<金曜は本の紹介>
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人びとは、お金のことを、その丸い形から丸と呼び、人差し指と親指で○をつくって、お金を表しました。そして、かつては大金持ちを「持丸長者」と読んでいたようです。
この本は、幕末から明治維新までのその「持丸長者」について、戦国時代からの血筋を含めて詳しく書かれたものです。
その詳しさには驚きますし、よくまとめているなぁと、とても感心する本です。うんちく度数がかなりアップします!
一応、三部作の第1冊目ということですので、2冊目、3冊目もぜひ読んでみたいなぁと思います。まだ2冊目は執筆中とのことです。
なお、私は近江守護・佐々木氏(六角氏)の血筋らしいのですが、この本を読んで、三井財閥の祖と近い血筋ということが分かりました。(現在は三井財閥とはまったく関係ありませんけど・・・^_^;))
ちなみに相方は、甲斐武田氏の血筋のようなので、三菱財閥の祖と近い血筋のようです。(こちらも現在は三菱財閥とはまったく関係ありませんけど^_^;))
以下、この本で面白かったポイントです。
・明治41年(1908)年には、両替商と呉服商にとって代わり、三井・三菱・住友の三大財閥がトップを占め、産業の変化があった。
・両替商は2種類あり、1つは町人や職人を相手に、雑貨屋を兼業しながら、主に銭貨の金融を扱い、偽物を鑑定するような小さな銭両替である。それに対して、鴻池善右衛門、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛、加島屋九左衛門といった大阪の名だたる両替商たちは、幕府や藩の金融機関として大名たちに金を貸し付け、その大名貸の利子によって商家が成り立つほど高利を得ていた。大阪に対して江戸には、両替株という特権を与えられた大手両替商があり、幕末には三井、小野、島田、三谷、竹川、竹原、村田、吉村、永井の9軒が、幕府や諸大名を相手にし、彼らは利益のほかに扶持米として給与の米を支給された。鴻池屋は年に1万石ものふちをもらっていたのだから商人というより、自分が大名である。大名貸の見返りに、両替商は苗字帯刀を許され、町人でありながら武士と同じ待遇も受けられた。
・現代の1万円札を1両とすると、5000円の二分、2500円の一分、1250円の二朱、625円の一朱まで揃っていた。残りは銭貨で細かい勘定をすませた。なお大判1枚は小判約7両で相場変動していた。
・近江長浜村に逃れた浅い長政一族の子孫が大村孫右衛門と名を変え、長政死して63年後に彦四郎という子どもをもうけた。彦四郎は、飛騨高山藩初代藩主となった金森候の木曽材を売る材木商となり、白い素木に因んで「白木屋」を屋号として京都に進出した。それから小間物問屋を開業して呉服と木綿を扱うようになり、江戸へ進出して、江戸の三大呉服商・白木屋となった。
・近江源氏・成瀬の孫である源経方は近江国蒲生郡佐々木荘に居住し、佐々木経方と名乗り、佐々木源氏が誕生した。その孫・佐々木秀義が、源頼朝の叔母を妻に娶って、こおに清和源氏と宇多源氏の血がひとつに流れ込み、2人の間に佐々木定綱が生まれた。この定綱がほかの3兄弟とともに源頼朝に従って平家打倒に挙兵し、鎌倉幕府成立の立役者となるのだが、この定綱兄弟の子孫から、驚くべき集団がぞろぞろと出てきたのである。
○京の3長者・角倉了以
○浅井長政の娘の嫁ぎ先・京極氏(徳川秀忠の義兄弟)
○石見銀山支配者・尼子氏
○尼子氏の家臣・山中鹿之助と、その後裔・鴻池善右衛門
○信長に敗れる六角氏と、その後裔・三井高利
○博多茶人財閥育ての親・黒田官兵衛(黒田如水)
・長崎では、ペリー来航のはるか前から、今日使われている天文学、科学、西洋医学が導入され、近代化の知識が日進月歩のえざましい普及を遂げていたので、密貿易を通じて海外情勢に通じていた佐賀藩と薩摩藩は、アヘン戦争に脅威を覚え、長崎からオランダの技術書を取り入れて知識を積極的に導入し、幕府とは別に、自らの手で工業近代化の扉を開いていた。鍋島直正と島津斉彬は、ずっと後年から見れば薩長土肥の倒幕藩に属するが、この当時は逆であった。この当時に倒幕思想などは日本全土にかけらもなく、佐賀藩と薩摩藩は幕府を第一に立てる雄藩のなかでも、傑出した主役であった。
・1896年に日本のすべての製造業の上位100社の資産額を総計して、その金額の70%を占めたのが紡績業であった。正しくは糸と織物を含めた繊維業である。「持丸長者」という呼び名にふさわしい人間の多くが、繊維業から生まれたのである。
・1859年、長崎・横浜・函館が鎖国を破り、商業貿易港として開港された。すると開港した年には、輸出額の第1位は長崎だったが、開港翌年1860年には輸出総額の84%を横浜が占めてしまい、以後はずっと横浜港が貿易の第1位を占め続けた。輸出品であるお茶や蚕種(蚕の卵)、漆器、陶器、銅、石炭、昆布を含めた輸出総額のうち、開港翌年には生糸が65%を占め、開港4年目には86%が生糸による輸出になるほど、生糸がひとりで莫大な外貨をかせいだ。そのうち、数量、金額とも生糸輸出の99%が横浜に集中したのだから、「横浜の生糸」がそのまま日本の輸出総額に近い数字となったのである。幕末から明治初期にかけて、日本に三井、三菱、住友、安田、古河などの財閥が形成されたのは、全産業の70%を占めたこの繊維業が生み出した資金によるものであった。
・明治2年に早くも日本最初の電信として東京~横浜間に電信が開通した。続いて明治5年に日本最初の鉄道として品川~横浜間が仮開業、続いて新橋~横浜間の鉄道が本格開業した。つまり、電信も鉄道も、横浜が目的地だった。
・廃藩置県によって大名が存在しなくなって一番に驚愕し、青ざめたのは大手両替商であった。大名貸によって巨財があるはずの彼らは、大名がいなくなれば、大名貸しの資産が貸し倒れとなって吹き飛んでしまう。明治政府は1843年以前の藩債つまり大名貸しの借金は全額帳消しにする、と言ったため。こうして大阪では、巨大な資産を失った商人が続出し、日本の台所が一気に日本経済の頂点から転落することになった。
・それでも社会経済学的に、廃藩置県はほかに大きな意味を持っていた。ほぼ300年続いた米本位制を崩壊させることになったのである。豊臣秀吉が天下をとって開始した太閤検地によって確立されたのが米本位制である。秀吉は全国統一の計量基準を定めて米の生産量を正確に測り、これを貨幣価値として、その石高によって大名と土地の格を定めた。その結果、住民基本台帳を作成して住民を土地にしばりける大名・土地・農民の経済支配を確立した。この米本位制が崩れ、300年後の廃藩置県によって新たな中央集権国家となった日本は、藩が所有していた田地の生み出す米という財産を基準とした土地経済から、すべての物品の自由売買を認める貨幣経済に移行したのである。
<目次>
序章 黄金の国ジパング
嘉永元年(1848年)日本持丸長者集
明治8年(1875年)大日本持丸長者委細調大新板
明治41年(1908年)大日本金満家一覧鑑資産額
慶応年間・徳川幕府諸侯格式一覧表
昭和8年(1933年)帝国興信所調査・全国金満家大番付
明治31年(1898年)全国多額納税者互選名鑑
第1章 信玄と家康の遺産
両替商と貨幣製造の系譜
両替商はどこから出たか
江戸幕府の貨幣制度
金座の後藤四郎兵衛と後藤庄三郎
銀座の大黒常是と狩野派の画家たち
本阿弥光悦と俵屋宗達の黄金の世界
京の三長者・角倉了以
京の三長者・茶屋四郎次郎
金座銀座を支配した職人技能
近江国の広大な人脈
浅井長政に発する富商たち
尾形家の雁金屋
赤穂浪士討入事件
銀座事件と江島生島事件
将軍吉宗登場
荻生徂来の炯眼
吉宗の幕府財政建て直し
武田信玄の貨幣制度と甲州財閥
信玄と武田一族による金山衆の囲い込み
近江守護・佐々木氏の子孫たち
鴻池が金融業に進出
第2章 ペリー来航の衝撃
幕末に道を拓いた先人たち
福地源一郎と栗本鋤雲の才筆
歴史から消された先駆者の功績
ジョン万次郎とペリー提督
密議する幕府の前に姿を現した黒船
鍋島閑叟と島津斉彬の千里眼
日本における近代産業の嚆矢
製造業の7割を占めた巨大産業の台頭
生糸輸出が牽引した幕末貿易
横浜輸出貿易が全国一の富を生み出す
生糸輸出商が生み出した郷土銀行
明治産業革命の大動力
近代化を導いた知識伝播の順序
文明開化と安政の大獄
時代に遅れた明治維新の志士たち
小栗上野介の天才
新政府に謀殺された幕末の偉才
第3章 財閥続々と台頭す
維新の志士の経済能力
新政府の財源捻出策
感情を押し殺していた商人たち
三井財閥はどのように誕生したか
明治政府の門閥
誤って伝えられてきた政府要人の功労
渋沢栄一と沼津兵学校
沼津兵学校を出た俊才たち
井上馨・山縣有朋と三井財閥
廃藩置県の大混乱と大手両替商の破綻
三菱財閥はどのように誕生したか
日本郵船による三井と三菱の合体
住友財閥の誕生
鴻池善右衛門と安田善次郎
綿紡績による大阪の再起
島津斉彬の知恵の遺産
第4章 アジアへ進出せよ
政党政治家と財閥の力関係
大名資産が生み出した華族銀行
特権階級と軍閥の誕生
日本の朝鮮支配と竹島の編入
植民地主義拡大の起源
ファシズム台頭の動力
米騒動
外国人の見た明治維新
あとがき
系図人名INDEX
面白かった本まとめ(2006年)
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<今日の独り言>
3歳3ヶ月の息子へ、鉢植えで育てている「グミの木」の実を毎日1個ずつの約束で食べさせていたのですが、我慢できなくなったようで、ついに一気食いして全部食べてしまいました^_^;)やはり子供でした・・・^_^;)
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人びとは、お金のことを、その丸い形から丸と呼び、人差し指と親指で○をつくって、お金を表しました。そして、かつては大金持ちを「持丸長者」と読んでいたようです。
この本は、幕末から明治維新までのその「持丸長者」について、戦国時代からの血筋を含めて詳しく書かれたものです。
その詳しさには驚きますし、よくまとめているなぁと、とても感心する本です。うんちく度数がかなりアップします!
一応、三部作の第1冊目ということですので、2冊目、3冊目もぜひ読んでみたいなぁと思います。まだ2冊目は執筆中とのことです。
なお、私は近江守護・佐々木氏(六角氏)の血筋らしいのですが、この本を読んで、三井財閥の祖と近い血筋ということが分かりました。(現在は三井財閥とはまったく関係ありませんけど・・・^_^;))
ちなみに相方は、甲斐武田氏の血筋のようなので、三菱財閥の祖と近い血筋のようです。(こちらも現在は三菱財閥とはまったく関係ありませんけど^_^;))
以下、この本で面白かったポイントです。
・明治41年(1908)年には、両替商と呉服商にとって代わり、三井・三菱・住友の三大財閥がトップを占め、産業の変化があった。
・両替商は2種類あり、1つは町人や職人を相手に、雑貨屋を兼業しながら、主に銭貨の金融を扱い、偽物を鑑定するような小さな銭両替である。それに対して、鴻池善右衛門、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛、加島屋九左衛門といった大阪の名だたる両替商たちは、幕府や藩の金融機関として大名たちに金を貸し付け、その大名貸の利子によって商家が成り立つほど高利を得ていた。大阪に対して江戸には、両替株という特権を与えられた大手両替商があり、幕末には三井、小野、島田、三谷、竹川、竹原、村田、吉村、永井の9軒が、幕府や諸大名を相手にし、彼らは利益のほかに扶持米として給与の米を支給された。鴻池屋は年に1万石ものふちをもらっていたのだから商人というより、自分が大名である。大名貸の見返りに、両替商は苗字帯刀を許され、町人でありながら武士と同じ待遇も受けられた。
・現代の1万円札を1両とすると、5000円の二分、2500円の一分、1250円の二朱、625円の一朱まで揃っていた。残りは銭貨で細かい勘定をすませた。なお大判1枚は小判約7両で相場変動していた。
・近江長浜村に逃れた浅い長政一族の子孫が大村孫右衛門と名を変え、長政死して63年後に彦四郎という子どもをもうけた。彦四郎は、飛騨高山藩初代藩主となった金森候の木曽材を売る材木商となり、白い素木に因んで「白木屋」を屋号として京都に進出した。それから小間物問屋を開業して呉服と木綿を扱うようになり、江戸へ進出して、江戸の三大呉服商・白木屋となった。
・近江源氏・成瀬の孫である源経方は近江国蒲生郡佐々木荘に居住し、佐々木経方と名乗り、佐々木源氏が誕生した。その孫・佐々木秀義が、源頼朝の叔母を妻に娶って、こおに清和源氏と宇多源氏の血がひとつに流れ込み、2人の間に佐々木定綱が生まれた。この定綱がほかの3兄弟とともに源頼朝に従って平家打倒に挙兵し、鎌倉幕府成立の立役者となるのだが、この定綱兄弟の子孫から、驚くべき集団がぞろぞろと出てきたのである。
○京の3長者・角倉了以
○浅井長政の娘の嫁ぎ先・京極氏(徳川秀忠の義兄弟)
○石見銀山支配者・尼子氏
○尼子氏の家臣・山中鹿之助と、その後裔・鴻池善右衛門
○信長に敗れる六角氏と、その後裔・三井高利
○博多茶人財閥育ての親・黒田官兵衛(黒田如水)
・長崎では、ペリー来航のはるか前から、今日使われている天文学、科学、西洋医学が導入され、近代化の知識が日進月歩のえざましい普及を遂げていたので、密貿易を通じて海外情勢に通じていた佐賀藩と薩摩藩は、アヘン戦争に脅威を覚え、長崎からオランダの技術書を取り入れて知識を積極的に導入し、幕府とは別に、自らの手で工業近代化の扉を開いていた。鍋島直正と島津斉彬は、ずっと後年から見れば薩長土肥の倒幕藩に属するが、この当時は逆であった。この当時に倒幕思想などは日本全土にかけらもなく、佐賀藩と薩摩藩は幕府を第一に立てる雄藩のなかでも、傑出した主役であった。
・1896年に日本のすべての製造業の上位100社の資産額を総計して、その金額の70%を占めたのが紡績業であった。正しくは糸と織物を含めた繊維業である。「持丸長者」という呼び名にふさわしい人間の多くが、繊維業から生まれたのである。
・1859年、長崎・横浜・函館が鎖国を破り、商業貿易港として開港された。すると開港した年には、輸出額の第1位は長崎だったが、開港翌年1860年には輸出総額の84%を横浜が占めてしまい、以後はずっと横浜港が貿易の第1位を占め続けた。輸出品であるお茶や蚕種(蚕の卵)、漆器、陶器、銅、石炭、昆布を含めた輸出総額のうち、開港翌年には生糸が65%を占め、開港4年目には86%が生糸による輸出になるほど、生糸がひとりで莫大な外貨をかせいだ。そのうち、数量、金額とも生糸輸出の99%が横浜に集中したのだから、「横浜の生糸」がそのまま日本の輸出総額に近い数字となったのである。幕末から明治初期にかけて、日本に三井、三菱、住友、安田、古河などの財閥が形成されたのは、全産業の70%を占めたこの繊維業が生み出した資金によるものであった。
・明治2年に早くも日本最初の電信として東京~横浜間に電信が開通した。続いて明治5年に日本最初の鉄道として品川~横浜間が仮開業、続いて新橋~横浜間の鉄道が本格開業した。つまり、電信も鉄道も、横浜が目的地だった。
・廃藩置県によって大名が存在しなくなって一番に驚愕し、青ざめたのは大手両替商であった。大名貸によって巨財があるはずの彼らは、大名がいなくなれば、大名貸しの資産が貸し倒れとなって吹き飛んでしまう。明治政府は1843年以前の藩債つまり大名貸しの借金は全額帳消しにする、と言ったため。こうして大阪では、巨大な資産を失った商人が続出し、日本の台所が一気に日本経済の頂点から転落することになった。
・それでも社会経済学的に、廃藩置県はほかに大きな意味を持っていた。ほぼ300年続いた米本位制を崩壊させることになったのである。豊臣秀吉が天下をとって開始した太閤検地によって確立されたのが米本位制である。秀吉は全国統一の計量基準を定めて米の生産量を正確に測り、これを貨幣価値として、その石高によって大名と土地の格を定めた。その結果、住民基本台帳を作成して住民を土地にしばりける大名・土地・農民の経済支配を確立した。この米本位制が崩れ、300年後の廃藩置県によって新たな中央集権国家となった日本は、藩が所有していた田地の生み出す米という財産を基準とした土地経済から、すべての物品の自由売買を認める貨幣経済に移行したのである。
<目次>
序章 黄金の国ジパング
嘉永元年(1848年)日本持丸長者集
明治8年(1875年)大日本持丸長者委細調大新板
明治41年(1908年)大日本金満家一覧鑑資産額
慶応年間・徳川幕府諸侯格式一覧表
昭和8年(1933年)帝国興信所調査・全国金満家大番付
明治31年(1898年)全国多額納税者互選名鑑
第1章 信玄と家康の遺産
両替商と貨幣製造の系譜
両替商はどこから出たか
江戸幕府の貨幣制度
金座の後藤四郎兵衛と後藤庄三郎
銀座の大黒常是と狩野派の画家たち
本阿弥光悦と俵屋宗達の黄金の世界
京の三長者・角倉了以
京の三長者・茶屋四郎次郎
金座銀座を支配した職人技能
近江国の広大な人脈
浅井長政に発する富商たち
尾形家の雁金屋
赤穂浪士討入事件
銀座事件と江島生島事件
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吉宗の幕府財政建て直し
武田信玄の貨幣制度と甲州財閥
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福地源一郎と栗本鋤雲の才筆
歴史から消された先駆者の功績
ジョン万次郎とペリー提督
密議する幕府の前に姿を現した黒船
鍋島閑叟と島津斉彬の千里眼
日本における近代産業の嚆矢
製造業の7割を占めた巨大産業の台頭
生糸輸出が牽引した幕末貿易
横浜輸出貿易が全国一の富を生み出す
生糸輸出商が生み出した郷土銀行
明治産業革命の大動力
近代化を導いた知識伝播の順序
文明開化と安政の大獄
時代に遅れた明治維新の志士たち
小栗上野介の天才
新政府に謀殺された幕末の偉才
第3章 財閥続々と台頭す
維新の志士の経済能力
新政府の財源捻出策
感情を押し殺していた商人たち
三井財閥はどのように誕生したか
明治政府の門閥
誤って伝えられてきた政府要人の功労
渋沢栄一と沼津兵学校
沼津兵学校を出た俊才たち
井上馨・山縣有朋と三井財閥
廃藩置県の大混乱と大手両替商の破綻
三菱財閥はどのように誕生したか
日本郵船による三井と三菱の合体
住友財閥の誕生
鴻池善右衛門と安田善次郎
綿紡績による大阪の再起
島津斉彬の知恵の遺産
第4章 アジアへ進出せよ
政党政治家と財閥の力関係
大名資産が生み出した華族銀行
特権階級と軍閥の誕生
日本の朝鮮支配と竹島の編入
植民地主義拡大の起源
ファシズム台頭の動力
米騒動
外国人の見た明治維新
あとがき
系図人名INDEX
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)
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3歳3ヶ月の息子へ、鉢植えで育てている「グミの木」の実を毎日1個ずつの約束で食べさせていたのですが、我慢できなくなったようで、ついに一気食いして全部食べてしまいました^_^;)やはり子供でした・・・^_^;)