阪急交通社の北京ツアーで、中国の北京にある頤和園(イーホーユアン)へ1時間ほど行って良かったので紹介したいと思います♪
愛用している「タビトモ 北京」というガイドブックにも掲載されています♪
場所は地下鉄4号線の北宮門駅から徒歩1分となります♪
頤和園とは、清の6代目皇帝である「乾隆帝(けんりゅうてい)」が1750年に杭州の西湖をモデルとして実母の60歳の還暦を祝うために造営したとのことで、それ以来皇帝の避暑地の離宮として栄えたようです♪
湖水面積220万平米とかなり広い昆明湖は10年かけて掘り、そのスコップで掘った土で高さ60mの万寿山を造り、合わせて宮殿群を造ったようです♪
とにかくその湖の大きさには驚きましたね♪
↑昆明湖
しかしながら、1860年のアロー戦争(第二次アヘン戦争)の際に英仏連合軍によって破壊され廃墟となったようです。
そこで1880年に西太后(せいたいごう)が自らの還暦祝いのために78万両という巨額な資金を投じて改修し庭園を再生させたようです♪
ちなみにこの改修費は海軍の軍費を利用したため、その後の1894~1895年の日清戦争の黄海海戦等の敗因とも言われているようです。
10年間北洋艦隊の改修や新規追加が全くなかったとは驚きです。
その西太后(1835~1908年)は、清朝7代皇帝の側室で、8代皇帝の母で摂政だったため実権を握っていたようです。
↑西太后の肖像画
ちなみにこの西太后の肖像画の爪がかなり長いのは、自分の爪ではなく自分の爪を守るカバーだったようです。
日本では西太后は厳しい女性というイメージがありますが、ガイドの話によると良い面もあり生活習慣は良かったし勉強もし、楽しく過ごそうと周りにも働きかけていたようです。
その西太后の逸話としては以下があったとのことで、さすが健康に気遣っているようで、当時では珍しく74歳まで長生きしたようです♪
・京劇にも興味を持ち、北京最大の京劇舞台である徳和園大戯楼をこの地に建築
・早寝早起き
・起きてまず温かい他人の母乳を飲む(当時の金持ちの習慣とのこと)
・昼食後に昼寝を30分ほどする
・風呂では200枚のシルクのタオルを使う(100枚は石鹸を付けて体を洗い、残りの100枚は体を拭く)
・毎日マッサージを受ける
その後、西太后は1900年の義和団の乱に乗じ諸外国の干渉を排除しようとしますが、逆に8カ国連合軍が北京へ迫ると、北京を脱出して西安まで落ち延びたようです。
その際、この頤和園は焼かれてしまったようです。
しかし賠償金を支払うと1902年に西太后は北京に戻り、これまで通り政治の実権を握り、この頤和園も一部修復できたようです。
ちなみに西太后は1908年に74歳で亡くなり、ラストエンペラーとして3歳の「溥儀」が皇帝となりますが、わずか3年余りの1911年に清朝は辛亥革命によって倒されてしまいます。
その後、1970年代に中国政府によって頤和園は再建され、1998年に世界文化遺産に登録されたようです♪
前置きがすっかり長くなってしまいましたが^_^;)、東宮門の近くの入口でチケットを入手し頤和園へ入ります♪
↑チケット売場
まず、仁寿殿がありますが、ここは政治の場所で使者と会ったりしたようです♪
美しい建物です♪
↑仁寿殿
そして建物の前には鳳凰と龍がありました♪
恐らく縁起が良い皇帝の象徴だと思いますが、背中から香を入れて炊くと、口から煙が出る仕掛けのようです♪
なるほど!
↑鳳凰と龍
また珍しく日本語も書かれた案内図もありましたね♪
結構シンプルな地図です^_^)
↑案内地図
そして進むと改めて昆明湖がかなり広い!!!
これが人造湖とはとても信じられません!
そして、その掘った土で高さ60mの万寿山を造り、その頂には八角三層で、高さ20mの基壇の上に高さ41mの仏塔である仏香閣が美しく建っていました♪
この仏香閣には観音菩薩があり、千手観音とのことです♪
↑仏香閣
↑仏香閣の拡大
ちなみに西太后はこの昆明湖ではよく船に乗って船遊びをしていたようです。
船の上で食事もしていたようです♪
ただ、冬の間はこの昆明湖は凍るようです^_^;)
そして楽寿堂へ行きます♪
↑楽寿堂
楽寿堂は西太后の居室だったとのことで、ここで寝起きをし、政務や読書をしていたようです。
左側がベッドルームで右側が着替える場所だったようです。
この建物の前には銅製の鶴が置かれていましたね♪
そのほか鹿もあるようです。
ここは避暑地で西太后は夏に3ヶ月ほどいたようです♪
それからモクレンの木もあり、3月に花が咲くようです♪
↑モクレン
そしてお金持ちの象徴でもありますが、大きな太湖石がここにもありましたね♪
太湖から運んだのだと思います♪
↑太湖石
それから世界で一番長い728mの木製の廊下である長廊がありました♪
↑長廊
↑長廊
この廊下の梁には「三国志」や「西遊記」などの文学、神話、歴史を題材とした1万枚以上もの絵画が描かれているようです♪
時間があれば三国志は好きなのでじっくり見たかったですね♪
↑梁の絵
↑梁の絵
↑梁の絵
そして西太后はこの長廊で昆明湖を見ながら散歩するのが好きだったようです。
確かに湖が美しい♪
良い眺めだったのだと思います♪
↑長廊からの昆明湖
そして有名な桃源郷の絵がこの長廊の梁にありましたね♪
右側の桃の林を抜けると、平和で素晴らしい村があったという話ですね♪
↑桃源郷の絵
↑桃源郷の絵の拡大
この桃源郷の絵の上に「草木~」と書かれている文字は何と西太后の直筆とのことです♪
さすが字が巧いですね♪
それから中には入りませんでしたが、北京最大の京劇舞台である徳和園大戯楼がありました♪
↑徳和園大戯楼の説明
3段の吹き抜けになっている舞台で京劇を鑑賞することができ、たとえば孫悟空が地下から天へ飛ぶ時にこの3段を利用したようです♪
なるほど!
西太后が70歳の誕生日には向かいの頤和殿から観劇したようです。
さぞかし観劇だけに感激したことでしょう^_^;)
頤和園は広大な昆明湖やシンボルである仏香閣、長廊、徳和園大戯楼などを楽しめとてもオススメです!
次回訪れた際には、ゆっくり仏香閣の中や、長廊の絵、徳和園大戯楼の中などを鑑賞したいですね♪
愛用している「タビトモ 北京」というガイドブックにも掲載されています♪
場所は地下鉄4号線の北宮門駅から徒歩1分となります♪
頤和園とは、清の6代目皇帝である「乾隆帝(けんりゅうてい)」が1750年に杭州の西湖をモデルとして実母の60歳の還暦を祝うために造営したとのことで、それ以来皇帝の避暑地の離宮として栄えたようです♪
湖水面積220万平米とかなり広い昆明湖は10年かけて掘り、そのスコップで掘った土で高さ60mの万寿山を造り、合わせて宮殿群を造ったようです♪
とにかくその湖の大きさには驚きましたね♪
↑昆明湖
しかしながら、1860年のアロー戦争(第二次アヘン戦争)の際に英仏連合軍によって破壊され廃墟となったようです。
そこで1880年に西太后(せいたいごう)が自らの還暦祝いのために78万両という巨額な資金を投じて改修し庭園を再生させたようです♪
ちなみにこの改修費は海軍の軍費を利用したため、その後の1894~1895年の日清戦争の黄海海戦等の敗因とも言われているようです。
10年間北洋艦隊の改修や新規追加が全くなかったとは驚きです。
その西太后(1835~1908年)は、清朝7代皇帝の側室で、8代皇帝の母で摂政だったため実権を握っていたようです。
↑西太后の肖像画
ちなみにこの西太后の肖像画の爪がかなり長いのは、自分の爪ではなく自分の爪を守るカバーだったようです。
日本では西太后は厳しい女性というイメージがありますが、ガイドの話によると良い面もあり生活習慣は良かったし勉強もし、楽しく過ごそうと周りにも働きかけていたようです。
その西太后の逸話としては以下があったとのことで、さすが健康に気遣っているようで、当時では珍しく74歳まで長生きしたようです♪
・京劇にも興味を持ち、北京最大の京劇舞台である徳和園大戯楼をこの地に建築
・早寝早起き
・起きてまず温かい他人の母乳を飲む(当時の金持ちの習慣とのこと)
・昼食後に昼寝を30分ほどする
・風呂では200枚のシルクのタオルを使う(100枚は石鹸を付けて体を洗い、残りの100枚は体を拭く)
・毎日マッサージを受ける
その後、西太后は1900年の義和団の乱に乗じ諸外国の干渉を排除しようとしますが、逆に8カ国連合軍が北京へ迫ると、北京を脱出して西安まで落ち延びたようです。
その際、この頤和園は焼かれてしまったようです。
しかし賠償金を支払うと1902年に西太后は北京に戻り、これまで通り政治の実権を握り、この頤和園も一部修復できたようです。
ちなみに西太后は1908年に74歳で亡くなり、ラストエンペラーとして3歳の「溥儀」が皇帝となりますが、わずか3年余りの1911年に清朝は辛亥革命によって倒されてしまいます。
その後、1970年代に中国政府によって頤和園は再建され、1998年に世界文化遺産に登録されたようです♪
前置きがすっかり長くなってしまいましたが^_^;)、東宮門の近くの入口でチケットを入手し頤和園へ入ります♪
↑チケット売場
まず、仁寿殿がありますが、ここは政治の場所で使者と会ったりしたようです♪
美しい建物です♪
↑仁寿殿
そして建物の前には鳳凰と龍がありました♪
恐らく縁起が良い皇帝の象徴だと思いますが、背中から香を入れて炊くと、口から煙が出る仕掛けのようです♪
なるほど!
↑鳳凰と龍
また珍しく日本語も書かれた案内図もありましたね♪
結構シンプルな地図です^_^)
↑案内地図
そして進むと改めて昆明湖がかなり広い!!!
これが人造湖とはとても信じられません!
そして、その掘った土で高さ60mの万寿山を造り、その頂には八角三層で、高さ20mの基壇の上に高さ41mの仏塔である仏香閣が美しく建っていました♪
この仏香閣には観音菩薩があり、千手観音とのことです♪
↑仏香閣
↑仏香閣の拡大
ちなみに西太后はこの昆明湖ではよく船に乗って船遊びをしていたようです。
船の上で食事もしていたようです♪
ただ、冬の間はこの昆明湖は凍るようです^_^;)
そして楽寿堂へ行きます♪
↑楽寿堂
楽寿堂は西太后の居室だったとのことで、ここで寝起きをし、政務や読書をしていたようです。
左側がベッドルームで右側が着替える場所だったようです。
この建物の前には銅製の鶴が置かれていましたね♪
そのほか鹿もあるようです。
ここは避暑地で西太后は夏に3ヶ月ほどいたようです♪
それからモクレンの木もあり、3月に花が咲くようです♪
↑モクレン
そしてお金持ちの象徴でもありますが、大きな太湖石がここにもありましたね♪
太湖から運んだのだと思います♪
↑太湖石
それから世界で一番長い728mの木製の廊下である長廊がありました♪
↑長廊
↑長廊
この廊下の梁には「三国志」や「西遊記」などの文学、神話、歴史を題材とした1万枚以上もの絵画が描かれているようです♪
時間があれば三国志は好きなのでじっくり見たかったですね♪
↑梁の絵
↑梁の絵
↑梁の絵
そして西太后はこの長廊で昆明湖を見ながら散歩するのが好きだったようです。
確かに湖が美しい♪
良い眺めだったのだと思います♪
↑長廊からの昆明湖
そして有名な桃源郷の絵がこの長廊の梁にありましたね♪
右側の桃の林を抜けると、平和で素晴らしい村があったという話ですね♪
↑桃源郷の絵
↑桃源郷の絵の拡大
この桃源郷の絵の上に「草木~」と書かれている文字は何と西太后の直筆とのことです♪
さすが字が巧いですね♪
それから中には入りませんでしたが、北京最大の京劇舞台である徳和園大戯楼がありました♪
↑徳和園大戯楼の説明
3段の吹き抜けになっている舞台で京劇を鑑賞することができ、たとえば孫悟空が地下から天へ飛ぶ時にこの3段を利用したようです♪
なるほど!
西太后が70歳の誕生日には向かいの頤和殿から観劇したようです。
さぞかし観劇だけに感激したことでしょう^_^;)
頤和園は広大な昆明湖やシンボルである仏香閣、長廊、徳和園大戯楼などを楽しめとてもオススメです!
次回訪れた際には、ゆっくり仏香閣の中や、長廊の絵、徳和園大戯楼の中などを鑑賞したいですね♪