今日のタイトルは先日の中日新聞の紙つぶてのタイトル。
その内容は、
Qさんは、がんの治療を受ける際、
医師にA、B二つの方法を提示され、
Bを選んで想定外の後遺症に見舞われた。
つらさに耐えかねて夫に愚痴をこぼしたところ
「結果論だよ」の一言。
夫は「済んだことは気にするな」と言いたかったのでしょう。
けれども、わかってはいても、
言わずにいられない心情が当人にはあるのです。
Qさんは、助けを求めた相手に
切って捨てられるような思いがしたと。
あなたが夫だったらどのように応答しますか。
こんなときは、同じ立場・仲間(ピアというらしい)として
相手の悩みを受け止め理解するため、
自分の価値観は脇において傾聴し、
相手の心情に配慮しながら応答する
イエス・バット話法も基本一つで、
話を肯定的に受け止めたのちに、
しかるべき自分の意見を述べる。
職業柄、私の仕事には傾聴というケアがある。
そのあとのイエス・バットが難しい。
私も白血病で抗がん剤の治療をしていたとき、
面会に来てくれた夫に、
「つらい」と言ったことがある。
私らしくないけど、抗癌剤はつらかった。
そのとき、夫はなんと言ったと思いますか。
「家に残されてる、おれらもつらいんだぞ」と・・・・
この言葉、一生忘れんと思うけど
そこで、初めて気づかされた。
自分のことしか考えてなかったと。
私はQさんのように「助けを求めた相手に
切って捨てられるたよう」とは思わなかったけど。
人それぞれ受け止め方や感じ方が違うので、
イエス・バットが難しい。
さて、Qさんの愚痴に対して
紙つぶてに載っていた模範応答は、
「思いもかけぬ後遺症が出てくるなんて、
おまえもつらいだろう」
「気持ちはわかるけど、
Aにしておけばよかったということはもう言うな」
「何かいい方法がないのか一緒に考えよう」でした。