋上は焼けくずれ、原子炉ホールに落下した。屋上の火災は、防護服も線量計も身につけずに消火作業にあたった消防士37名の手で、夜明けまでに消し止められたが急性放射線症等で31名が死亡。黒鉛火災で何百万キュリーという放射能が放出され、放射能は不気味に輝き、破壊された原子炉の上空を照らしていた。
・当局の話では、避難するのはほんの3日間だった。おそらく、当局もそのつもりだったのだろう。ところがその後、放出される放射能の量は合計すると最初の爆発の5倍にもなることが判明する。黒鉛火災で核燃料が溶融し、広島に投下された原爆数個分に相当する放射能が毎日、10日間にわたって吐き出さされるというのだ。
・チェルノブイリと旧ソ連にあったチェルノブイリ型の原子炉は、チャンネル型黒鉛減速沸騰軽水冷却炉のロシア語の頭文字からRBMKと呼ばれ、黒鉛を減速材に使っていた。黒鉛は鉛筆の芯に使われる純粋の炭素だ。
・水を減速材として使う軽水炉では、冷却水(冷却材と減速材を兼ねる)がなくなったり減ったりすると中性子の速度が速くなりすぎて連鎖反応が止まり、核分裂が停止する。黒鉛炉では、冷却水の流れが遅くなったり水がなくなったりしても、黒鉛が減速材として働きつづける。核分裂は続き、冷却する水がじゅうぶんでないと炉の核分裂連鎖反応は続き、どんどん過熱される。
・発電所独自の安全基準の規則にことごとく違反するめちゃくちゃで軽率な実験がチェルノブイリで行われ、緊急炉心水冷装置のポンプが故意に閉じられた。ポンプが作動しなかったために、通常なら1時間に28トン流れていた冷却水の速度が遅くなり、燃料からますます多くの熱を吸収する。水は沸騰するどころか蒸気にまでなってしまい、数分とたたないうちに蒸気の膨大な圧力で炉心が爆発したのだ。最初の爆発で黒鉛と燃料がTNT火薬30トンから40トンの力で破壊され、もっとも重く、もっとも有害な破片が炉の外に放り出された。
・チェルノブイリの標準的なバックグラウンド線量は、15年の歳月がたった2001年でも、異常のないほかの場所のバックグラウンド線量の10数倍にもなった。その後2004年には、平均で43マイクロレントゲン/時になった。
・1986年4月30日には、私たちが歩いているこの野原の放射線量は30から40レントゲン/時にも達したが、こんな照射線量では、数時間で急性放射線障害を起こし、1日でたいていの人が死んでしまう。原子炉の近辺では、照射線量は少なくとも200レントゲン/時はあった。すくなくとも200というのは、当時手に入った放射線測定器は表示の最大値が200レントゲンのものしかなかったからである。
・4号機は爆発するまで2年間運転されていたので、核分裂生成物というきわめて放射性の高い元素がどっさり詰まっていた。セシウム134と137、ヨウ素131、ストロンチウム89、90で、ほかにはプルトニウム238、239、240、241などだ。
・4月30日に風向きがふたたび南になると、ヘリコプターから5000トンの砂や粘土、鉛、苦灰石を炉心に投げ落としたかいがあって、火災は消し止められたように見えた。放射能の放出はまだ一日で広島の原爆およそ1個分はあったが安定したかと思われた。何とも不可解な話だが5月1日に炉心の温度が上昇し、放射能を吐き出しはじめた。放射能は消化剤の厚い覆いを通り抜けた。炉心の温度が上昇するに連れて(摂氏3千度に達した)燃料が溶融し、ストロンチウムやルテニウム、ジルコニウムなど揮発性の低い元素が気化して南のキエフ方面に流れ出した。
・5月5日はロシア正教会の復活祭の翌日だった。炉心の溶融が激しく、放射線の放出量は事故の初日とほとんど変わらないほど多かった。線量は炉心付近で1000レントゲン/時にせまり、隣の3号炉で60レントゲンを記録する。それから突然、炉心の溶融が止まる。理由は不明。そもそも、炉心の温度が上昇したわけも、誰にもわからないのだ。また今日にいたるまで、事故で炉心のどのぐらいが放出されたのか、正確な量は誰にもわからない。永遠に分からないだろう。
・奇妙に思えるが、現在のチョルノブイリは人間の住むどこの町よりも空気が新鮮だ。車の数はたいてい片手で数えられるし、聞こえてくる音といえばせいぜい鳥のさえずりくらい。これはチェルノブイリ事故の逆説のひとつだが、強制避難が行われて、産業化、森林破壊、農耕、人口流入に終止符が打たれ、ゾーンは環境としてはウクライナでも指折りの清潔な地域になったのだ。放射能を除けば。
・チェルノブイリ事故で最大の被災国はどこかという問いには、ほんとうは、ひとつの政界はないのだ。何を基準にするかでまったく異なり、それは次に示すとおりだ。
●ロシア 汚染された土地の面積が最大
●ウクライナ 放射能にさらされた人数が最大
汚染のレベルが最高
石棺と放射性廃棄物のゴミ捨て場を引き継ぐ
●ベラルーシ 全国土と全人口に対する被災地の面積と被災者の割合が最大
放出された全放射性各種の降下した割合が最大
甲状腺癌の患者数が最多
・哺乳動物の場合と同様に、ゾーンの水系では魚の変異体や奇形はこれまでにひとつも見つかっていない。科学者が首をひねっているが、理由は、哺乳動物で変異体が一頭も現れなかったのと同じかもしれない。変異体は、野生では、生まれたとしても死ぬ、ということだ。また、事故で遺伝子に大きな損傷を受けた動物は、損傷を受けた遺伝子を子孫に受け渡す前に死んだ。正常に生まれて生き延びた動物は、放射能に対して抵抗力があるのかもしれず、子孫はこの特性を受け継いだのだろう。
<目次>
まえがき
第1章 チェルノブイリとニガヨモギ
聖書の預言と結びつけられた原発事故
原子力発電のしくみ
雨とともに降下する放射能
事故直後、大気中で起きていたこと
埋葬された村々
チェルノブイリを訪問するには
第2章 チェルノブイリの四季
冬-赤くなった森
春-植物に入りこむセシウム
夏-ストロンチウムをたくわえるベリー類
秋-放射能を閉じこめる木
第3章 ベラルーシの鳥
もうひとつの放射線環境管理区
何を基準に被害を算定するか
野鳥の聖域
繁栄する湿原
第4章 核の聖域
「自然動物園」の出現
絶滅危惧種の快適な棲みか
食物連鎖の環にしのびこむ放射性核種
第5章 自然に帰る
「動物相」計画
放射能まみれの放牧地に暮らすモウコノウマ
ハーレムの中の序列
野生馬の新しい未来
第6章 苦よもぎの水
水質汚染をふせぐポルダー
苦い水に棲む魚
湖底に積もった放射能の澱
地下水への影響
第7章 定住する人びと
把握できない不法侵入者の数
半合法的に生活する帰村者
健康被害補償の不備
子どもたちに対する援助の質
年に一度の墓参り
第8章 「不自然な自然」の将来
危険すぎる石棺の内部
新シェルターによる封じこめ作戦
子孫に伝えるメッセージ
謝辞
訳者あとがき
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)
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最近隣の駅から歩くようにしています。数ヵ月後に体脂肪率が改善することを期待しています^_^;)