明日で民生委員の任期が終わる。
今日は、退任する民生委員への感謝状贈呈式があった。感謝状とネクタイピンをいただいた。タイピンは音符をかたどったもの。これはありがたくいただいた。
民生委員。地域に於ける福祉を支える活動の担い手だと思って引き受けた。しかし実態は、浜松市と社会福祉協議会、そして民生委員の地区会長のの手足となって動き回るのが主な仕事だった。
月一回の会合は、上意下達の場であった。民生委員同士の話し合いなどはなかった。市や福祉協議会からの、○○を何日までに行って欲しいという依頼だけだった。福祉協議会には人員がいないので、実際の仕事は民生委員が担う。また市の福祉担当は外に出ることをせず、つまり困難を抱える市民と接触する気はなかった。ボクは、現実の福祉状況に違和感を抱いて、何度か市役所(区役所)に掛け合ったが、そこで知ったことは、市役所はきちんと対応する気がないということ、ただ形式的な仕事(やっているということを示すだけの仕事)と書類を整えれば終わりという部署であるということだった。
ボクは月一回、一人暮らしの老人を訪問していた。今日午後、委員をやめることを知らせに何軒か訪問した。全員在宅ではなかったが、感謝の言葉をいただいた。民生委員をやめても訪ねてほしいとも言われた。
こういう仕事はまったく苦にはならなかった。ボクの訪問を、皆さん歓迎してくれた。そのうちの一人は亡くなってしまったが、時には1時間も話すこともあった。
ボクの仕事は、一人暮らしの人々に元気を与えることだった。ボク自身、いつも元気なので、ボクと話すとエネルギーをもらえる、という人が多い。そのためには、ボク自身がいつもエネルギッシュでなければならない。
民生委員には善意の方が多い。福祉のため、他人の役に立つからと、引き受けられた方がほとんどだ。だからすぐに仲良くなれる。
しかし、なかには、民生委員になって「偉い」といわれたいという人もいる。民生委員は、地域の小中学校の入学式や卒業式に来賓として招かれる。ボクは一度も行かなかったが、そうした「処遇」が心地よいのだろう。
民生委員を基礎に、「偉い」と言われたい人(偉くなりたい人)には二種類ある。一つは仕事をしているとみせかけてアピールする人、もう一つは仕事をせずに、民生委員のなかの「偉い人」に取り入る人、である。前者の特徴は、「中抜け」である。最初と最後の「あいさつ」の時だけいる、あたかもその場にずっといたように(だから、最後のあいさつは自分のことについて話すことが多い)。後者は、仕事をせずに、民生委員の「偉い人」とひたすら話す。こういう人は、男性ばかりである。女性には、そういう人はいなかった。皆善意の人々だった。
今後、地域福祉はきわめて重要になる。しかし行政はやる気がなく、民生委員の幹部も「偉くなりたい人」によって構成されている。いずれ、市も、民生委員も、地域福祉に真剣に取り組まざるを得ない時代が来るだろう。その時には、もう一度献身したいと思う。
今日は、退任する民生委員への感謝状贈呈式があった。感謝状とネクタイピンをいただいた。タイピンは音符をかたどったもの。これはありがたくいただいた。
民生委員。地域に於ける福祉を支える活動の担い手だと思って引き受けた。しかし実態は、浜松市と社会福祉協議会、そして民生委員の地区会長のの手足となって動き回るのが主な仕事だった。
月一回の会合は、上意下達の場であった。民生委員同士の話し合いなどはなかった。市や福祉協議会からの、○○を何日までに行って欲しいという依頼だけだった。福祉協議会には人員がいないので、実際の仕事は民生委員が担う。また市の福祉担当は外に出ることをせず、つまり困難を抱える市民と接触する気はなかった。ボクは、現実の福祉状況に違和感を抱いて、何度か市役所(区役所)に掛け合ったが、そこで知ったことは、市役所はきちんと対応する気がないということ、ただ形式的な仕事(やっているということを示すだけの仕事)と書類を整えれば終わりという部署であるということだった。
ボクは月一回、一人暮らしの老人を訪問していた。今日午後、委員をやめることを知らせに何軒か訪問した。全員在宅ではなかったが、感謝の言葉をいただいた。民生委員をやめても訪ねてほしいとも言われた。
こういう仕事はまったく苦にはならなかった。ボクの訪問を、皆さん歓迎してくれた。そのうちの一人は亡くなってしまったが、時には1時間も話すこともあった。
ボクの仕事は、一人暮らしの人々に元気を与えることだった。ボク自身、いつも元気なので、ボクと話すとエネルギーをもらえる、という人が多い。そのためには、ボク自身がいつもエネルギッシュでなければならない。
民生委員には善意の方が多い。福祉のため、他人の役に立つからと、引き受けられた方がほとんどだ。だからすぐに仲良くなれる。
しかし、なかには、民生委員になって「偉い」といわれたいという人もいる。民生委員は、地域の小中学校の入学式や卒業式に来賓として招かれる。ボクは一度も行かなかったが、そうした「処遇」が心地よいのだろう。
民生委員を基礎に、「偉い」と言われたい人(偉くなりたい人)には二種類ある。一つは仕事をしているとみせかけてアピールする人、もう一つは仕事をせずに、民生委員のなかの「偉い人」に取り入る人、である。前者の特徴は、「中抜け」である。最初と最後の「あいさつ」の時だけいる、あたかもその場にずっといたように(だから、最後のあいさつは自分のことについて話すことが多い)。後者は、仕事をせずに、民生委員の「偉い人」とひたすら話す。こういう人は、男性ばかりである。女性には、そういう人はいなかった。皆善意の人々だった。
今後、地域福祉はきわめて重要になる。しかし行政はやる気がなく、民生委員の幹部も「偉くなりたい人」によって構成されている。いずれ、市も、民生委員も、地域福祉に真剣に取り組まざるを得ない時代が来るだろう。その時には、もう一度献身したいと思う。