おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「胡適(こてき)」という人

2010年08月23日 | Weblog


午前7時の気温は、21度。
晴れてま~す!!
気持ちのよろしい月曜の朝でござる。

きのうも暑かったねぇ、もうすぐ9月というのに、まだ真夏であります。
どうなってんだか。

おととい、諸般の事情で札幌へ日帰りで往復してきましたです。
札幌とすっぱり縁を切って移住したのだけれど、まだあれやこれや、片付けなければならんことがあるのでござる。
その際、ついでながら旧友歯科で、歯のチェックをしてきましたです。
チェックといっても、歯石をとって、あれこれ歯をクリーニングして、ひとり約1時間の治療でござる。

ハニーさんとふたりで、2時間も仕事していただきましたです。
それでも、保険が利いて、ふたりでチョー格安でござる。
東京だと、同じ作業で、ひとり1万円、計2万円になるのだそうだ。

この旧友のおかげで、この歳にして、歯周ポケットの深さは1~2ミリに止まっておりまする。
少なくとも「歯周病」や「入れ歯」になる可能性は、いまんとこ皆無でござる。
ご同輩の皆々さま、しっかり歯のチェックだけはしましょうね。
歯がなければ、ご飯も美味しく食べられませぬ。

第一、入れ歯って、かっこ悪い。
昔、ある政治家でしたけど、なかなかご立派な演説されておって、声を張り上げ、決め台詞を吐こうとしたそのとき、入れ歯が口から飛び出して、フガフガ。
残念なタイムリーエラーでござった。

本人はもちろん、見ておる聴衆もありゃりゃ。
よい子は、入れ歯にならんようにしましょうね。

治療の最後には、歯を磨き上げてもらった。
去年、ホワイトニングしたにもかかわらず、多少くすんできておったおぢの歯も、これでピカピカに。

そんなこんなで、しみじみしますが、歯医者とか弁護士とか、旧友にあれこれごっちゃり居るってのは、まことに助かるねぇ。
おぢとハニーさんがもしも同時に亡くなった場合には、わずかばかりですが、遺産は全て国庫に入ってしまうことがわかり、この春、旧友弁護士の指導で遺言状を作りました。
悪徳弁護士が横行する昨今、信頼できる弁護士、助かるのよねぇ…

さて、
トイレで毎日、わずか数分だけどしておる読書。
ここんとこ、延々と読んでおったのは、東大教授の加藤陽子さんの「それでも日本人は戦争を選んだ」
この本、中学と高校の歴史研究部の生徒たちに話した「日露戦争から太平洋戦争まで」の講義なのじゃ。

その中の日中戦争の項に、胡適(こてき)という中国の方の話が出てきます。
たいそう頭のよい方で、日中戦争が始まる前の1935年、「日本切腹、中国介錯論」というのを唱えるのだそうでござる。
この意味はというと、当時の中国はアメリカとソ連の2カ国の力を借りなければ、救われないとみなします。

当時の日本の勢いを抑止できるのは、アメリカの海軍力とソ連の陸軍力しかないと考えます。
これを日本軍はよく知っているので、この2国のそれぞれの軍備力が完成しないうちに日本は、中国に戦争を仕掛けてくると思うわけ。
つまり、日米戦争、日ソ戦争が始まる前に、日本は中国と戦争とするだろうと見ておるのでござる。

で実際、37年に日中戦争が始まり、41年に日米戦争が始まり、45年に日ソで戦争が始まるというたいそう先見性のある人物でござった。
その1935年当時、胡適さんは、アメリカやソ連が、日本と中国の紛争に干渉してくれることを望んでいたのですが、実際にはアメリカもソ連も傍観者を決め込んでおった。

なんとか、アメリカとソ連を日本との戦争に巻き込みたい。
日本を切腹に導く方策はないか、胡適さんは考えた。
で、その結論というのが凄い。

とにかく「日本軍に負け続けて、3年も4年も単独の苦戦を覚悟しろ」というのです。
そうすれば、世界中の人々が中国に同情する。
戦場が拡大すれば、満州に駐在した日本軍は、西方面や南方面にも移動しなければならなくなり、ソ連は付け込む隙が出来たと考える。
アメリカ、イギリスは、香港、フィリピンが脅威にさらされるので、軍艦を派遣する。

こうなると、太平洋戦争の実現を促進できる。
日本は、全民族が切腹への道を歩いている。
だから中国は、いまは負け続けるけれど、最終的にはニッポンの介錯人になるというのです。

ニッポン人からすれば、介錯人ってなんだかなぁ~とは思うけど、それまで「単独で負け続ける」という覚悟が凄い。
ニッポン人にはこんな人はおりませぬ。
こんな国には勝てませぬ。

この胡適さん、ニッポンの真珠湾攻撃のときは、駐米大使になっておったそうな。
対する当時の我がニッポン国、作戦計画は軍の課長級の若手が考え、各省庁の若手の課長級で形式が整えられ、閣議にかけられて、実質的な論議もないまま、天皇の前での御前会議で形式的な問答で終わるという。

胡適さんは3年もの間、負け続けないとアメリカ、ソ連は介入してこないという、まことに暗い覚悟なのじゃ。
日中戦争が始まったとき、昭和天皇に、「3ヶ月で終わる」と豪語しておった我がニッポンの軍部だけれど、太平洋戦争が始まるまで4年間も闘い続けておっても、終わる気配はなかった。

胡適さんの思っていたように、歴史は進み、ニッポン国は敗戦を迎えたのござる。
「日本切腹、中国介錯論」どおりに歴史は動いたのじゃ、凄いねぇ…