京都御所に散歩に行って、
宿の隣に護王神社があるのに気付いて、
そこに寄って戻った。
護王神社は、はじめ神護寺の境内に
和気清麻呂公の霊社として祀られていて、
明治19年に、明治天皇の勅命で
今のところへ移ったのだそう。
猪の鼻をなでると幸せが訪れるという手水舎
雌雄の狛猪
清麻呂公が都から宇佐に向かう途中災難に遭い、
その際300頭の猪が現れて、公を護ったことが、
日本書紀に記されていることから、
護王神社のシンボルになったのだそう。
足腰の健康にご利益がある神社で、
お守り買っておけばよかったと。
歩き過ぎて、いまだに足の調子が悪い。
私学共済の「晩冬の京都を歩く」の旅、
初日の二寺目、神護寺へ。
金閣寺から高雄までバスで。
バス降りて、アップダウンの起伏の激しい雪道を、
歩くこと30分・・・・・しんどかった
清滝川を臨む○で囲んだ所から、
厄除けのかわら投げをしてきた・・・なかなか飛ばないものだ。
厄除けどころか、厄が舞い戻ってきそうな投げ方。
この後、5時前には宿へ。
寒波到来の8日から二泊三日で、
私学共済の「晩冬の京都を歩く」というツアーで京都に。
新幹線が大幅に遅れ、
初日と2日目は雪の中の観光だった。
京都に着いて、錦鶴(きんかく)で昼食を摂って、金閣寺へ。
京都はあまり雪が積もらないようで、
雪の積もった金閣寺を見られるのは幸運なのだそう。
そのせいか、ルートを金閣寺に変えた人が多く、
チケットを買うのに、寺の外の歩道まで
長い列ができていた。
私たちはそれを横目に、団体通路から入場したけど、
中に入ったら、人でいっぱい。
順繰りに前に出て、写真に納めた。
元は西園寺家の別荘で、
足利義満が譲り受け、舎利殿(金閣)を中心に、
北山殿(全体をこう呼ぶらしい)を造り、
政治・文化の中心で、
天皇や明からの使者を迎える場として使われ、
義満の死後、遺言により寺院となったのだそう。
夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって
正式名は「北山鹿苑禪寺」。
仏舎利が納められている金閣三層
岩屋観音像と四天王像が安置されている金閣二層
金閣一層には足利義満の像が安置されているのだそう。
金閣の各層のこと、初めて知った。
この写真と層の写真はパンフレットより
朱印所、行列ができていて、断念した。
しかし、入場時、パンフレットと一緒に、
このお札をいただいた。
何十年ぶりかの金閣寺、
記憶も薄れかけていたところ、
京都に住んでいても、滅多に見れないという、
雪の金閣寺が見れて、本当に良かった。
慈眼寺のくろみつ大雄尊(黒塗りの明智光秀公坐像)がいらっしゃった
釈迦堂の天井にも
護法の龍天井が。
天井の龍は仏法を護る「竜神」とも呼ばれ、
お堂を災いから守るとともに、
参拝者に更なる加護を授与すると。
そんなわけで、知らないだけで、
名を知られていない絵師による龍の画が
意外に色々なお寺にあるのかも・・・・・・。
2020年のNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の時、
黒く塗られた明智光秀の像があるのを知った。
使用期限が明日までの青春18きっぷを使って、
京都市京北周山の慈眼寺に
やっと拝観に行って来た。
京都駅からJRバスの高雄京北線で終点、
周山で下車。約1時間半かかった。
バス賃片道1080円。
バス駅から
数分のところにあり、
庫裏のチャイムを押すと、
出て来てくださって、本堂と釈迦堂を開けて
説明をして下さった。
本堂奥の天井画のある開山堂は非公開だそう。
いただいたパンフレットより
お寺の裏には明智光秀が築いた周山城の城跡があり、
光秀は圧政を解放し、善政を敷き
領民から慕われ、
「本能寺の変」で謀反者となった光秀の像を
領民が黒く塗って守ったのだそう。
しかし、この
穏やかな顔を見慣れているので、
京都観光Naviより拝借
「くろみつ大雄尊」と呼ばれているらしいが、
何でこんな怖い形相なんだろう・・・・・・・・。
ところで、「周山」と名づけたのは光秀だそう。
注意
拝観は土・日・月曜日の週3日、午前10時から午後4時まで。
それ以外は要予約です。