goo blog サービス終了のお知らせ 

浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「歴史は繰り返す」

2013-11-20 09:53:16 | 読書
 最近、「歴史は繰り返す」ということばを、あちこちで聞くことが多くなった。安倍政権になったら、平和と民主主義を象徴する「戦後」というものが、遠くかすんでいくようになった。

 その後ろから、新しい「戦前」が垣間見えるようになってきた。秘密保護法など、まさに「戦前」である。あの暗い時代を、再び生きていかなければならないのか。

歴史は繰り返す

(2013-11-15更新)

 「これもあれも秘密となると、非常に危険なことにはならないか」
 「決して国民に目をふさぎ、耳をおおえというような、昔の代官時代の立法でない」

 これを読んで、国会で審議されている特定秘密保護法案のやりとりだと思う人もいるだろう。そうではない。今から76年前、1937年(昭和12年)8月にあった帝国議会の衆議院軍機保護法改正法律案委員会での議員と陸軍の担当者の質疑応答だ。

 軍機保護法は戦前の国家秘密法だ。国家機密のうち軍事機密を保護の対象とし、探知、収集、漏洩を処罰する。最高刑は死刑で、軍人以外に民間人も対象だった。当たり前だが、秘密が広がって大丈夫なのか、と心配する意見が当時もあった。それが杞憂でなかったのはその後の歴史をみれば、わかる。

 例えば、1937年のこの法律による摘発者は76人だったが、1941年には749人に上ったという調査がある。そして、日本がアジア・太平洋戦争を始めたその日、冤罪事件が起こる。北海道帝国大学の学生・宮沢弘幸が、旅行の見聞を北大予科の教師ハロルド・レーン夫妻に話したことが軍機保護法に違反するとして逮捕された「レーン・宮沢事件」だ。根室の海軍飛行場などの存在を探知し、漏洩したという容疑だったが、秘密でも何でもなく、公知の事実だった。

 獄中で患った結核が悪化して27歳で亡くなった宮沢の妹さんが心配していた。「戦前のように機密の範囲が何の歯止めもなく拡大していくのではないでしょうか」(朝日新聞8日付朝刊)

 歴史は繰り返す。こんな法律を作ってはならない。


http://www.kenpou-media.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=63
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道徳を説く人間こそ道徳とは無縁の人々だ

2013-11-20 09:32:16 | 政治
 長い間生きてきて、道徳を説く人の胡散臭さを肌で感じてきた。道徳を説く人間こそ、唾棄すべき存在である。道徳は、説くものではなく、人が生きていきながらその態度や姿勢で示すものだ。

 政治家とか、安倍がお友だちとする有識者たちは、道徳を説くことがとても好きなようだ。次のリンクは、そのメンバーである。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/096/maibo/1333161.htm

 ここで出された意見には、国家主義的なものもある。ああ怖い!!

○ 国をつくる、維持するためにどういうことが必要か、自分の命、子々孫々に至る命を守り続けるために何が必要かを子供とともに考えることも大事なモラルの教育。

○ グローバル社会だからこそ誇りを持って発信できる日本特有の伝統的な価値観について考えていくべき。

○ 生徒がいろいろな課題に直面する中で、武道など日本文化を支えるものとの技術的な関わりを通して、自分なりの自信と技術を習得しながら成長していくことが大事。


http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/096/shiryo/attach/1340568.htm

 もちろん中には、安倍政権の意向を阻害するような意見もある。しかし、安倍政権や文部官僚の既定路線の上では、単なる参考意見となるだけだ。参加する「有識者」の多くは、安倍政権のお友だち。だからそのような意見は絶対に多数にはならない。政権が多用する「有識者懇談会」は、安倍政権の腹黒い野望を隠すものでしかない。

 メディアには、正当な批判をするところもある。『信濃馬日新聞』の主筆は、中馬清福氏。きちんと言うべきことを指摘している。

道徳の教科化 心に成績を付けるのか 11月12日(火)


 松本市の手塚英男さん(74)が作った紙芝居「ぼくらは開智国民学校一年生」に、こんな場面がある。

 6歳の子どもたちの入学式で校長先生が白い手袋をして当時の道徳の基本「教育勅語」を読み上げる。その後、「日本は神の国です。きっと神風が吹いてアメリカを負かします。天皇陛下のお役に立てるよう励みなさい」と呼び掛ける。

 「はい!」。1年生たちは元気に返事をする。手塚さんも「戦争に行ったら天皇陛下の御ために潔く死のうと思いました」。

 戦前や戦中、日本では国家が「教育勅語」のような一つの価値観を教え、国民はそれに従うことが求められた。

 民主主義下では、多様な価値観の中から自ら選択し、価値を紡いでいくことが求められる。道徳教育とは、子どもたちにさまざまな価値観を提供し、体験などを通して自らが考える力を養っていくことではないだろうか。

 文部科学省の有識者会議がきのう、今は正式な教科ではない小中学校の「道徳の時間」を教科に格上げする報告書案を示した。同省は中教審の議論を経て2015年度にも教科化する方針という。

 教科化とは、検定教科書を使い、子どもたちを評価することだ。国家が価値観を教え込んだかつての時代に逆戻りする恐れがあり、賛成できない。

 報告書案は、他教科と同様に民間会社が作成し、国の検定に合格した教科書を用いるのが適当としている。

 さまざまな色彩を帯びた教科書を国がどのような基準で検定するというのか。時の政権の意向に沿ったものだけが合格し、そうでない価値観が排除されることになりかねない。

 評価も同様だ。他教科のような数値による評定ではなく記述式の評価を求めているが、何が達成目標なのか。どこまで目標に近づいたのかをどう判断するのか、子どもの心の動きを評価できるのか―など多くの疑問がある。子どもを特定の価値観に誘導する危険性もはらんでいる。

 道徳の教科化は、第1次安倍晋三政権からの悲願だ。第1次では中教審が教科書検定などに難色を示して見送られた。第2次では、首相直属の教育再生実行会議が、いじめ対策に絡めて提案した。

 気になるのは、天皇を元首にしたり、国防軍を創設したりする憲法改正の動きと軌を一にしていることだ。子どもたちに教育勅語と同じ時代を歩かせてはならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秘密保護法という闇

2013-11-20 09:23:03 | 政治
 日本政府は、アメリカとの軍事作戦を共同で展開するため、とくにアメリカから寄せられる軍事的な情報を隠すためにこの法律をつくろうとしているのであるが、しかしこの法案の恐ろしいところは、どこまででも拡大解釈が可能であるということだ。

 日本の議員たちは、治安維持法の時代、治安維持法がいかなる役割を果たしたのかを知らない。ノーテンキな議員たちが国会を跋扈している。そうさせた日本国民の失態である。

 今は、とにかく反対の姿勢を示しつつ、法案の中身をきちんと理解することが肝要だ。『中日新聞』は、明確に社説その他で、その問題点を指摘している。


特定秘密保護法案(1) 自由に壁が築かれる   2013年11月18日

 特定秘密保護法案は「戦争をしない国」から「戦争ができる国」に進める歯車の役目さえ果たす。

 日本版NSC(国家安全保障会議)を設ける法案とセットで提案されているうえ、その先には国家安全保障基本法案が見えているからだ。自民党の法案概要では、憲法九条を改正しなくとも、集団的自衛権の行使ができる魔法のような法案だ。

 同党幹部は米中央情報局(CIA)のような諜報(ちょうほう)機関を新設することも公言している。この文脈が示すのは、軍事や治安分野への傾斜度を格段に高めることだ。秘密保護法案をめぐる国会の議論は、この大きな視野が欠けている。

 政府は米国から情報をもらうために秘密保護法が必要だと説明する。だが、他国の軍隊や治安機関から情報を得るには、相互主義が基本である。「ギブ・アンド・テーク」が鉄則とされる。

 「秘密保護」という表面の言葉に惑わされず、裏面の「ギブ」にも注意を払うべきだ。米国に提供されうる重要情報である。現状は不明だが、その収集活動にあたるのは防衛・公安当局などだ。

 対象は中国や北朝鮮、イスラム系など在留外国人の動向にとどまらないはずだ。米軍基地の反対運動や反原発運動など、幅広い市民活動に対しても監視が強まるだろう。これを正当化し、本格化させるのが裏面の目的といえよう。

 そもそも、法案の前提にされる「日本はスパイ天国だ」という指摘は本当だろうか。安倍晋三首相が「過去十五年間で情報漏えい事件を五件把握している」と答弁したのが、正直な現状ではないか。現行法でも十分に対処できるうえ、立法事実も存在しない。

 もし、この法案が成立すれば、蛇口を閉じるように、行政機関からの情報量が大幅に減る心配がある。何が「特定秘密」かも明らかでないため、公務員側はジャーナリストの取材にたじろぐ。一般情報さえ口にしにくい空気が役所内部に醸成されよう。

 個人情報保護法ができたとき、さまざまな名簿が忽然(こつぜん)と消えた。それ以上の萎縮効果が広がるだろう。民主主義社会は自由な情報に基づいて築かれている。厳罰法制は、知る権利や報道の自由などに鎖をつけるに等しい。

 行政機関の情報漏えいならば、内部の情報保全を徹底すれば済む。社会全体に投網をかける必要はない。情報統制色を帯びる法案を成立させてはならない。 (論説委員・桐山桂一)

特定秘密保護法案(2) 情報は国民のものだ   2013年11月19日

 「迷ったら、公務員は情報を開示することが原則だ」

 米国のオバマ大統領は一期目の就任初日に、こんな趣旨のメモを記した。軍事大国で、元CIA(米中央情報局)職員スノーデン氏が告発したように、通信情報を広範に収集している国だ。

 だが、基本的に情報はオープンという伝統を持つ自由と民主主義の大国である。情報公開を促す「情報自由法」を持つ。国家機密でも解除は十年未満に設定され、二十五年たつと「自動解除」原則がある。五十年、七十五年の例外的なケースもあるが、行政機関がずっと秘密を持ち続けることの方が困難な制度をつくっている。

 機密の指定段階でも大統領令で、行政機関の「長」はフリーハンドで行えず、常に「説明しなさい」という状態に置かれる。疑念があれば、行政内部で異議申し立てが奨励される。外部の委員会に審査請求できる仕組みもある。

 ここで機密解除された裁決は二〇一〇年度で68%にのぼる。秘密の範囲が無限定になると、民主主義が危機に陥ってしまう。同年には過剰な機密指定を削減する法律もつくったほどだ。

 秘密保護法案は秘密の指定や保管、解除、処罰に大きな欠陥を抱えている。海外メディアの特派員でつくる「日本外国特派員協会」が「報道の自由および民主主義の根本を脅かす悪法だ」と声明を出したのも、うなずける。

 そもそも行政情報は国民のものである。国民主権原理が常に働いているからだ。外交上の秘密であっても、必要最小限のみを指定すべきであり、秘密保持期間も本来は一時的でなければならない。その外交政策が後に適切であったかどうかの検証も必要である。

 「国政に関する情報が基本的に国民に開かれていることが原則である。(中略)なんでも秘密だというのでは、自由の原則が崩れてしまう」

 一九八〇年代にスパイ防止法案が論議されたとき、谷垣禎一法相は月刊誌にこう書いた。「刑罰で秘密を守ろうという場合は、よくよく絞りをかけておかないと、人の活動をいたずらに萎縮させることになりかねない」とも記した。まっとうな意見だ。

 現在、谷垣氏は「当時と状況が違う」と語るが、「自由の原則」は不変のはずだ。民主主義の根幹を揺るがす法案には、外国特派員とともに「悪法」と呼びたい。 (論説委員・桐山桂一)


特定秘密保護法案(3) 崖っぷちの「知る権利」  2013年11月20日

 国民の「知る権利」と安全保障は、いわば綱引きのような関係である。政府は「秘密にしたい」と言い、国民は「情報を公開してほしい」と願う。調整をどのように図ったらいいのか。

 「あらゆる人は、公的機関が保持する情報にアクセスする権利を有しており、その権利を制限する正当性を証明するのは、政府の責務である」

 今年六月にできた「ツワネ原則」はそう定めた。安全保障と情報に対する権利の国際原則である。世界七十カ国余りの専門家約五百人で作成した。兵器開発や軍隊の作戦など、限られた範囲での情報制限は認めているが、政府に証明を負わせる点は重要だ。

 秘密指定を行政機関の「長」に委ねる特定秘密保護法案と出発点が決定的に異なる。さらにツワネ原則は国際人権法に反する情報など、「何を秘密にしてはならないか」を明確にしている。どこまで秘密に覆われるか不明な日本の法案とは、まるで正反対である。

 国家の公衆監視も規制し、裁判所で秘密が公開され、審理できる保障も定めている。ことごとく考え方が逆方向なのだ。国連や米州機構、欧州安保協力機構などのメンバーが加わった最先端の原則から、わざわざ踏み外す法案をなぜ政府はつくるのか。

 秘密に対する日本の官僚のおそまつさを示す一例を挙げよう。二〇〇六年と〇八年に当時の「原子力安全・保安院」の審議官クラスらが渡米した。原発への航空機衝突や火災などの場合について、対処法の説明を受けた。

 だが、米国側から「秘密だ」と注意された。そのため、保安院側は原子力安全委員会にも、電力会社にも伝えなかった。原発の過酷事故に関する重要情報をせっかく米国から提供されていたのに、全く生かせなかったわけだ。

 秘密情報であっても、関係機関内で共有され、活用されなくては何の意味もない。重罰で秘匿化をより強める法案は実用的でないうえ、官僚をさらに束縛する。

 逆に官僚は公文書の公開には無関心すぎる。一一年度に保存期間が満了した行政文書のファイル約二百三十万件のうち、廃棄された割合は実に92・5%にものぼる。国立公文書館に移管されたファイルは、たったの0・7%にすぎない。

 このうえ秘密の密封度を高める法案とは何事か。国民の「知る権利」は崖っぷちに立っている。 (論説委員・桐山桂一)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013-11-20 00:35:26 | 日記
 ここ数日、新聞以外の活字をよもうという気がおきない。木曜日にはTPPについて話さなければならないのに、それに関する本は買ってあるのに、なぜか読もうという気がおきないのだ。

 今まで忙しすぎたからか、いろいろなところにエネルギーを費消してしまったのか。目前の課題に対応する日々が続いていたので、じっくりと腰を落ち着けて何かをするという気持ちが失せたようだ。

 一昨日は、買ってあった花の種をまき、今日は畑で野菜の種をまいた。こういうことをしているときは、無心でいるのだが、これだけでは気分転換にはならないようだ。

 生活には波があるようだ。今は、下り坂かもしれない。

 今週金曜日、上京する。土曜日に、東京で田中正造に関するフィールドワークがある。その前日、猫を数匹飼っているS宅に宿泊することになっている。新築の家だ。

 はたしてどういう家か。何でも山小屋風だとかいっていたが。

 今度の上京が、気分転換になればよいと思っている。



MEMO:田中正造ゆかりの地を歩く

毎日新聞 2013年11月08日 東京朝刊

 足尾銅山鉱毒事件解決のため奔走した政治家、田中正造のゆかりの地を歩くフィールドワークが23日、東京都台東区で実施される。題して「田中正造を巡る人々を向島に訪(と)う」。午前8時半、台東区民会館9階に集合。同会館で学習会の後、午後から浅草寺、勝海舟像、榎本武揚邸跡などを歩く。主催は「田中正造に学ぶ会・東京」。今年は正造没後100年にあたり、同会は多くの人の参加を呼びかけている。資料代1000円。昼食は各自が用意。事前申し込みは不要。問い合わせは同会の鮎澤さん(03・3966・1715)。


 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする