『週刊金曜日』や『世界』などを購読し、マスメディアが報じなかった事実を知る度に憤りを覚えている。
通常、憤りがなにごとかを変えていく原動力になるのだが、その憤りは、情報に接することができること、またその情報を重要なものとしてうけとめることができる感性があること、しかしその感性は一定の「ゆとり」があってはじめてはたらくということ、そうした条件が必要だ。
『現代思想』12月号で、大内裕和氏が「ブラックバイト・全身就活・貧困ビジネスとしての奨学金」を書いているが、現代社会は若者にそうした感性を生み出す基盤を与えていないことを思った。
何と、学生のアルバイトが拘束力が強く、労働内容もきわめてハードになっていること、そして就職活動が身ぐるみ、心や精神までも就職先に吸い取られていること、そして奨学金が大学を卒業した後でも彼らの生活を追い立てていることを知った。
奨学金の実態を知って驚いた。奨学金利用者の割合は、1998年では23・9%であったのが、2010年には50・7%になっていること、1998年には無利子39万人、有利子11万人であったが、2013年には無利子38万人に対して有利子は96万人にもなっていること、卒業後奨学金の返済が滞った場合には年利10%の延滞金が課され、その後の返済は延滞金、利息、元金の順に行われることから元金がなかなか減らないので、何と60歳近くの人まで返済が終わっていないというのだ。2010年度の奨学金の利息収入は何と232億円、延滞金収入は37億円にもなるという。大内氏は、奨学金は「貧困ビジネス」であると断じる。日本学生支援機構の奨学金は、なるほど「貧困ビジネス」というしかない。
ボクは、以前からこの奨学金について胡散臭いと思っていた。だから、借りないほうが良いと言ってはいたが、家庭の経済状況がよくなければ借りざるをえない。
本当に、ボクは憤りを覚える。若者をがんじがらめに縛り付ける現在社会。低賃金で過酷な労働現場に追いやる社会のありよう。
若者は、憤りを感受できる感性すら持てなくなっている。だから、ボクらが、憤り、その憤りを社会の改造に向けるのだ。
通常、憤りがなにごとかを変えていく原動力になるのだが、その憤りは、情報に接することができること、またその情報を重要なものとしてうけとめることができる感性があること、しかしその感性は一定の「ゆとり」があってはじめてはたらくということ、そうした条件が必要だ。
『現代思想』12月号で、大内裕和氏が「ブラックバイト・全身就活・貧困ビジネスとしての奨学金」を書いているが、現代社会は若者にそうした感性を生み出す基盤を与えていないことを思った。
何と、学生のアルバイトが拘束力が強く、労働内容もきわめてハードになっていること、そして就職活動が身ぐるみ、心や精神までも就職先に吸い取られていること、そして奨学金が大学を卒業した後でも彼らの生活を追い立てていることを知った。
奨学金の実態を知って驚いた。奨学金利用者の割合は、1998年では23・9%であったのが、2010年には50・7%になっていること、1998年には無利子39万人、有利子11万人であったが、2013年には無利子38万人に対して有利子は96万人にもなっていること、卒業後奨学金の返済が滞った場合には年利10%の延滞金が課され、その後の返済は延滞金、利息、元金の順に行われることから元金がなかなか減らないので、何と60歳近くの人まで返済が終わっていないというのだ。2010年度の奨学金の利息収入は何と232億円、延滞金収入は37億円にもなるという。大内氏は、奨学金は「貧困ビジネス」であると断じる。日本学生支援機構の奨学金は、なるほど「貧困ビジネス」というしかない。
ボクは、以前からこの奨学金について胡散臭いと思っていた。だから、借りないほうが良いと言ってはいたが、家庭の経済状況がよくなければ借りざるをえない。
本当に、ボクは憤りを覚える。若者をがんじがらめに縛り付ける現在社会。低賃金で過酷な労働現場に追いやる社会のありよう。
若者は、憤りを感受できる感性すら持てなくなっている。だから、ボクらが、憤り、その憤りを社会の改造に向けるのだ。