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「江戸ぶらり古地図ウォーキング」【湯島】(①御茶ノ水~太田姫稲荷編)はとてもオススメ!

2017年09月11日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が日帰り旅行で企画する江戸ぶらり小地図ウォーキングの「湯島」へ参加してきました!

 前回「両国」編「吉原」編「深川」編に参加して良かったので、今回は「湯島」編に参加しました♪

 9:30にJRお茶の水駅の聖橋口近くに集合し、古地図などの資料が配られて江戸ぶらり古地図ウォーキング【湯島】「将軍家献上の水・江戸の用水を学ぶ」が始まりました♪


↑古地図

 今回はあまり古地図の説明はありませんでしたが、地図にある太田姫稲荷や神田明神、湯島天神、麟祥寺(春日の局の菩提寺)、前田家上屋敷跡の東京大学の赤門などを見るコースとなります♪

そしてあらかじめ資料をささっと読んで、ガイドの説明に備えます♪
今回のガイドは四宮さんで、先祖は信濃の国の4番目の宮(神社)の関係者のようです。
当時は各国に、一宮、二宮、三宮、四宮と神社があり、大事にされていたようです。
多い国では六宮もあったようです♪
知らなかった!
今回のガイドさんもかなりの勉強家でいろんなことを知っていてとても勉強になります♪


↑カラー写真付き資料


↑カラー写真付き資料


↑今回の説明資料


↑今回の説明資料

ガイドさんは昔の室町時代後期の地図を取り出し、江戸はかなり湿地帯だったことを説明してくれます。


↑ガイドさん説明の地図

日比谷の辺りまで入り江で海であり、神田山があります。
この辺りは駿河台といいますが、その由来は駿河にある富士山が見えたからとも、駿河から移住して来た人がたくさん住んでいたからとも云われているようです。
江戸時代初期に日比谷を埋め立てるために駿河台を削ったと聞いたことがあります。

 この駿河台は江戸城に近く、武家屋敷だったとのことです。
そしてその屋敷はそれぞれ広く、明治維新の際に政府に土地が返還された後は、大学等になったようです。
だから、この辺りは大学が多いんですね。

 ちなみに武家屋敷には住所すなわち町名がないのが特徴のようです。
その代わり必ず坂に名前があり、武家屋敷の場所を地図等で示す際には、○○坂脇と表示されたようです。
ナルホド!
逆に云うと町名がある場所は、町人が住む場所だったようです。

 お茶の水駅近くい「お茶の水」の石碑がありました♪
将軍家への献上の水は、神田山のふもとに高林寺があり、その庭から良い水がわき出たのでお茶として将軍秀忠に献上したところ、美味しいとお褒めの言葉があったので「御茶の水」と云われるようになったようです。
当時は衛生状態が良くなかったので、衛生的な「わき水」は貴重だったようです♪


↑お茶の水の石碑


↑お茶の水の説明

それから「大久保彦左衛門」の屋敷跡の石碑がありました♪
大久保彦左衛門は、徳川家康や秀忠、家光に仕え天下のご意見番として有名だったり、自分の出世を顧みず常に多くの浪人たちを養って就職活動に奔走して人気だったようです。
特に大久保彦左衛門は旗本以下で駕籠には乗れない身分だったので、一心太助の助言により「大だらい」に乗って江戸城に登城したという逸話があるようです♪
大久保彦左衛門は「三河物語」も著し、当時の様子がよく分かるようです。
墓所は岡崎市、京都市、東京都の白金にもあるようです。


↑「大久保彦左衛門」の屋敷跡

それから、「太田姫稲荷」へ行きます♪
まずガイドさんから当時の稲荷の番付を見せてもらいます♪
当時は、温泉とか神社などの番付が流行ったようです。
この「太田姫稲荷」は一番上の前頭にある通り、人気の稲荷だったようです。
たくさんの稲荷があるんですね。


↑太田姫稲荷


↑太田姫稲荷


↑太田姫稲荷の説明

そもそも稲荷は五穀豊穣を司る神で、その由来はキツネが米を食べてしまうネズミを退治し、そしてキツネの尻尾が稲に似ているからのようです。
キツネはネズミを退治するので大切にされていたようです。
ちなみに猫は仏教伝来とともにかなり後に日本に伝わったようです。
寝る子だから「ネコ」とのこと♪

それから、家の中では蛇(特にアオダイショウ)がネズミを退治するので神様として祀られていたようです。
ナルホド!

なお、この太田姫稲荷は、室町時代中期に太田道灌の娘(姫)が、ホウソウ(天然痘)に感染して生死をさまよい、太田道灌が京都の一口稲荷神社(いもあらいいなり)に回復を祈願して治癒したことから、このことに感謝し、この稲荷神社が江戸城内に造られたとのことです。
江戸時代も代々の将軍が崇敬していたようです。
なので太田姫稲荷なんですね♪

ちなみに太田氏は、関東管領の上杉氏とともに鎌倉時代に丹波から移住して来たよようです。
ちなみに日本人は暗殺された太田道灌や源義経のように悲劇の武将が人気なようです。

それから、ギリシャ正教のニコライ堂を少し見て、聖(ひじり)橋の方へ向かいます♪
聖橋というのは、そのニコライ堂と湯島聖堂と、両聖堂の間にあるからそう名付けられたようです♪


↑ニコライ堂

工事中の聖橋を渡っていきます。


↑聖橋を渡る

ガイドさんが、その神田川の浮世絵を見せてくれますが、この構図が西洋に多大な影響を与えたとのことでした。


↑神田川の浮世絵

次回は「②湯島聖堂~妻恋神社編」です♪

お勧めなお話(2017年上半期)

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