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僕がワイナリーをつくった理由(落 希一郎)

2009年10月09日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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この本は、1992年に新潟県巻町にワイナリー・カーブドッチを設立した落希一郎さんが書いた本です。

ドイツ国立ワイン学校での修行時代、北海道でのぶどう畑の話もありますが、主にこのワイナリー・カーブドッチ設立までの経緯について書かれています。

 特に、日本では今まで本物のワイナリーがなかったというのには驚きました。本物というのは「欧州系のブドウだけを、自家栽培、自家醸造してワインをつくる」というものですが、日本のワインの8割以上はいまだに輸入のブドウ果汁や輸入ワインそのものを使って作られているし、日本のブドウを使っているものもその9割が食用の品種というのが現状のようです。

ぜひ、このワイナリー・カーブドッチには行ってみて、美味しいワイン等を楽しみたいと思います。

とてもおすすめな本です。


以下はこの本のポイント等です。

・新潟市の南部、日本海に面した角田浜という砂丘地に、7ヘクタールのブドウ畑が広がっています。ここは僕が17年かけていちから作ったワイナリー「カーブドッチ」。年間18万人ものお客様が遊びに来てくれます。

・ブドウ畑では現在、シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニオン、ピノ・ノワール、ツヴァイゲルトレーベ、サンジョヴェーゼなど、欧州系のワイン用ブドウ全14種類、約2万2000本を植え、年間約7万本のワインを生産しています。16年目のワイナリーですから全体的にまだまだ樹が若い方ですが、それでも、たとえば10年を過ぎて自分の足の太さくらいになったカベルネの樹のブドウは、ようやく個性と言えるようなものが出てきたところ。

・ワイナリーの散策にちょっと疲れたら、敷地内に点在するレストランで食事も楽しめます。僕はワインを作っていますが、そもそもワインは料理を美味しくするためのもの、という考えです。ワインに合う欧風料理に加え、ドイツで製法を学んだうちの職人が「越後もち豚」を使って作った本格ソーセージ・ベーコンや、前日からタネを仕込み、翌朝4時から薪の石釜でじっくり焼いた自前酵母の焼きたてパンなど、すべてが時間をかけて丁寧に手作りしたもの。もちろんワインにもぴったり合うものばかりです。さらにはワインだけでなく、テラスで庭や畑を眺めながらのんびりお茶を楽しむ人もいます。本格的な音響施設の小ホールがあるので、ときおり国内外のアーティストを招き、小規模なコンサートを開きます。芝生の美しい中庭では、週末に結婚式のガーデンパーティが開かれたりもしますので、春から秋はとくに賑やか。収穫時期には、お客様や地元の農家の方々と一緒にワイナリー全体で収穫祭も開きます。

・父は、山奥の営林署に勤めていたので、秋になると薪用の木材がたくさん至急されました。父と一緒に薪割りしたり、火の付け方、灰の片付け方を教わったり。薪を燃やす生活が当たり前の、楽しい少年時代を過ごしました。今、自然相手のワイン作りを心から楽しめるのも、幼い頃、自然の中で育った環境の影響でしょう。

・叔父の繊維卸しの仕事を手伝いながら待つこと3年半、ついに留学先が決まりました。旧西ドイツの南部・シュツットガルトにある国立ワイン学校です。ここに決まったのは、叔父が他の商用で旧西ドイツを訪ねたのがきっかけ。欧州北限のブドウ産地であるドイツでワイン作りを学べば、北海道でも役に立つと考えたようです。当時僕は26歳。ワインはおろか、ドイツ語すらさっぱり分かりませんでしたが、とにかく広い世界に出て、人と違ったことを学びたい一心で出発しました。

・では、日本ではなぜ長いことワインに食用ブドウばかりが使われていたのでしょうか。文献を調べてみると、明治の初期には明治政府が欧州種のワイン用ブドウ苗を輸入し、全国各地の官営の農場で試験栽培していたという記録があります。しかし、これらはその当時ヨーロッパで大発生した害虫(フィロキセラ)が原因でほぼ全滅してしまいました。結果、対応策として当時既に国内で栽培のはじまっていた食用ブドウからワインを醸造することが考えられ、いつしかこれが主流になったのです。このことがなければ、もしかしたら今頃日本は世界有数のワイン生産国になっていたかもしれません。

・ワイン用のブドウは、長年にわたる品種改良を重ねた結果、粒が小さく皮が柔らかく、押すとすぐに潰れます。潰したり搾ったりするワイン作りの工程を考えて改良されてきたからです。しかも果汁だけで果肉がほとんどなく、糖度が非常に高い。食べるブドウの1.5倍くらいの糖度です。余談ながら、ワイン用ブドウを生で食べると最初のひと口は良いのですが、そのうち甘すぎてべとべとしてきます。これぐらいの糖度がないとワインに必要なアルコールが得られませんし、ワインにしたときに風味が出ないのです。ご存知の通り、ワインのアルコール度数は12%前後ですが、食用のブドウでワインを作ると7~8%程度のアルコール分にしかなりません。

・地図やデータをもとに検証すればするほど、新潟の巻町の気候、地勢、土壌のいずれもがボルドーとよく似ていました。広さも十分です。まるであたかも用意されていたかのように、忽然と理想の土地が出現したのです。僕はここを自分のワイナリーの地と定め、長年の夢だった”本物”のワイナリーを開くために、動きはじめました。

・最初の数年は出資を募って増資の形で資金調達をしなければなりません。友人知人、未知の人も含め、何百人もの方々に手紙を書き、電話をしました。同時に、地元新潟の事業家などにも当たっていきました。ただし人脈はまったくありませんでしたから、県内の長者番付に載っている事業家に片っ端から飛び込みで出資をお願いに回ったのです。地元の事業家の方々を説得する際、力を入れたポイントは、
 ・新潟のためになる事業である
 ・日本で唯一の事業である
という2点でした。新潟の地域振興にもなり、出資者自身も誇れるような日本で唯一の事業内容であることを分かってもらうことが、なにより重要だと考えたのです。しかし実際、初対面での出資の依頼はとても厳しいものでした。まずは会見を断られるのが当たり前、で、運がよければ合っていただける。さらに運がよければ、話を聞いていただける。そしてそこから出資に結びつくのは、アクションをかけたうちのほんの一握りです。それでも自分が信念をもってやっていることでしたから、ちっとも苦労だとは思いませんでした。そうやって、本当にコツコツと100万円単位からの出資が集まっていきました。

・人に何かを広める時はシンプルが一番。ややこしいものはダメ。一人1万円で、毎年1本のワインを10年間プレゼントするというのはどうだろう。要は数字を全部1で統一したのです。試算ではなんとか上手く納まる、そして、出資していただいた会員の方々と毎年1本のワインで10年間つながることができる。1年近く練りに練ったこのアイデアは、「ヴィノクラブ」という名前で正式にスタートさせ、93年4月に出した5号目のニューズレターで会員を募りはじめました。

・「カーブドッチ」には、万人受けしないという点で言える特徴がさらにあります。敷地内には食事できる場所が全部で4ヶ所ありますが、そのうち「カーブドッチレストラン」と「薪小屋」の2店は小学生未満の子どもの入店を遠慮してもらっているのです。理由は簡単、子供の騒ぐ声が聞こえない、静かな食事場所をきちんと確保したかったからです。もちろん、中には躾のしっかりされている行儀のいい子供もいます。でも、そうでない子供がいた場合、あちらはよくてこちらはダメとは言えません。だからすべての方にご遠慮願っているのです。

・数十軒、数百軒が一度に回れるワイン地帯ともなれば、当然買い手は飲み比べができるから楽しいし、地域自体、わざわざ出かける価値が出てくる。僕はここ新潟市角田浜の一帯を、ナパのような互いに刺激し合い高め合える素晴らしいワイン地帯にしていきたいし、そういう協業地帯になると期待しているのです。本格的なワイン地帯になるには次の次の世代までかかるかもしれません。100年経ったとき、僕の志を継ぐ人たちがあちこちにいてワイン畑が大きく広がり、それぞれ個性的なワイナリーが増えていることを夢に描いています。

<目次>
はじめに
カーブドッチ全景
第1章 僕がワイナリーを作った理由
第2章 ドイツ国立ワイン学校での修行時代
第3章 ついに見つけたワイナリー建設の地
第4章 僕の夢にお金を出してくれる人がいた
第5章 自然と一体化した農場、レストラン
第6章 人が財産の組織作り
カーブドッチの仲間たち
第7章 地域と共に育つ企業へ
カーブドッチの風景
日本ワイン醸造家協議会の設立をもくろむ
-あとがきに替えて-

面白かった本まとめ(2009年上半期)


<今日の独り言>
・レストランのお子様ランチのおもちゃで、ダーツを選んで5歳の息子は大喜び。磁石式で、何度も遊びます。それにしても真ん中の100点は難しい・・・^_^;)

コメント
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