浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2013-11-17 21:04:00 | 日記
 学生時代、展覧会によく行った。つきあっていた女性が美術が好きで、彼女に誘われるままについていった。

 西洋の風景画を集めた展覧会もあった。ボクは、画面の半分以上を空が占めるという絵に違和感をもったことを覚えている。東京に住んでいたとき、ボクの心に、空はなかった。空は単に頭上にあるものであって、見るものではなかった。それに、東京の空は濁っていた。

 最近、畑で農作業をしていると、空を意識する。ボクが耕している畑は、市街化調整区域。周辺はすべて田畑だ。だから、遮るものがない。四方には家並みがあるが、近くにはない。だから、西洋の風景画のように、頭を上げると、空が無限へと広がっている。青空を雲が流れる。夕方になれば雲が赤く色づく。その赤も、一色ではなく、無数の赤色に染まるのだ。雲と沈み行く太陽の光が織りなす空は、美しい。ボクはその美しさに佇む。

 西洋の風景画家が、キャンパスに、空をいっぱいに描いてみようと試みた気持ちがわかる。

 それ以前に、ボクが空を意識したときが二回ある。

 一回目は、夕焼けのあまりの美しさに、この世に生まれてきてよかったと思ったとき。もう一回は、つきあっていた女性が語学留学でロンドンにいってしまったとき。ボクは寂しくて、ロンドンとつながっている空を飽きもせず眺め続けた。

 キリスト教では、亡くなると「昇天する」という。いい言葉だ。無限に広がる空に昇っていく。

 そういえば、時々線香を焚くが、その煙もゆっくりと風に揺られながら空に昇っていく。

コメント
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