これは『毎日新聞』社説。
日本政府が行ってきた外交政策の資料については、アメリカ公文書館でさがすというのが普通になっている。なぜか。日本政府が開示しないからだ。アメリカの公文書では公開されているのに、日本の政府関係者の署名すらあるのに、今もってそういう資料はない、そういう事実はない・・と主張するのだ。もし秘密保護法が成立したら、日本の政治は暗闇のなかに入ってしまう。それでよいのか!
社説:秘密保護法案を問う 歴史研究
毎日新聞 2013年11月12日 02時31分
◇検証の手立てを失う
特定秘密保護法案は、国民の共通の財産であるべき公文書の保管、公開を著しく阻害する恐れがある。これでは、政府は後世の歴史的審判を逃れてしまいかねない。
歴史の検証に欠落ができてしまうのは、すべての国民にとっての損失だ。私たちは、政治や社会の有りようを将来の歴史的審判にゆだねなければならない。それでこそ、人類は歴史から教訓を学びとり、未来を思い描くこともできるのだ。
歴史学の6団体の代表がこのほど、特定秘密保護法案に反対する声明を出した。同時代史学会代表の吉田裕(ゆたか)・一橋大大学院教授は、公文書にアクセスしにくくなるうえ、廃棄される危険を指摘する。
また、「オーラル・ヒストリー」(政治家や官僚に直接に話を聞き、記録する手法)もやりにくくなると懸念する。聞き取りの対象者は慎重になり、研究者も萎縮しかねない。
近年盛んになった「オーラル・ヒストリー」は文書史料では得にくい歴史的真実を浮き彫りにする成果を収めている。たとえば、「聞き書 野中広務回顧録」(御厨貴(みくりやたかし)、牧原出(まきはらいづる)編・岩波書店)もその一つだろう。歴代内閣を裏で支えた元自民党幹事長の証言は、新しい事実も交えて、生々しく政治状況を描き出している。こうした貴重な記録を残せないのでは、大きな損失だ。
一方、民主党政権によって、日米密約に関する外交文書がなくなってしまった問題が調査された。不自然な欠落があることが外務省の有識者委員会で報告された。そのうえ、元外務省条約局長は国会で、核持ち込みなどの関連文書の一部が破棄された可能性を指摘した。
こんなことを繰り返すと、歴史研究が偏ったものになってしまう。
アメリカや英国では国家秘密も一定期間を過ぎれば公開される原則がある。日本で公文書が公開されないと、歴史家は外国の史料を中心にして、日本の外交を検証するしかない。それでは見方が一方的になりかねない。歴史とは多角的に光をあてることで、全体像が見えてくるものだ。
こういった懸念を払拭(ふっしょく)するには、特定秘密も一定年数を経ると公開する原則を定めることや、秘密指定の妥当性について第三者機関がチェックする仕組みが必要だ。
歴史研究が妨げられることは単に専門家たちの問題ではない。研究の積み重ねが、やがて教科書にも生かされ、国民全体に共有されていく。現代の専門家が困ることは、未来の国民が困ることにつながる。
日本政府が行ってきた外交政策の資料については、アメリカ公文書館でさがすというのが普通になっている。なぜか。日本政府が開示しないからだ。アメリカの公文書では公開されているのに、日本の政府関係者の署名すらあるのに、今もってそういう資料はない、そういう事実はない・・と主張するのだ。もし秘密保護法が成立したら、日本の政治は暗闇のなかに入ってしまう。それでよいのか!
社説:秘密保護法案を問う 歴史研究
毎日新聞 2013年11月12日 02時31分
◇検証の手立てを失う
特定秘密保護法案は、国民の共通の財産であるべき公文書の保管、公開を著しく阻害する恐れがある。これでは、政府は後世の歴史的審判を逃れてしまいかねない。
歴史の検証に欠落ができてしまうのは、すべての国民にとっての損失だ。私たちは、政治や社会の有りようを将来の歴史的審判にゆだねなければならない。それでこそ、人類は歴史から教訓を学びとり、未来を思い描くこともできるのだ。
歴史学の6団体の代表がこのほど、特定秘密保護法案に反対する声明を出した。同時代史学会代表の吉田裕(ゆたか)・一橋大大学院教授は、公文書にアクセスしにくくなるうえ、廃棄される危険を指摘する。
また、「オーラル・ヒストリー」(政治家や官僚に直接に話を聞き、記録する手法)もやりにくくなると懸念する。聞き取りの対象者は慎重になり、研究者も萎縮しかねない。
近年盛んになった「オーラル・ヒストリー」は文書史料では得にくい歴史的真実を浮き彫りにする成果を収めている。たとえば、「聞き書 野中広務回顧録」(御厨貴(みくりやたかし)、牧原出(まきはらいづる)編・岩波書店)もその一つだろう。歴代内閣を裏で支えた元自民党幹事長の証言は、新しい事実も交えて、生々しく政治状況を描き出している。こうした貴重な記録を残せないのでは、大きな損失だ。
一方、民主党政権によって、日米密約に関する外交文書がなくなってしまった問題が調査された。不自然な欠落があることが外務省の有識者委員会で報告された。そのうえ、元外務省条約局長は国会で、核持ち込みなどの関連文書の一部が破棄された可能性を指摘した。
こんなことを繰り返すと、歴史研究が偏ったものになってしまう。
アメリカや英国では国家秘密も一定期間を過ぎれば公開される原則がある。日本で公文書が公開されないと、歴史家は外国の史料を中心にして、日本の外交を検証するしかない。それでは見方が一方的になりかねない。歴史とは多角的に光をあてることで、全体像が見えてくるものだ。
こういった懸念を払拭(ふっしょく)するには、特定秘密も一定年数を経ると公開する原則を定めることや、秘密指定の妥当性について第三者機関がチェックする仕組みが必要だ。
歴史研究が妨げられることは単に専門家たちの問題ではない。研究の積み重ねが、やがて教科書にも生かされ、国民全体に共有されていく。現代の専門家が困ることは、未来の国民が困ることにつながる。