おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

ばんえい競馬

2007年01月05日 | Weblog


開拓の歴史は、アメリカも北海道も馬とともに始まった。
農耕馬が巨木の根を掘り起こし、原始林を農耕地に変えていったそうじゃ。
まさに人馬一体の大作業じゃったことは間違いないね。

開拓史の判官・島義勇(よしたけ)は、うっそうとした森に覆われて「空も見えないほど」といわれた札幌に着任したのだという。
原始林に覆われておったんだねぇ~この街も。
いまはコンクリートジャングルじゃ。
開拓を支えたのは、馬力。
馬の力じゃね。

おぢが小学生だった昭和30年代。
そう、マンガ「三丁目の夕日」の時代じゃ。
大江戸では東京タワーが建設されておったのに、札幌ではまだ馬車が当たり前に走っておった。
春先には道路に落ちていた馬ふんが乾燥して舞い上がり、「馬ふん風」と呼ばれた。
お隣の親父は、そのホカホカの馬ふんをサボテンの肥料にしておった。
長閑じゃねぇ~

その頃通っておった小学校の近くには、蹄鉄屋というのがあった。
蹄鉄屋とは、馬の爪を削って蹄鉄を取り替える作業をする。
真っ赤に焼いた蹄鉄を馬の爪に押し当てると、嫌な匂いが周囲に立ち込めた。

馬は痛くも痒くもないが、なんか残酷なシーンにも見えた。
それでも下校途中に、その光景を30分も1時間もじーっと見ておった。
小学校があったのは今の中央区、いま区内で見られるのは観光馬車だ。

間もなく札幌市内からは馬の姿は消えたけど、農村ではまだ現役として農耕馬が活躍しておった。
ニセコ周辺ではこのころでも電気のないところがあったというし、馬は当然ながら貴重な労働力。
というわけで、札幌近郊の町や村でも、この農耕馬で「ばん馬競技」が行われておった。
祭りのメインイベントじゃ。
馬は貴重な労働力であり、友人であり、仲間だった。

そのうちばん馬は、公営ギャンブルとなった。
フランスからはペルシュロン種の馬が輸入され、どんどん力の強い馬が生産された。
ばんえい競馬は、馬を鞭で叩くけど、人間様が鞭で打たれるのとは訳が違う。
痛くはないのじゃ。
妙な動物愛護はまことに困りますです。

上記のような歴史を経たばんえい競馬は、いわば「北海道の文化」といって過言ではない。
確かに経営が成り立たないのは大問題。
経営が大甘だったのも事実。

だから無くしてしまえってのは、どうだろうじゃろか?
目先はソフトバンクに期待するしかないけどさ。