自分のいのちの最後をどう締めくくるのか。
わが人生にどのようにけじめをつけるのか。
「死に際してわが身を・・・・・・・ように処したい」
その・・・・・・を「始末」と言っている。
死と向き合うためのモノの始末、こころの始末。
老いる覚悟、病気になる覚悟、死ぬ覚悟、
一段ずつステージを昇るようにして
それを手にしていくことができれば、
生き方も自ずと変わってくる。
自分の納得のいく落ちついた臨終期を
迎えられるような気がする・・・・と書かれている。
私なんか、覚悟がゆるぎそう。
それじゃあ覚悟にならんのだろうけど。
しかし、この本のはじめにの中で、
「古今東西、尊敬すべき宗教者は、
みな立派な最後を遂げている。
それは宗教的に高いステージ、
安寧な境地に達していたからというよりは、
むしろ人の死をたくさん見つめて、
死についてたくさん考え、
自分自身の最後への覚悟が
据わっていたからだと思っている」と。
「それじゃあ私もじゃん」と思った。
私も看護師として、いろいろな人の死を看てきたり、
いろいろな生き方を見てきて、
死に対する不安が少し和らいできたと思う。
人生いろいろあってこそ人生だと思えるようになったし、
そのおかげで精神も強くなったと思っている。
晩年が心安らいだ状態で過ごせるようになると、
「なんだかんだ言っても、いい人生だったんじゃないか。」
と肯定的になれる。
「終わりよければすべてよし」の言葉どおり、
最後の一年くらいを
どんなこころもちで生きられるかが大切と言っている。
死がいつどのように
自分の身にやってくるのかはわからない。
しかし、死に近づいていく年齢であることは確か。
「自分のいのちの最後をどう締めくくるのか。
わが人生にどのようにけじめをつけるのか。」を
考えておくことが大事だと思った。
この本の著者、山折哲雄さん
「死んだときは葬式はしない。墓はつくらない。
遺骨はひと握りずつ海や山に撒いてもらう。」と
決めておられるそう。
我が家も「墓はつくらない」(夫の親の墓もない)だけど、
お葬式はどうしたものかと考えていたけど、
しなくていいなと思うようになった。
遺骨は一つは日泰寺に納骨して、
もう一つは曹洞宗の本山の永平寺に納骨してたけど、
日泰寺だけにし、
ひと握りは何処かに撒いてもらおうと・・・・・・
『「始末」ということ』
著 者:山折哲雄
出版社:角川学芸出版