<月曜はお勧めなおはなし>
名古屋城は、織田信長誕生の城とされる那古野城の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城した城です。
その元の那古野城は、1532年に織田信長の父である織田信秀が今川氏豊から奪取したものとのことです。
信秀は一時期この城に居住し、のちに信秀は古渡城に移り、那古野城は信長の居城となりましたが、1555年信長が清須城(清洲城)に本拠を移したため、廃城とされたようです。
徳川家康による名古屋城築城は、加藤清正、福島正則、前田利常など北国・西国の諸大名20名が普請を命じられ、完成後は、徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されます。
しかし、大小天守や櫓、御殿の一部は名古屋大空襲(1945年5月14日)によって焼失してしまったとのことです。
なお、1959年に天守などが復元され、現在城跡は名城公園として整備されています。
その名古屋城へ自転車で行って来ました!
ここのお城はかなり大きく、入口を間違えて、お堀を大回りしてしまいましたね^_^;)
↑お堀のある名古屋城
しかし、城内には名古屋おもてなし武将隊の一人がいてビックリしました!
名古屋おもてなし武将隊とは、開府400年に合わせて名古屋の魅力を全国に伝えるため、名古屋にゆかりのある武将6人(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・加藤清正・前田利家・前田慶次)と4陣笠隊で結成されたもので、主な活動内容としては、毎日、名古屋城にて観光客のお出迎え・観光案内・記念撮影などの「おもてなし」を行っているとのことです。
いきなり、「お主は、けったいの格好やのう?」と言われるので、「自転車で東京から来て、京都を目指しているんです・・・」と言うと、「江戸からか?」とのこと。すっかり、武将になりきっています^_^)
そして、「拙者は徳川家康と申す」とのことで、旅の無事を祈って固く固く、握手をしてもらい、記念写真を撮りました。
とても嬉しかったです!
後で、「お主の晩年過ごした駿府城や、生まれた岡崎城、長年過ごした浜松城へ行って来たぞ・・・」と言えば良かったと、少し後悔しました^_^;)
↑名古屋おもてなし武将隊の徳川家康
それから、この徳川家康公は、外国人観光客に日本語が通じないと分かると、英語で武将らしく話をしていたのには驚きましたね。
さすが、おもてなし武将隊です!
この武将隊は良い企画だと思いましたね!
また、近くには「はち丸」もいました。
↑はち丸
以下の写真は名古屋城ですが、とにかく大きくて立派ですね!
また、石垣の勾配が素晴らしいです!加藤清正が造ったとのことです。
↑桜の名古屋城
↑石垣の勾配が素晴らしい名古屋城
↑近くからの名古屋城
それから、以下が天守閣の構造と、案内です。入場料は500円でした。
↑天守閣の構造
↑天守閣の案内
それから、名古屋城で最も名高いものは金鯱ですね!
火除けのまじないでしたが、城主の権威の象徴として大棟に飾られたようです。
かなりの大きさです!
↑金鯱
それから、以下は天守閣7階からの風景です。
さすがに眺めが良いですね!
↑天守閣7階からの眺め
↑天守閣7階からの眺め
↑天守閣7階からの眺め
↑天守閣7階からの眺め
それから、焼失前の名古屋城の写真がありましたが、焼失前もかなり立派だったということがよく分かります。
↑焼失前の名古屋城
また、焼失後の名古屋城跡の写真もありますが、無残にも何もありません!!
↑焼失後の名古屋城跡
名古屋城は見学は、名古屋おもてなし武将隊もいますし、とてもオススメです!!
大きな地図で見る
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<今日の独り言>
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名古屋城は、織田信長誕生の城とされる那古野城の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城した城です。
その元の那古野城は、1532年に織田信長の父である織田信秀が今川氏豊から奪取したものとのことです。
信秀は一時期この城に居住し、のちに信秀は古渡城に移り、那古野城は信長の居城となりましたが、1555年信長が清須城(清洲城)に本拠を移したため、廃城とされたようです。
徳川家康による名古屋城築城は、加藤清正、福島正則、前田利常など北国・西国の諸大名20名が普請を命じられ、完成後は、徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されます。
しかし、大小天守や櫓、御殿の一部は名古屋大空襲(1945年5月14日)によって焼失してしまったとのことです。
なお、1959年に天守などが復元され、現在城跡は名城公園として整備されています。
その名古屋城へ自転車で行って来ました!
ここのお城はかなり大きく、入口を間違えて、お堀を大回りしてしまいましたね^_^;)
↑お堀のある名古屋城
しかし、城内には名古屋おもてなし武将隊の一人がいてビックリしました!
名古屋おもてなし武将隊とは、開府400年に合わせて名古屋の魅力を全国に伝えるため、名古屋にゆかりのある武将6人(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・加藤清正・前田利家・前田慶次)と4陣笠隊で結成されたもので、主な活動内容としては、毎日、名古屋城にて観光客のお出迎え・観光案内・記念撮影などの「おもてなし」を行っているとのことです。
いきなり、「お主は、けったいの格好やのう?」と言われるので、「自転車で東京から来て、京都を目指しているんです・・・」と言うと、「江戸からか?」とのこと。すっかり、武将になりきっています^_^)
そして、「拙者は徳川家康と申す」とのことで、旅の無事を祈って固く固く、握手をしてもらい、記念写真を撮りました。
とても嬉しかったです!
後で、「お主の晩年過ごした駿府城や、生まれた岡崎城、長年過ごした浜松城へ行って来たぞ・・・」と言えば良かったと、少し後悔しました^_^;)
↑名古屋おもてなし武将隊の徳川家康
それから、この徳川家康公は、外国人観光客に日本語が通じないと分かると、英語で武将らしく話をしていたのには驚きましたね。
さすが、おもてなし武将隊です!
この武将隊は良い企画だと思いましたね!
また、近くには「はち丸」もいました。
↑はち丸
以下の写真は名古屋城ですが、とにかく大きくて立派ですね!
また、石垣の勾配が素晴らしいです!加藤清正が造ったとのことです。
↑桜の名古屋城
↑石垣の勾配が素晴らしい名古屋城
↑近くからの名古屋城
それから、以下が天守閣の構造と、案内です。入場料は500円でした。
↑天守閣の構造
↑天守閣の案内
それから、名古屋城で最も名高いものは金鯱ですね!
火除けのまじないでしたが、城主の権威の象徴として大棟に飾られたようです。
かなりの大きさです!
↑金鯱
それから、以下は天守閣7階からの風景です。
さすがに眺めが良いですね!
↑天守閣7階からの眺め
↑天守閣7階からの眺め
↑天守閣7階からの眺め
↑天守閣7階からの眺め
それから、焼失前の名古屋城の写真がありましたが、焼失前もかなり立派だったということがよく分かります。
↑焼失前の名古屋城
また、焼失後の名古屋城跡の写真もありますが、無残にも何もありません!!
↑焼失後の名古屋城跡
名古屋城は見学は、名古屋おもてなし武将隊もいますし、とてもオススメです!!
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