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「人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病(上)(ダニエル・E・リーバーマン)」という本はとてもオススメ!

2016年09月23日 01時00分00秒 | 
「人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病(上)」の購入はコチラ

 「人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病(上)」という本は、約600万年の直立歩行からの人類の進化について科学的にまとめたもので、その進化のミスマッチによる現在の慢性病などの疾病や、その進化を踏まえて健康になるためのヒントについて書かれていて、非常に興味深い内容となっています♪

 人間の身体の物語は以下の5つの主要な変化にまとめられるようです。

第一の変化:最初の人間の祖先が類人猿から分岐して、直立した二足動物に進化した。

第二の変化:この最初の祖先の子孫であるアウストラロピテクスが、主食の果実以外のさまざまな食物を採集して食べるための適応を進化させた。

第三の変化:約200万年前、最古のヒト属のメンバーが、現生人類に近い(完全にではないが)身体と、それまでよりわずかに大きい脳を進化させ、その利点により最初の狩猟採集民となった。

第四の変化:旧人類の狩猟採集民が繁栄し、旧世界のほとんどの地域に拡散するに連れ、さに大きな脳と、従来より大きくて成長に時間のかかる身体を進化させた。

第五の変化;現生人類が、言語、文化、協力という特殊な能力を進化させ、その利点によって急速に地球全体に拡散し、地球上で唯一生き残ったヒトの種となった。

 また、最近の数百世代を振り返ってみれば、以下の二つの文化的変化が人間の身体に決定的に重要な影響を及ぼしているとのことです。

第六の変化:農業革命。狩猟と採集に代わって農業が人々の食料調達手段となった。

第七の変化:産業革命。人間の手仕事に代わって機械が使われるようになった。

 特にナルホドと思ったのは、人間は他の動物と違って体毛がほとんどありませんが、それは暑い日でも長距離を走れるように汗を出して体を冷やすことができるためのようです。

 毛があると保温してしまいますからね。
なので暑い日でも約42kmのマラソンを走れ、そして太古の昔は狩りでは長距離を走り、毛に覆われた草食動物が長距離を走って体温上昇で疲れて動けなくなった時に、仕留めていたのかもしれません。
逆に言うと、健康のためには暑い日でも長距離を歩いたり走ったりして汗をかくことが大切なのかもしれません。

本書は、上下巻に分かれる大書ですが、健康のためにも興味深い内容がたくさんあることから、それぞれこのブログで紹介したいと思います。

以下は本書の上巻のポイント等です。
「人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病」という本は、とてもオススメです♪

・人類の進化の歴史には本当の意味でのミッシング・リンク、すなわち進化史のとくに土台となる種でありながら、記録の中で完全に失われている未発見の種が一つある。それが、人類と類人猿の最終共通祖先(last common ancestor:LCA)だ。じつにもどかしいことに、この重要な種については、いまのところ何も分かっていない。チンパンジーやゴリラと同様に、LCAも十中八九、ダーウィンの推測どおりにアフリカの熱帯雨林に生息していたと思われる。ところがそこは、骨の保存、ひいては化石記録の生成にはまったく不向きな環境なのだ。林床に落ちた骨は、たちまち腐敗して風化する。そのため、チンパンジーやゴリラの系統に関して情報を提供してくれる化石遺物はほとんどなく、LCAの化石遺物が発見される可能性もきわめて低い。

・LCAがいつ、どこに生息していたのか、そしてどのようなものであったかは、人類の系統樹について現在わかっていることと考えあわせながら人類と類人猿の類似点と相違点を注意深く比較することによって、ある程度の妥当な推測はできる。アフリカ類人猿には、3つの生存種が存在し、その中で人類はゴリラよりも、チンパンジー属の二つの種(チンパンジーとボノボ)に近いことがわかる。膨大な遺伝子データに基づいて、人類とチンパンジーの系統がおよそ800万年前から500万年前に分岐したことも示している。(正確な時期についてはいまも議論が続いている)厳密にいうと、人類というのは分類学的には「ヒト亜属」といって、類人猿の系統のなかの部分集合であり、チンパンジーなどの類人猿よりも現在生きている人間に近いすべての種と定義される。私たちが進化上でチンパンジーと特に近い類縁関係にあるという事実は、この系統樹の解明に必要な分子レベルの証拠が入手できるようになった1980年代に、科学者に驚きをもって迎えられた。

・気候変動は大昔から、それこそ私たちが類人猿から分岐した時期を含めて、ずっと人類の進化に影響を与えてきた要因の一つだった。1000万年前から500万年前までの期間に注目してみると、地球全体の気候はかなり寒冷化している。この寒冷化は何百万年前もかけて起こったもので、比較的温暖な寒冷な時期との揺れが絶えず続いてはいたが、その全体的な影響として、アフリカでは熱帯雨林が収縮し、疎開林帯が拡大した。さて、もしあなたがLCA-身体の大きな果実食の類人猿-で、この時代に生きているとしたら、と想像してみよう。熱帯雨林の真ん中で暮らしていたのなら、おそらくこうした異変にはほとんど気づかなかっただたろう。しかし、運の悪いことに森のはずれで暮らしていたなら、この変化をとてもストレスに感じたに違いない。周囲の森が縮小し、木がまばらな疎開林になっていく。大好物の熟した果実が以前ほど豊富でなくなり、あちこちに分散して、しかも一定の季節にしか得られなくなる。こうした変化のために、あなたはときどき、これまでと同じ量の食物を手に入れるために遠くへ出かけなくてはならなくなる。いざというときにしか食べないような、代替食に頼る回数も増えるだろう。そうした食物ならふんだんにあるが、熟した果実のような望ましい食物に比べて、質は劣る。チンパンジーの典型的な代替食は、繊維の多い植物の茎や葉に、さまざまな草などである。そして気候変動の証拠から察するに、最初の人類はチンパンジーよりも、こうした食物を探して食べなければならない必要性に、何度も、強く、迫られていたようだ。ひょっとすると、最初の人類の生活は、チンパンジーよりもオランウータンに近かったのかもしれない。オランウータンの生息環境は、チンパンジーの生息環境よりも食料が潤沢にあるとは限らず、したがって果実が手に入らないときは、非常に固い茎や、樹皮さえ食べなくてはならない。

・まず、二足歩行の明らかに有利な点は、二足で立ち上がると、ある種の果実をかき集めるのが容易になるということだ。たとえばオランウータンは、樹上で食事をするときに、ほぼ直立することがある。第二の利点は、もっと意外なものだが、おそらくもっと重要なものである。日本の脚で立って歩くことにより、初期の人類は、移動時のエネルギーを節約できていたかもしれないのだ。LCAは丸めた指の真ん中の関節で前肢を支えるナックル歩行をしていたと思われる。ナックル歩行というのはなんとも奇妙な四足歩行で、エネルギー的にもコストが高い。実験室で、チンパンジーに酸素マスクを装着させてルームランナーを歩かせてみたところ(二足と四足のいずれかで)、その消費エネルギーは、人間が同じ距離を歩いた場合の4倍(!)にも達していた。こうした尋常ではない差が生じるのは、チンパンジーの脚が短いこと、身体が左右に揺れること、腰と膝をつねに曲げて歩くことが原因だ。結果として、チンパンジーはつんのめったり転んだりしないように、背中、腰、大腿の筋肉を収縮させるから、多大なエネルギーを絶えず消耗することになる。チンパンジーが1日にわずか2キロから3キロほどと、比較的短い距離しか移動できないのも不思議ではない。人間なら、同じ量のエネルギーで8キロから12キロは移動できる。したがって、もし初期の人類が腰や膝を伸ばしたままで、さほどぐらつきもせずに二足歩行できていたのなら、ナックル歩行をしているいとこたちよりも、エネルギー面で相当に有利だったに違いない。同じエネルギーで、より遠くまで移動できるということは、熱帯雨林が収縮して細切れになり、土地が開け、望ましい食物がますます分散して手に入りにくくなった時期に、じつに有益な適応だったはずだ。

・アウストラロピテクスは、およそ400万年前から100万年前にアフリカに住んでいた。化石記録が大量に残っているおかげで、彼らのことはかなり詳しくわかっている。もっとも有名な化石はもちろん、かの魅力的な女の子、ルーシーだ。小柄な少女で、320万年前のエチオピアに暮らしていた。本人にとっては不幸なことに(しかし私たちにとっては幸いなことに)、ルーシーは沼地で死亡し、すぐに遺体全体が埋もれ、その結果、骨格の3分の1あまりが残ることとなった。ルーシーは、数多く残っているアウストラロピテクス・アファレンシスという種の化石の一つだ。アウストラロピテクス・アファレンシスは、400万年前から300万年前にアフリカ東部に暮らしていた。アウストラロピテクス・アファレンシスも、10種ほどあるアウストラロピテクスの一つの種にすぎない。人類がホモ・サピエンス一種しか存在しない現代と違って、昔はいつの時期でも複数の種が共存しており、アウストラロピテクスはとりわけ多様性に富んでいた。アウストラロピテクスは大きく二つのグループに分ける方法がとられている。歯が小さい華奢型と、歯が大きい頑丈型だ。

・典型的なアウストラロピテクスの母親が、仮に体重30kgとして、チンパンジーの母親より二倍も多い、一日6キロの距離を移動しなければならなかったとしよう。アウストラロピテクスの母親が人間の女性くらい効率よく歩けたら、一日およそ140キロカロリーが節約できることになる。チンパンジーに比べて50%ほど効率がいいだけでも、節約できるカロリーは1日70キロカロリーになる。食物が乏しいときには、この差が自然選択に大きくものをいったはずだ。

・直立歩行がもたらす最大の不利益は、ギャロップでの全力疾走ができないことだ。アウストラロピテクスも間違いなくのろまだっただろう。大胆にも木から降りていけば、そのたびに、開けた土地で獲物をを狩るライオンやサーベルタイガーやチーターやハイエナといった肉食動物にすぐに目をつけられたに違いない。しかしアウストラロピテクスは汗をかけたから、ひょっとするとそれらの捕食者がうまく体温を下げられなくなる真昼ごろまで待機して、それから動き回ったのかもしれない。一方、利点として挙げられるのは、直立して歩き回るため食料を持ち運ぶのが容易になること、そして直立姿勢のために直射日光にさらさっる表面積が少ないことだ。つまり二足動物は四足動物よりも太陽放射による体温上昇が抑えられるのである。二足動物であることの最後の大きな利点は、ダーウィンが強調しているように、両手が解放されて、穴堀りなどの別の作業に使えるようになったことだ。地下貯蔵器官は地面の奥深くにあることも珍しくなく、棒を使って掘り出すのに2、30分かかる重労働である。しかしアウストラロピテクスにとって、穴掘りはなんら問題ない作業だったのではないだろうか。彼らの手の形状は類人猿と人間の中間のようなもので、類人猿より親指が長く、ほかの指が短い。だから棒もうまく握れたはずだ。棒を使っての穴掘りが普通にできるように自然選択の力が働いたことが、のちの石器の製作と使用の選択につながる土台を作ったのかもしれない。

・260万年以上前の遺跡から、切り傷がついた動物の骨が出土している。その傷は、肉を切り離すのに単純な石器を使ったときについたものだ。内部の髄を取り出すために砕いたのだろうと明らかにわかる傷がついた骨もあった。つまりこれは、人類が少なくとも260万年前には肉を食べ始めていたというれっきとした証拠だ。どのくらいの量の肉を食べていたかは推測するしいかないが、今日、熱帯地方の狩猟採集民の食生活において肉は約3分の1を占めている(温帯地域では肉と魚の消費量がさらに多い)。加えて、今日でもチンパンジーや人間は肉が大好きなのだから、当時の狩猟採集民も同じように肉を食べたがっていたはずだ。そして、それにはもっともな理由がある。レイヨウのステーキを食べれば、同じ量の人参を食べたときの5倍ものエネルギーが得られ、必須タンパク質と脂肪分も摂れるのだ。さらに、肝臓、心臓、髄、脳といった動物のほかの器官にも、脂肪をはじめとして、塩分、亜鉛、鉄分などの不可欠な栄養素が詰まっている。肉は栄養の宝庫なのだ。

・オスのチンパンジーはまったくといっていいほど食べ物を分けないし、自分の子にも絶対に分けない。ところが狩猟採集民は結婚し、夫が妻と子に食料を供給するというかたちで多大な投資をする。現代の狩猟採集民の男性は、狩猟によって1日3000キロカロリーから6000キロカロリーを手中にできる。自分と家族の分を除いてもなお余るほどだ。大きな獲物をしとめたときは、その肉を仲間全員に分け与えるが、それでも最大の取り分は家族に与える。さらに男性は、授乳や細やかな世話が必要な幼児を抱えた妻がいる場合、通常以上に頻繁に狩りをする。その代わり、妻の植物採集への依存度も高い。とくに長時間の狩りが不首尾に終わって、腹をすかせて手ぶらで帰ってきたときなどは、妻が集めてきた食料だけが頼りになる。したがって初期の狩猟採集民も、食料分配には大いに助けられていたに違いない。もし男女が互いに食料を供給し、さまざまな面で協力しあうことがなかったら、彼らはとうてい生き延びられていなかったのではないだろうか。食料分配はもちろん配偶者間や親子間だけでなく、集団の仲間うちでも行われる。仲間どうしの密接な社会的協力が、狩猟採集民の間ではかくも重要だということだ。そうした協力関係の一つの基本的な形態が、拡大家族である。狩猟採集民の研究によれば、母親の採集した食料だけでは足りない分は、祖母、姉妹、いとこ、おばが手当てする。なかでもとくに重要な役割を果たしているのが祖母であり、この経験豊富な先輩採集者は、通常、世話の必要な幼児を抱えていないことも手伝って、きわめて有能な助っ人となる。実際、人間の女性が出産可能な年齢を過ぎたあとまで長生きできるように自然選択の力が働いたのは、祖母として娘や孫への食料供給を手伝えるからだった、という説もあるほどだ。祖父、おじなどの男性陣も、ときには同じように手を貸してくれる。食料分配をはじめとするさまざまな協力形態は、家族の枠の外にも大きく広がる。狩猟採集民の母親は互いに助け合って子供に目を配るし、男性は家族にだけでなく、ほかの男性にも広く肉を分け与える。誰か一人が狩りで100キロ以上もあるようなレイヨウなどの巨大な獲物をしとめると、その肉は仲間全員に分配される。この類の分けあいは、ただ単に親切にしようとか、肉無駄にしないようにという意図でなされるのではない。これは空腹のリスクを低減させるための必須戦略なのだ。いつ狩りに行っても大きな動物をしとめられるなんて可能性は、確率にすればきわめて小さい。しかし、自分が狩りに成功したときに肉を分けておけば、空振りだったときに仲間から肉をもらえる確率が高くなるのである。また、狩りは単独でなく集団で行われることもある。そのほうが狩りの成功率が高まるからでもあり、獲物を持ち帰るのに助けあえるからでもある。

・ホモ・エレクトスの成人は、現代の大半の狩猟採集民とほぼ同じ体格で、必要とするカロリーも同程度、住んでいる環境も似たようなものだから、彼らもまた十分な食料を見つけるために、暑い野外で日々同じくらいの距離を歩いていたに違いない。そして案の定、この長距離徒歩移動の遺産は人間の身体のあちこちに、一連の適応として刻みつけられている。これらの適応は初期ホモ属において発生し、彼らをアウストラロピテクスよりさらに優秀な長距離歩行者にするのに役立った。なかでももっとも顕著な適応は、長い脚である。典型的なホモ・エレクトスの脚は、体格の違いを調整すると、アウストラロピテクスの脚よりも10%から20%長い。脚の長さが極端に違う二人の人間が並んで歩けば、脚の長い人のほうが一歩進むごとにどんどん先へ行く。ある一定距離において身体を動かすコストは歩幅によって決まるから、脚が長いほど歩行コストは小さくある。いくつかの試算では、脚の長いホモ・エレクトスの移動コストはアウストラロピテクスに半分ほどになるという。とはいえ、長い脚にも短所はある。それは木登りが不得意になることだ。

・私たちが初期のホモ属から受け継い長距離歩行中も身体を涼しく保つための適応のうち、とりわけ感心するのが高い鼻だ。アウストラロピテクスの顔を調べてみるとそこには明らかに、類人猿やほかのほ乳類と非常によく似た平たい鼻がついていたことが伺える。しかし、ホモ・ハビリスやホモ・エレクトスには外側に向けて曲がった鼻腔の縁が残っている。これは人間と同様の顔から突き出た外鼻があった証拠だ。この人間独特の高い鼻は、魅力的に映るというほかに、鼻腔内に吸い込んだ空気に乱流を発生させることで体温調節に重要な役割を果たしてもいる。類人猿や犬が鼻から空気を吸い込むと、気流は鼻孔から鼻腔まで一直線だ。しかし人間の鼻呼吸では、空気は鼻孔から入って上にあがり、直角に曲がったあと、また別の一対の弁を経由して鼻腔に達する。これらの独特な流れによって、空気に無秩序な渦巻きが発生する。この乱流のおかげで、肺は少々がんばって働かなくてはならないが、鼻腔に入ってきた空気は鼻腔内の表面を覆う粘液の膜とたくさん接触できることになる。粘液には水分がたっぷり含まれているが、粘度はあまり強くない。したがって外鼻から乾燥した熱い空気を吸い込んでも、そのあと生じる乱流の働きによって空気は鼻腔内の粘液としっかり接触し、十分に湿気を帯びることができる。この鼻腔内での加湿には重要な意味がある。吸い込まれた空気が水分で飽和されていないと、その空気の送られる肺がからからに乾燥してしまうからだ。そしてもう一つ重要なことに、鼻から息を吐き出すときにも、やはり鼻腔内の乱流のおかげで、鼻はその湿気をふたたび取り込めるようになっている。初期ホモ属における大きな外鼻の進化は、暑くて乾燥した環境のもとでも脱水症状を起こすことなく長い距離を歩けるようにするために、自然選択の力が働いた強力な証拠なのである。

・狩猟採集民は何百万年と腐肉漁りをしてきたが、考古学上の証拠から、少なくとも190万年前には、初期ホモ属がヌーやクーズーといった大型動物の狩猟も始めていたことがわかっている。しかしながら、初期ホモ属の狩猟民が獲物に接近できるぐらい早く駆け寄れたとはまず考えられないし、すぐそばまで忍び寄ることができたとしても、狙った獲物に足で蹴られたり、角や牙で突き刺されたりするリスクがあった。この問題を解決する手段として提唱してきたのが、「持久狩猟」と呼ばれる持久走にもとづいた古代の狩猟方法だ。この持久狩猟は、人間の走行の二つの基本的な特徴を利用している。まず人間は、四足動物なら速歩(トロット)から襲歩(ギャロップ)へと切り替えなくてはならないぐらいのスピードで長距離を走れる。次に、走っている人間は発汗作用によって体温を下げられる。一方、四足動物は浅速呼吸(あえぐように息をすること)によって体温を下げるのだが、ギャロップで駆けている間はそれができない。従って、全速力で走っている人間よりシマウマやヌーのほうがずっと速く走れるとしても、人間は自分たちより足の速いそれらの動物を猛暑の中での長時間のギャロップに追い込んで、体温を限界以上に上昇させ、倒れたところでとどめを刺すことができる。これがまさしく持久狩猟のやり方だ。狩猟者に必要なのは、走ったり歩いたりしながら長距離(ときに30km程度)を踏破できる能力と、開けた環境を通りながらずっと跡をたどっていける賢さと、狩猟の前後に飲み水を確保できるようにすることだけだ。弓矢が発明され、さらに網などの技術や狩猟犬、銃なども登場して、持久狩猟hめったに見られなくなったが、それでもアフリカ南部のサン族、南北アメリカのネイティブアメリカン、オーストラリアのアボリジニなど、世界各地の部族の間では、最近でも持久狩猟が行われていた記録がある。

・人間の走りを助ける極めて重要な適応の一つは、浅速呼吸ではなく発汗によって体温を下げられるという独特の能力である。これは人間に柔毛がなく、代わりに無数の汗腺があるおかげだ。たいていのほ乳類は掌(足裏)にしか汗腺がないが、類人猿と旧世界ザルはほかの部位にも多少の汗腺があり、さらに私たちは人類の進化のどこかの段階で、汗腺の数を500万個から1000万個と飛躍的に増やした(訳注:通例200万~500万個とされる)。人間は体温が上昇すると、汗腺から汗が体表面に分泌される。この汗のほとんどは水分で、それが蒸発するときに皮膚を冷却し、その下を流れる血液の温度も下げるので、結果的に全身の温度が下がる。人間は1時間に1リットル以上の汗をかくこともあり、それだけ発汗できれば、高温の条件下で必死に走っているアスリートの身体も十分に冷やされる。2004年のアテネ・オリンピックの女子マラソンでは気温が摂氏35度にも達したが、大量に汗をかける能力のおかげで勝者は平均時速17.3キロというペースで高体温症になることもなく2時間以上を走り続けられた!こんんことができるほ乳類はほかにない。ほかのほ乳類には汗腺がほとんどないうえに、たいていのほ乳類は全身を柔毛で覆われているからだ。柔毛は、防止のように日光を反射させる役割と、皮膚を保護する役割と、配偶相手を引きつける役割がある点では有益だが、反面、柔毛があるせいで空気が皮膚のそばで循環せず、汗が蒸発しない。人間の体毛密度は実のところチンパンジーと同じなのだが、人間の体毛の大半は、桃の産毛のように非常に細いのだ。人間が進化のどの時点で大量の汗腺を備え、柔毛を失ったのかは定かでないが、私の推測では、これらの適応は最初にホモ属で進化したか、もしくはアウストラロピテクスで進化して、のちにホモ属で精巧になったのではないかと思われる。

・走行では脚をばねのように使うので、人間の身体における走行のための最も重要な適応のいくつかは、文字どおりのばねである。主要なばねの第一は、足裏の土踏まずだ。子供が歩いたり走ったりしはじめると、靱帯と筋肉が足の骨を接合して、足裏のアーチを形成する。アウストラロピテクスの足にも部分的な土踏まずがあって、歩くときに足裏をこわばらせられるようにっていた。しかし、おそらく彼らの土踏まずは私たちの土踏まずほど大きく弧を描いてもいなければ、安定してもいなかっただろう。つまり、ばねと呼べるほど効果的には機能できなかったということだ。初期ホモ属の完全な足の化石は見つかっていないが、足跡と部分的な足の化石から察するに、ホモ・エレクトスには人間とまったく同じような土踏まずがあったものと思われる。完全な弧を描いているばねのような土ふまずがなくとも歩くぶんには支障がないが、土踏まずがばねのように働いてくれたなら、走るときのコストはおよそ17%も下げられる。

・人間の脚に新たにできたもう一つの重要なばねは、アキレス腱だ。チンパンジーやゴリラのアキレス腱は長さ1cmにも満たないが、人間のアキレス腱は通常10cm以上の長さがあって、非常に太く、歩行中ではなく走行中に身体が生み出す力学的エネルギーのほぼ35%を蓄積したり放出したりする。残念ながら、腱は化石にならないが、アウストラロピテクスの踵骨に見られるアキレス腱の接着部分が小さいことから、アウストラロピテクスにおいてもアキレス腱の大きさは、アフリカ類人猿と同程度のちっぽけなものであったことが伺える。従ってアキレス腱も、やはりホモ属において初めて大きくなったのだろう。

・効率のよい走りを支えるための、ホモ属で最初に進化したと思われる特徴が人間の身体にはいろいろある。比較的短い足指(足が安定する)、くびれたウエストに幅広いなで肩(走行中に腰や頭とは無関係に胴体をひねれる)、さらには足の遅筋線維の多さ(スピードは出にくいが長距離を走れる)などもそうである。こうした形質の多くは走行にとっても歩行にとっても長所だが、大きな大臀筋、項靱帯、大きな三半規管、短い足指といったいくつかの形質は、効率よく歩けるかどうかはさほど影響を及ばさず、もっぱら走るときに役に立つ。つまり、これらは走るための適応なのだ。これらの形質は、ホモ属が歩行だけでなく走行にも優れるように、強く選択が働いたことを示している。それはおそらく腐肉漁りと狩猟のためだろう。一方で、長い脚や短い足指のようないくつかの適応は、私たちの木登り能力を犠牲にするものでもある。走るための選択がなされたことで、人間は史上初の木登り下手な霊長類になったのかもしれない。要するに、腐肉漁りや狩猟をして肉を手に入れることに利点があったから、人間の身体には多くの変化が生じ、それが最初に明白にあらわれているのが初期ホモ属で、それらの変化により初期の狩猟採集民は、長い距離を歩くだけでなく、走ることもできるようになったのだ。ホモ・エレクトスが現生人類より速く走れたかどうかは知るよしもないが、これらの祖先は疑いなく、私たちの身体のさまざまな部分に適応の遺産を残してくれた。だからこそ、人間は長い距離をらくらくと走れる数好くにほ乳類の一つなのであり、暑いなかでもマラソンを走れる唯一のほ乳類なのである。

・脳も腸も、成長と維持に膨大なエネルギーを要する組織なのである。実際、脳と腸がそれぞれ消費する単位質量あたりのエネルギーはほぼ同量で、ともに身体の基礎代謝コストの約15%を使い、酸素や燃料の運搬と老廃物の除去のために同量の血液供給を必要とする。しかも、腸には約1億もの神経がある。脊髄や末梢神経全体にある神経の数より多いのだ。このいわば第二の脳は、食物を分解する、栄養素を吸収する、口から肛門にいたるまでの食物と老廃物の通過を促すといった、腸の複雑な活動を監視して制御するために何億年も前に進化した。人間の奇妙な特徴の一つは、脳と消化管(空のとき)がどちらも重量1kgあまりで、同じような大きさをしているということだ。人間と同じくらいの体重のほにゅうるいの大半は、脳の大きさが人間の約5分の1で、腸の長さが人間の2倍ある。言い換えれば、人間は相対的に小さな腸と、大きな脳を持っていることになる。これに関する画期的な研究を行ったレズリー・アイエロとピーター・ホイーラーは、この人間独特の脳と腸の大きさの比率が、最初の狩猟採集民の登場とともに始まった一大エネルギー転換の結果だと提唱した。つまり初期ホモ属は本質的に、食事を良質なものに切り替えることによって大きな腸を大きな脳と交換したというわけだ。この論理によると、食事に肉を取り入れ、食料加工への依存度を高めることで、初期ホモ属は食べたものの消化に費やすエネルギーを大幅に節約できたので、余ったエネルギーを大きな脳の成長と維持にまわることができた。実際の数字を見ると、アウストラロピテクスの脳は約400gから550g、ホモ・ハビリスの脳はもう少し大きくて約500gから700g、初期のホモ・エレクトスの脳は600gから1000gだ。これらの種は順々に体格も大きくなっているから、それを考慮にいれて調整すると、典型的なホモ・エレクトスの脳はアウストラロピテクスの脳より33%大きかった。腸は化石記録に保存されないが、いくつかの仮説によれば、ホモ・エレクトスの腸はアウストラロピテクスの腸より小さかったとされている。もしそうなら、狩猟採集のエネルギー面での利点のおかげで最初の人間は小さな腸でも用が足せるようになり、それが大きな脳の進化を可能にした一因だったということになる。

・大きな脳には相当なコストがかかる。脳は、重さで見ると体重の2%程度なのに、安静時の身体のエネルギー収支の約20%から25%を消費する。寝ていようが、テレビを見ていようが、この文章に頭をひねっていようが、それだけのエネルギーが奪われるのである。絶対的な数字でいえば、あなたの脳は1日280kカロリーから420kカロリーを消費する。それに対して、チンパンジーの脳の一日あたりのカロリー消費量は約100kカロリーから120kカロリーだ。エネルギー豊富な現在の食料事情では、1日にドーナツ1個で補給できる量だが、ドーナツなどない狩猟採集民は、このカロリーを得るために、ニンジンを6本から10本余計に採集しなければならない。食べさせなければならない子供がいると、この負担はさらに増える。

・ホモ・エレクトスが最初に進化してからずっと脳が大きくなり続けてきたということは、それに必要なエネルギーを旧人類が十分に得られていたというだけでなく、賢くなることによる便益が費用を上回っていたということだ。残念ながら、火を使えるようになったことと、槍の穂先などの複雑な道具を作れるようになったこと以外に、旧人類が達成した知的な偉業の直接的な痕跡はほとんど残っていない。脳が大きくなったことによる最大の利益は、おそらく考古学記録には見つからない種類の行動だろう。このとき旧人類が新たに獲得した一連の技能は、協力する能力をいちだんと強化するものだったに違いない。人間は、ともに力を合わせることが得意中の得意だ。食物をはじめ、生きるのに欠かせない資源をみんなで分けあう。他人の子育てを互いに手伝い、有益な情報があれば互いに伝えあい、ときには友人のみならず見知らぬ他人であっても、切迫している人があれば自分の命を危険にさらしてまで助けようとする。

・人類学者のロビン・ダンバーが行った有名な分析によれば、霊長類のそれぞれの種の大脳新皮質の大きさは、集団規模とある程度の相関関係にあるという。この相関関係が人間にも当てはまるなら、私たちの脳は、大体100人から230人の社会ネットワークに対処できるように進化したことになる。旧石器時代の典型的な狩猟採集民が一生涯に何人と出会っていたかと考えると、この数字はあながち外れてもいまい。

・大型動物は総じて成熟するのに時間がかかるものだが、ホモ属の発達期間が長くなったのは、身体が大きくなったからでは説明がつかない。オスのゴリラは人間の二倍もの体重がありながら、成長が止まるまでに13年しかかからないのだ(体重5トンのゾウも同じぐらいの成長で成熟できる)。それよりずっと信憑性の高い説明は、人間の場合、脳が成長するのに時間がかかるからというものだろう。人間の脳はそれほど大きく、複雑な配線を必要とするのである。なにしろ第一に、脳そのもののサイズが大きい。霊長類においては、脳が大きいほど完全な大きさに達するまでに時間がかかる。マカクザルの小さな脳なら、一年半で成長する。チンパンジーの脳はその5倍の大きさなので、成長するのに3年かかる。そして人間の脳はチンパンジーの脳より4倍大きいから、完全な大きさに達するまでに最低でも6年はかかる。絶滅した人類に関しても、成人の脳の大きさになるまでにどれだけの時間がかかっていたかをかなり正確に推定できる(なんと歯を使って算出する)。ルーシーのようなアウストラロピテクスは、脳の成長の速さがチンパンジーと同じくらいだった。どちらも脳の大きさが同じぐらいなので、当然といえば当然だ。初期ホモ・エレクトスの場合は、脳の大きさが800立方センチメートルから900立方センチメートルに成長するのに4年ほどかかった。その後、もっと脳の大きい旧ホモ属の種が進化したころには、すでに生活史の初期段階のパターンが、今日の人間と同じようなものになっていたようだ。たとえばネアンデルタール人は脳の大きさが現生人類とほぼ同じ、場合によってはそれより少し大きいぐらいで、成人の脳の大きさに達するまでに、5年か6年がかかっていた。

・脂肪と体重の問題は、何百万年ものあいだ人々の頭を深く悩ませつづけてきたと思われるが、つい最近までは、食事で十分な脂肪が摂取できず、体重も足りないのが私たちの祖先の心配の種だったのだ。脂肪はエネルギーを貯めるのに最も効率的な手段である。どこかの時点で、私たちの祖先はいくつかの重要な適応を進化させ、それによってほかの霊長類よりも大量の脂肪を身体に蓄えられるようにした。この祖先たちのおかげで、いまやどんなに痩せている人間であってもほかの野生の霊長類と比べれば脂肪が多いし、とくに人間の赤ん坊は、他の霊長類の赤ん坊と比べるとすいぶん太っている。この脂肪を蓄える能力と傾向がなかったら、旧人類は決して大きな脳と成長の遅い身体を進化させられていなかったという仮説が立つのももっともだ。さしあたってこの大事な物質について知っておくべきことは二つある。まず、脂肪の各分子の構成要素は、脂肪分の豊富な食物を消化することによって得られるが、私たちの身体は炭水化物からもそれらを簡単に合成できる(だから脂肪分ゼロの食物を食べても太るのだ)。次に脂肪分子はじつに便利で、エネルギーを凝縮して蓄える。脂肪1gのエネルギー量は9kカロリーで、炭水化物やタンパク質1gあたりのエネルギー量の倍以上だ。食後、体内ではホルモンの働きによって糖分、脂肪酸、グリセリンが脂肪に変換され、脂肪細胞という特別な細胞内に貯蔵される。この脂肪細胞が体内には約300億個ある。そして身体がエネルギーを欲すると、また別のホルモンが脂肪を構成要素に分解するので、身体はそれを燃焼させるわけである。どの動物にも脂肪は必要だが、特に人間は生まれた直後から大量の脂肪を必要とする。それは主として、エネルギーをつねに欲する脳のためだ。乳児の脳は成人の脳の4分の1の大きさだが、それでも1日に約100kカロリーを消費する。その小さな身体の安静時エネルギー収支の約60%にも相当する量だ。(ちなみに成人の脳は1日に280kカロリーから420kカロリー、すなわち身体のエネルギー収支の20%から30%を消費する)脳はひっきりなしに糖分を要求するので、脂肪をたっぷり蓄えているというのは、尽きることのない信頼できるエネルギー供給源を確保しているということだ。サルの赤ん坊は体脂肪率が約3%だが、健康な人間の赤ん坊は約15%もの体脂肪率をもって生まれてくる。実際、妊娠期間の最後の3ヶ月はおもに胎児に脂肪をつけさせるために費やされる。この3ヶ月の間に胎児の脳の質量は3倍になるあ、脂肪貯蔵量はなんと100倍にもなるのだ!さらに、こども期の間に健康な人間の体脂肪率は25%にまで上昇し、そのあとふたたび下がって、成人の狩猟採集民では男性が10%、女性が15%というあたりで落ち着く。脂肪は、脳と妊娠・授乳のためのエネルギー貯蔵庫というだけではない。狩猟採集民はどうしても持久力を要する運動をしなければならないが、その燃料としてお脂肪は不可欠だ。あなたが歩いたり走ったりするときでも、使われる燃焼エネルギーの大半は脂肪由来なのである。(ただしスピードが上がると、炭水化物を燃焼させる割合も増えてくる)

・人間の進化に極めて重要な役割を果たした脂肪だが、その逆説的な遺産として、いまや私たちの多くは脂肪を欲し、蓄えることに適応しすぎてしまった。映画監督のモーガン・スパーロックはドキュメンタリー作品「スーパーサイズ・ミー」で自らを実験台にして、マクドナルドのメニューだけを食べ続けたところ(1日平均5000キロカロリー!)、わずか28日で約11kgも体重が増えた。このようなとんでもない芸当ができるのも、脂肪が得られるめったにない機会にできるだけたくさん脂肪を蓄えることに適応するよう、大昔から何千世代にもわたって人間に自然選択がかけられてきた所産である。火曜日にある程度の脂肪をため込んでおけば、それで水曜日の持久狩猟をまかなえるかもしれないのだ。食料が豊富なときにそれなりの脂肪を蓄えておくのは、いずれ必ずやってくる不毛の時期のためにも必須だったに違いない。

・ホモ・エレクトスと旧ホモ属の個体が異様に大きい脳を維持できたのは、腸が比較的小さいことが一因だったというのは妥当な推測だ。そして腸が小さくなれたのは(歯が小さくなれたのもそうだが)、これらの種が、肉や加工した食物を豊富に取り入れた良質な食事を摂れていたからにほかならない。

・旧人類にそこそこの余剰エネルギーを得させていた大きな要因として、あと2つ考えられるのが、協力と技術だ。狩猟採集民はなんらかの分業や、血縁関係を超えた間柄での多大な分かちあい、その他さまざまなかたちでの協力をしないと生きていかれない。自然選択は速やかに彼らをその方向に促したことだろう。もう一つの要因である技術については、もっと発端がたどりやすい。初期ホモ属が初めて石器を使いだし、それによって食物を切ったり叩いたりできるようになったのは確実である。その後、今度は旧ホモ属が先端に石をくくりつけた投擲物を発明し、そのおかげで従来よりはるかに簡単に、かつ安全に獲物を殺せるようになったのだ。調理もまた、同じぐらい大きな技術の進歩だった。私たちはものを食べるたび、それを噛んで消化するのにエネルギーを使わなければならない(だから食事のあとは脈拍と体温が上昇する)。しかし植物性食料でも動物性食料でも、それをあらかじめ切り刻んだり、すりつぶしたり、叩いたりして物理的に加工しておくと、消化にかかる負担が大幅に低減される。加熱調理の効果はさらに絶大だ。たとえばジャガイモなどは、生で食べるよりも加熱して食べたほうがカロリーもほかの栄養素も倍近く得られる。さらに加熱調理には病原菌を殺せるという利点もあって、おかげで免疫系の負担がずいぶんと減ることになる。

・私たちの種の起源が正確に時間と場所まで特定できているのは、おもに人間の遺伝子が研究されてきた成果による。世界中お人々の間の遺伝的変異を比較することにより、遺伝学者は誰が誰とつながっているのかを全員に関してまとめた系統図を計算することができ、その系統図を正確に調整することによって、最後に全員が共通の祖先を持っていたのがいつだったかを見積もることができる。そして何千もの人々のデータを使ってなされた何百もの研究が、一致して認めていることーそれが、現存するすべての人間は、もとをたどれば30万年前から20万年前ぐらいのアフリカに棲んでいた共通の祖先尾集団に行き着き、その集団の一部が10万年前から8万年前ぐらいにアフリカを出て各地に分散した。というものなのだ。言い換えれば、ごく最近まで、人間はみなアフリカ人だったのである。これらの研究は、いま生きているすべての人間が、びっくりするほど少数の祖先からくだってきていることを明らかにしてもいる。ある計算によれば、今日の人間全員の祖先は、サハラ以南のアフリカ出身の1万4000人足らずの繁殖個体の集団で、非アフリカ人のすべてを生んだ最初の集団は、おそらく3000人以下だったとされている。

・現生人類とネアンデルタール人それぞれの系統が最後に同じ祖先の集団に属していたのは、およそ50万年前から40万年前だったとわかった。驚くことではないが、現生人類とネアンデルタール人のDNAは非常によく似ている。あなたの塩基対600個に対して1個だけネアンデルタール人と違っているという割合なのである。現在でも、どの遺伝子がその違いにあたり、その違いがどういう意味を持つのかを突き止めるために多大な努力がなされている。

・旧人類と現生人類のDNAには、いくつかの意外な系統図上の事実も潜んでいる。ネアンデルタール人と現生人類のゲノムの違いを丹念に解析してみると、すべての非アフリカ人には2%から5%という極めて小さい割合ながら、ネアンデルタール人由来の遺伝子が含まれていることがわかるのである。これはおそらく5万年以上前、現生人類がアフリカを出て中東を通過する際に、ネアンデルタール人と現生人類の間でわずかに異種交配があったためだと思われる。その後、この集団の子孫がヨーロッパとアジアに分散したのだと考えれば、なぜアフリカ人にはネアンデルタール人の遺伝子がないのかが説明できる。そして現生人類はアジアに広がった際に、デニソワ人とも異種交配したとみられる。オセアニアとメラネシアに住む人々の間では、遺伝子の3%から5%程度がデニソワ人由来のものとなっているのだ。

・現生人類がいつどこで最初に進化したかを示唆してくれる、また別の、より具体的な手がかりは化石から得られる。遺伝子データが予測しているのとまったく同様に、わかっている限りもっとも古い現生人類の化石はやはり出自がアフリカで、時代はおよそ19万5千年前とされている。そして15万年前より古いと見なされるほかの多数の初期現生人類の化石も、やはりすべてがアフリカから出ている。その後に起こった全世界へのホモ・サピエンスの最初の離散も、古代の骨を追っていくことで見えてくる。まず現生人類は、約15万年前から8万年前の間に(これらの年代は不確定である)中東に現れ、そのあと3万年ほどの間、姿が見えなくなっている。ちょうどその時期、ヨーロッパで大きな氷河浸食が最盛期にあって、ネアンデルタール人が中東に移住してきており、しばらく彼らに取って代わられていたのかもしれない。現生人類が新しい技術を備えて再び中東に出現したのが、約5万年前のことであり、以後、彼らは急速に、北へ、東へ、西へと広がっていった。現在得られている最良のデータに従えば、現生人類が初めてヨーロッパに現れたのが4万年前以前である。考古学遺跡から推察されるところでは、現生人類はどうにかしてベーリング海峡まで渡って新世界に到達し、3万年前から1万5千年前までの間にそこに住み着いた。人類の分散の正確な年代記は新たな発見が増えるたびに変わるだろうが、重要なのは現生人類が初めてアフリカで進化してからたった17万5千年の間に、南極大陸を除く全大陸をその住みかにしてしまったということである。しかも、現生人類の狩猟採集民が広がった先では、いつでもどこでも、旧人類がほどなくして絶滅してしまっている。たとえば、今のところヨーロッパで最後とされるネアンデルタール人がスペインの南端の洞穴の中にいたのは3万年前よりちょっと後で、現生人類が最初にヨーロッパに出現してから1万年から1万5千年ほど後のことである。そして証拠から察するに、現生人類が急速にヨーロッパ中に広まるにつれ、ネアンデルタール人の集団はどんどん小さくなって、最後には孤立したレフュジア(待避地)に閉じ込められたあと、永久に消滅してしまった。これはなぜなのだろうか。ホモ・サピエンスの何が私たちを地球上で唯一残存するヒトの種にしたのだろう。私たちの成功のどれだけの部分が身体のおかげで、どれだけの部分が頭脳のおかげなのだろうか。

・何千もの考古学遺跡から、後期旧石器時代には狩猟と採集の性質にも革命があったことが示唆されている。中期旧石器時代の人々は熟練した狩人で、しとめるのは大半が大型動物だったが、後期旧石器時代の人々はそれらの他に、魚、甲殻類、鳥、小型ほ乳類、亀などさまざまな獲物をメニューに加えた。これらの動物は豊富にいるだけでなく、女性や子供でも、少ない危険、高い成功率で捕獲することができる。旧石器時代に摂取された植物の遺物はほとんど発見されていないが、後期旧石器時代の人々は確実にさまざまな植物を採集していたはずで、それらをただ焼くだけではなく、ゆでたり、すりつぶしたりして、効率的に加工していたに違いない。こうした食事情の変化は、人口の急増を後押しした。後期旧石器時代に入ってからほどなくして、シベリアなどの遠く離れた過酷な場所でも、集落の数と密度が上がりはじめている。

・多くの面で、後期旧石器時代の革命にはっきりとあらわれている最も深遠な変貌は、文化的な変貌である。どういうわけか、人々がそれまでとは違う考え方、違う行動の仕方をするようになったのだ。この変化の最も具体的なあらわれが芸術である。中期旧石器時代の遺跡でも単純な芸術作品はいくらか見つかっているが、その数も質も、後期旧石器時代の芸術とは比べものにならない。後期旧石器時代には、洞穴や岩窟にみごとな壁画が描かれ、装飾用の小さな彫像や、華やかな装飾品や、細工の美しい埋葬品を納めた手の込んだ墓所が作られている。むろん、後期旧石器時代のすべての遺跡や跡地に芸術品が保存されているわけではないが、人々が初めて信念や感情を象徴的なかたちで定期的に永続的な媒体に表現するようになったのが、この後期旧石器時代だったのである。そして後期旧石器時代の革命のもう一つの要素が文化の変容だ。中期旧石器時代には、変化はほぼ皆無だった。フランス、イスラエル、エチオピアに残る各遺跡は、その年代が20万年前であろうと10万年前であろうと6万年前であろうと、基本的にすべて同じだ。しかし5万年ほど前に後期旧石器時代が始まってからというものは、年代的にも空間敵にも大きく分散している多様な文化を、人工遺跡から特定できるようになる。後期旧石器時代の到来とともに、世界のあらゆるところで果てしなく続く文化の変貌が始まった。そしてそれに火をつけたのが、果てしない想像力と創造力を持った頭脳だった。これらの変化は今日もなお、いっそう速いペースで進んでいる。要するに、現生人類に旧型のいとこと大きく違うところがあるとすれば、それは文化を通じて革新をはかろうとする驚くべき傾向と能力なのだ。

・人間は長い進化の道のりを経る間に、直立し、多様なものを常食とし、狩猟をし、広範囲で採集をし、辛抱強く動きまわり、食物を調理加工して分けあい、その他さまざまなことをするように適応していったのだ。しかし、私たちの進化上の(これまでのところの)成功を説明するような現生人類ならではの適応があるとすれば、それは私たちの適応能力にほかならず、その能力を支えているのが、私たちの並外れたコミュニケーション能力、協力する能力、思考する能力、発明する能力ということになるだろう。これらの能力の生物学的基盤は、私たちの身体、とりわけ脳に根ざしているが、その効果はおもに私たちの文化の活かし方、つまり文化を利用してものごとを刷新したり、新しい多様な環境に順応したりといったことに具現化されている。最初の現生人類がアフリカで進化して以来、彼らは徐々に、以前より進んだ武器や新種の道具を発明し、象徴的な芸術を創造し、交易の距離を長くし、それまでとは明らかに異なったまったく現代的なかたちの行動をするようになっていった。後期旧石器時代の生活様式があらわれるまでには10万年以上がかかったが、その画期的な出来事は、いまもさらに速いペースで進行中の無数の文化的飛躍の一つにすぎない。この数百世代の間に、現生人類はいくつのものを発明してきたことだろう。農業、文字、都市、エンジン、抗生物質、コンピューターと数え上げればきりがない。文化的進化の速さと範囲は、いまや生物学的進化の速さと範囲を圧倒的に上回っている。したがって、現生人類を特別なものにしているすべての資質の中でも、私たちの文化的な能力こそが最も変革力のある最も大きな成功要因だったのだと結論しても差し支えないだろう。現生人類のこの能力が原因だと考えれば、現生人類が初めてヨーロッパに到達してからほどなくして最後のネアンデルタール人が絶滅してしまったのも説明がつくし、私たちの種がアジア全域に広がったときに、なぜ私たちがデニソワ人やフロレス島のホビットや、その他もろもろの残存していたホム・エレクトスの子孫をすべて駆逐してしまったかも説明がつく。次々になされた多くの文化的革新のおかげで、現生人類の狩猟採集民は、1万5千年前までには地球上のほぼ全域に棲みついた。

・人間の進化というのは何よりまず、筋肉に対する脳の勝利なのだといえなくもない。実際、人間の進化を説明した多くの物語がこの勝利を強調している。力強くもなければ敏捷でもなく、天然の武器も持っていなければ、ほかの身体的な優位性もまったく持っていない人間が、にもかかわらず、文化的な手段を駆使することによって繁栄し、自然界のほぼすべて-バクテリアからライオンにいたるまで、北極から南極にいたるまで-を掌中に収めた。いま生きている数十億人の人間の大半は、かつてなく長命で健康な生活を享受できている。しかしながら、私たちの思考能力、学習能力、コミュニケーション能力、協力する能力、革新する能力がいかにすばらしく、これらのおかげで私たちの種のいまの成功があるのだとはいえ、筋肉に対する脳の勝利という見方だけで現生人類の進化をとらえるのは不正確であり、かつ危険でもあると私は考えている。

・人間の文化的な適応力の皮肉なところは、この独特の革新の才能と問題解決の才能のおかげで、狩猟採集民が地球のほぼ全域で繁栄できたまではよかったが、やはりその才能のおかげで、一部の狩猟採集民が最終的にその生活様式をやめてしまったことだろう。1万2千年前頃から、狩猟採集民のいくつかの集団は永続的な共同体をつくって定住を始め、植物を栽培し、動物を家畜化するようになった。そうした変容は、おそらく最初は徐々に始まったのだろうが、その後の数千年の間に世界規模での農業革命を起こし、いまなおその効果が地球全体を、そして私たちの身体を揺さぶり続けている。農業は多くの利益をもたらしたが、同時に多くの深刻な問題を引き起こしもした。農業によって人間は多くの食料を得られるようになり、その結果として多くの子供を持てるようにもなったが、それに伴って新しい形態の仕事が求められ、食べるものも変わり、病気や社会悪が詰まったパンドラの箱も開けられた。農業がこの世に現れてからまだ数百世代しか経っていないが、以後の文化的変化の速さと広がりは劇的なまでに加速した。人間の身体は何百万年もかけて少しずつ果実食の二足動物になり、アウストラロピテクスになり、最後にようやく大きな脳を持った文化的創造力のある狩猟採集民になるように形成されていったのだから、私たちの身体はそのときのように、つまり私たちの進化的過去が私たちを適応させたときのままに暮らしているほうが自然ではないのか。

・いくつかの研究がこの数百年の間になされた軽微な自然選択の証拠をつきとめることに成功している。たとえばフィンランド人とアメリカ人の集団の中では、女性の初出産の年齢と閉経の年齢に自然選択が働いており、体重や身長、コレステロール値、血糖値についても同様である。もっと長期的な視点で見れば、最近の自然選択の証拠はもっと見つかる。新しいテクノロジーのおかげで高速かつ比較的安価に全ゲノムの配列が決定できるようになった結果、ここ数千年の間に特定の個体群の中で強い自然選択にかけられてきた数百の遺伝子が明らかにされてもいる。ご想像の通り、これらの遺伝子の多くは生殖や免疫系を制御するもので、その持ち主に子を多く持たせるように、あるいは持ち主を感染症で死なせないように働くからこそ、強く選択されてきたのである。そのほか、代謝に関する役割を果たしていたり、特定の農業集団を乳製品やでんぷん質の作物を食べることに適応させる働きをしている遺伝子もある。また、自然選択によって残されたいくつかの遺伝子は体温調節に関わっているが、これはおそらく、広範囲に拡散した集団を多様な気候に適応させるのに役立ったためだろう。たとえば私の研究グループは、氷河期の終わり近くにアジアで進化した一つの遺伝子変異が強い選択にかけられた証拠を発見しており、東アジア人とネイティブアメリカンはこの変異によって、毛が濃くなり、汗腺が多くなったと考えられる。このような最近の進化を経験した遺伝子を研究することには実益がある。その一つが、ある特定の病気にかかりやすい人とかかりにくい人はどう違うのか、その違いはなぜなのか、そしてさまざまな薬に対して人はどう反応するのかを理解する助けになるということである。このように、自然選択は旧石器時代の終わりとともに止まったわけではないけれども、ここ数千年の間に人間に起こった自然選択が、それまでの数百万年に比べて相対的に少ないことは事実である。その差は当然のことで、なにしろ最初の農民が中東で土を耕しはじめてから、まだ600世代しか経過していないのだ。しかも大半の人の祖先が農業を始めたのは、それよりさらにあとのことで、おそらくここ300世代ほどの間と思われる。

・2型糖尿病で考えてみようか。これは以前にはめったになかったが、いまでは世界中で見られる代謝性疾患である。一部の人は、この2型糖尿病に遺伝的にかかりやすい。この病気の広まりが欧米よりも中国やインドで急速だった理由は、それで説明がつくだろう。ただし2型糖尿病がアジアで急激にアメリカをしのぐ勢いで蔓延しているのは、新しい遺伝子が東洋で広まっている最中だからではない。新しい西洋式の生活様式が世界中を席巻して、いままで悪影響を及ぼしていなかった旧来の遺伝子と相互作用しているからである。言い換えれば、自然選択を通じて起こる進化だけが進化のすべてではない。遺伝子と環境との相互作用は急速に、ときに根本的に変わってきている。それは主に私たちの身体をとりまく環境が変わってきているからで、その変化を促しているのが急激な文化的進化だ。あなたの持っている遺伝子の中に、扁平足や近視や2型糖尿病になりやすくさせる遺伝子があったとしても、あなたにそれを受け継がせた遠い祖先は、おそらくそれらの問題に悩まされていなかったに違いない。そう考えると、進化のレンズを通じてものを見て、旧石器時代が終わったあとに起こった遺伝子と環境との相互作用の変遷を考えることには大きな意義がある。

・人間の身体は自動車のように設計図から作られたのではなく、代々の修正を通じて進化してきたものなのだ。したがって人体の進化の歴史を知ることは、自分の身体がなぜこのような姿をしていて、このように働くのかを見定める助けとなり、ひいては、自分がなぜ病気になるのかを推し量る助けともなる。生理学や生化学のような科学分野は、病気の原因をなす直金のメカニズムを理解する助けとなるが、進化医学という新興分野は、そもそもなぜその病気が生じるのかを説明する助けとなるのだ。たとえばがんは、まさに体内で進行中の異常な進化プロセスであると言える。一個の細胞が分裂するたびに、その細胞の遺伝子は突然変異を起こす可能性を持つ。したがって、分裂する頻度の高い細胞(たとえば血液細胞や皮膚細胞)や、突然変異を引き起こす化学物質にさらされやすい細胞(たとえば肺細胞や胃細胞)は、ともどない細胞分裂を引き起こして腫瘍を形成するような突然変異を偶然に獲得する見込みが高い。ただし、ほとんどの腫瘍はがんではん。腫瘍細胞ががん性になるには、細胞がさらに突然変異を獲得して、その突然変異の影響により、ほかの健康な細胞が栄養分を奪われ、正常な機能を阻害されて、打ち負かされてしまうことが必要となる。要するに、がん細胞とは、自らをほかの細胞よりも有効に生存させ、繁殖させられる突然変異を持った異常細胞にほかならないのだ。もし私たちが進化するべく進化した生き物でなかったら、私たちは決してがんにはならなかっただろう。さらに踏み込んで言えば、進化はいまも起こっている現在進行形のプロセスだから、進化がどう働くかがわかっていれば、失敗を防いだり機会を確実にとらえたりするのと同様に、多くの病気を予防したり治療したりすることもできるだろう。進化生物学が医療に必要となる例として、とくに切実で、かつ明らかなのは、感染症への対処である。それらの病気はいまも私たちととともに進化を続けているからだ。私たち人間と、エイズやマラリアや結核のような病気とのあいだで、いまなお進化的な軍拡競争が続いていることをわかっていないと、うっかり不適切な薬を作ったり、軽率に生態条件を壊したりして、逆にそれらの病気を助長してしまうことがある。次に発生する流行病を食い止め、治療するには、ダーウィン的なアプローチが必要なのだ。日常的な感染症への抗生物質の用い方を向上させる上でも進化医学は、重要な視点を提供する。抗生物質の濫用は、超強力な新種の細菌を進化させることになるだけでなく、体内の生態系を変化させて、クローン病のような新たな自己免疫疾患を生じさせることになりかねない。そしてがんの予防と治療にも、進化生物学は助けになると期待される。がん細胞と闘うとき、現在のところは放射線や有毒性の化学物質(化学療法)でがん細胞を殺そうとするのが普通だが、そうした療法はときに逆効果となることもあり、その理由を説明してくれるのが進化からのアプローチだ。放射線療法や化学療法は、致死性でない腫瘍が突然変異を起こして自らの細胞をがん細胞に変容させる確率を高めるだけでなく、細胞の環境も変化させ、新しい突然変異が選択される利点を高めてしまうこともありうるのだ。この理由から、あまり悪性でない種類のがん患者には、あまり攻撃的でない療法のほうが有効な場合があると考えられるのである。

・進化医学のもう一つの効用は、病気の症状の多くはじつのところ適応なのだと認識させることにより、医者と患者の双方に、ある種の病気や怪我の治療法を考え直させることである。発熱や吐き気や下痢の最初の兆候があったとき、あるいはどこかしらに痛みを感じたとき、あなたはすぐにでも薬屋に行って、一般市販薬を服用するのではないだろうか。これらの不快感は緩和すべき症状だとほとんどの人が思っているが、進化論的な見地から言えば、これらは留意すべき有益な適応であるのかもしれない。たとえば発熱は、あなたの身体が感染症と闘うのを助けているのだし、関節痛や筋肉痛は、正しくない走り方のような何かしらの有害な行為をやめるようあなたに警告しているのかもしれないし、吐き気や下痢は、あなたの体内から有害な病原菌や毒素を除去しようとしているのだ。そもそも適当というのはやっかいな概念である。人体の適応はずっと昔に進化したものだが、その目的はただ一つ、私たちの祖先にできるだけ多くの子を生き残らせるようにすることだった。結果として、私たちはときどき患うことになる。なぜなら自然選択にとっては健康よりも繁殖力のほうが重要だからで、私たちは健康になるために進化しているわけではないのである。たとえば旧石器時代の狩猟採集民は、定期的に食料不足に直面していたし、きわめて活発に身体を動かさなければ生きていけなかったから、エネルギー豊富な食物を切望し、休めるときはつねに休もうとする方向に自然選択が働いて、脂肪を蓄積しやすい身体になり、より多くのエネルギーを繁殖に費やさせるようになった。そうした進化論的な視点から見ると、現在のダイエットやフィットネスのプログラムが成功しないのは想定内で、事実、ほとんどが失敗している。それもそのはず、かつて適応的だったドーナツを食べたがったりエレベーターを使いたがったりする原始的な衝動にどう対抗していいかを、私たちはいまだ知らないからである。しかも、身体のなかにはいくつもの適応がごちゃごちゃに詰め込まれていて、そのすべてにプラス面とマイナス面があり、いくつかは互いに衝突もするから、完璧で最適な単一のダイエットプログラムやフィットネスプログラムなんてものは存在しない。私たちの身体は、いわば妥協の集積なのである。

・シマウマは、アフリカのサバンナを歩いたり走ったりしながら、草を食べ、ライオンから走って逃げ、ある種の病気に抵抗し、暑い乾燥した気候とうまくやるように適応している。そのシマウマが、たとえば私の住んでいるニューイングランドにつれてこられたら、シマウマはもうライオンのことを心配しなくてもよくなるが、今度は別のさまざまな問題に悩まされることになるだろう。お腹をいっぱいにできるほどの草は見つからないし、冬は寒いし、初めて遭遇する病気に対しては抵抗力がない。なんらかの助けがない限り、移住させられたシマウマはほぼ確実に病気にかかって死ぬだろう。この生き物はニューイングランドの環境にまるで適応していない(つまりミスマッチである)からだ。進化医学という新しく出てきた重要な分野での見方からすると、私たちは旧石器時代以来たいへんな進歩を遂げてきたにも関わらず、ある意味では、このシマウマのようなものになっている。特に農業が始まって以降、革新が加速するにつれ、私たちは次々と新しい文化的習慣を考案したり採用したりしてきたが、それらの習慣は私たちの身体に矛盾する作用を及ぼしてきた。一方では、比較的最近の多くの発展が利益をもたらしている。農業によって食物は増え、近代的な公衆衛生と科学的な医療によって乳幼児死亡率は低下し、寿命は長くなった。だが一方では、無数の文化的変化によって、私たちの持つ遺伝子と私たちをとりまく環境との相互作用が変えられた結果、さまざまな健康問題が生じるようになっている。それが「ミスマッチ病」で、定義するなら、旧石器時代以来の私たちの身体が現代の特定の行動や条件に十分に適応していないことから生じる病気ということになる。ミスマッチ病がいかに重要な意味を持つかは、いくら強調してもしすぎることはないと思う。みなさんが死ぬときは、十中八九ミスマッチ病で死ぬだろう。

・ミスマッチ病を特定するにあたってのもう一つの問題は、多くの病気についての理解が十分に足りていないため、その病気を引き起こす直接的、間接的な環境要因を正確に指摘しにくいということである。たとえば自閉症は、かつてはほとんどなかったのに最近になって急に一般的になった障害であること、そして大半が先進国で発生していることから、ミスマッチ病の一つではないかとも考えられている。しかしながら、自閉症の遺伝要因と環境要因はどちらもあいまいで、果たしてこの病気が大昔の遺伝子と現代の環境とのミスマッチから生じているのかどうかは、なんとも言いがたい。同様に、もっと詳しい情報が得られない限り、多発性硬化症、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、膵臓がんなどの多くの病気、および一般的な腰痛などの悩ましい症状を進化的ミスマッチの事例と見なすのは、あくまでも仮説にすぎない。

・ミスマッチ病の特定に関する最後の問題は、狩猟採集民、とくに旧石器時代の狩猟採集民の健康に関するデータが十分にそろっていないことだ。ミスマッチ病の本質は、なじみのない環境条件に身体が十分に適応していないために生じるということだから、西洋人の集団の間では一般的だが狩猟採集民の間では、めったにみられないような病気は、進化的ミスマッチである可能性が高い。逆に、現在でも身の回りの生活環境に十分に適応していると思われる狩猟採集民の間で一般的な病気は、ミスマッチ病ではない可能性が高い。

・進化的ミスマッチによって発生したもしくは悪化したと仮説を立てられている病気や健康問題の一部をまとめたのが以下だ。別の言い方をするなら、これらの病気はその発生原因に絡んでいる新奇な環境条件に人間が十分に適応していないために、広く蔓延したり、症状が深刻化したり、あるいは羅患年齢を下げたりしているのかもしれない。繰り返しいっておくが、以下はあくまで仮のリストである。これらの病気の多くは、まだ今後の検証を必要とする仮説段階のミスマッチ病であり、人間が新しい病原菌と接触するようになったことで生じる感染症はすべてリストから省いてある。もしそれらを含めていたら、リストははるかに長大で、はるかに恐ろしいものになるだろう。
 胃酸の逆流/慢性的胸焼け、にきび、アルツハイマー病、不安障害、無呼吸、喘息、水虫、注意欠陥・多動性障害、腱膜瘤、がん(一部のみ)、手根管症候群、虫歯、慢性疲労症候群、肝硬変、便秘(慢性)、冠状動脈性疾患、クローン病、うつ病、糖尿病(2型)、おむつかぶれ、摂食障害、肺気腫、子宮内膜症、脂肪肝症候群、線維筋痛、扁平足、緑内障、痛風、槌状址(ハンマートゥ)、痔、高血圧、ヨード(ヨウ素)欠乏症(甲状腺腫/クレチン病)、埋伏智歯、不眠症(慢性)、過敏性腸症候群、乳糖不耐症、腰痛、不正咬合、メタボリックシンオローム、多発性硬化症、近視、脅迫性障害、骨粗相症、足底筋膜炎、多嚢胞性卵巣症候群、妊娠高血圧腎症、くる病、壊血病、胃潰瘍

・虫歯は、歯に付着する薄い膜状の歯垢のなかにいる最近のしわざである。あなたの口内にいる最近のほとんどは天然の無害のものだが、ごく少数の種が、あなたの噛んだ食物に含まれているデンプンや糖を餌にするときに問題を引き起こす。この細菌から放出された酸が、その下の歯を溶かして穴をあけるのだ。早急に治療をしないと、虫歯はいつのまにか進行して歯の奥まで達し、激痛とともに深刻な感染をもたらす。残念ながら人間は、虫歯の原因となる微生物に対抗できる天然の防御を唾液以外にほとんど持っていない。これはおそらく、私たちがデンプン質や糖質の食物を多量に食べるように進化してはこなかったからだ。類人猿が虫歯になることはめったになく、狩猟採集民の間でも珍しい。虫歯がこれほどまでに広まったのは農業が開始された後のことで、急激に増加したのは19世紀と20世紀においてだ。今日、虫歯は世界中の25億近い人々を苦しめている。虫歯は、発症の仕組みが壊血病と同じぐらいようわかっている進化的ミスマッチだがそれが今日でもいまだに世の中にはびこっているのは、私たちが虫歯の根本原因を有効に阻止していないからだ。もし私たちが本当に虫歯を予防したいのなら、私たちは糖とデンプンの摂取を劇的に減らさなくてはならない。


良かった本まとめ(2016年上半期)

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