浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】『いいがかり』(七つ森書館)

2015-05-07 21:51:53 | その他
 今日、映画を見た帰途、『いいがかり』を購入した。買うつもりでいたのだが、いざ注文しようとしたら、ネット通販では買えなくなっていた。そこで書店に行ったのだ。

 買ったばかりだから、全部読んでいるわけではないが、この本は“買い”である。巻頭の花田達朗の「「吉田調書」記事取り消し事件の論理的解剖」は、力作である。この事件の持つ意味を余すところなく提示している。
 
 本書は、2014年5月20日に報じた大スクープ、「政府事故調の「吉田調書」入手 所長命令に違反 原発撤退」、「葬られた命令違反」を報じた記事を、『朝日新聞』が、同年9月11日「取り消す」という奇怪な行動をとり、東電や政府に屈服した事件について総合的に論じたものである。

 花田氏は、「調査報道」を「政治的な公権力や経済的・社会的権力の活動を観察し監視し、隠されている真実を明るみに出すという目的で、取材や資料で得たファクトに基づいてストーリーを組み立て、読者に魅力的な作品をニュースとして提供すること」とし、「ジャーナリストが出来事を観察して、何がニュースかを主体的に考え、その際に人々に伝えるべきストーリーとは何か、どのようなストーリーにのせてファクトを伝えるかを考えるものである。ファクトがどこかに裸のまま存在していて、それを右から左へ伝えるということではない」とする。

 これはボクらが日々営む、まさに「歴史」の叙述の方法そのものである。発見された史料だけで、一つのストーリーとなりうるというようなことは絶対にない。発見された史料をもとに、それらに関連する史資料をさがし、それらの史資料を生かすことのできる文献をさがして読み、史資料を一連のストーリーのなかに位置づけて、はじめて歴史の叙述になる。

 史料をそのまま示すだけでは、それは「歴史」にはならない。史料を一つのストーリーのなかに位置づけることによって、はじめて歴史はみずからを語るのである。

 しかしそのストーリーをつくるためには、厖大な時間とカネがかかる。

 某自治体史の編さんの仕事をしていたとき、1936年1月に「満洲」のソ満国境で亡くなった「満洲国」の「日系軍官」の「弔文」を発見した。その「弔文」には、かれの軍歴が記されていた。
 彼は徴兵されて、台湾の歩兵連隊に入隊した、そして1930年の霧社事件を鎮圧する部隊の小隊長として武勲を建てた。
 ボクは、恵比寿の「戦史資料室」に行き、台湾総督府などの霧社事件の報告書を読み、彼の事績を発見した。
 「満洲国」が建国されると、彼は「満洲国」の「日系軍官」となり、「満洲国人」兵士を指導し、そして派遣されてきた静岡34聯隊などと一緒になって抗日パルチザンとの戦いに明け暮れ、そして朝鮮人が多く住む、治安が安定しない「ソ満国境」で「満洲国軍」の「朝鮮人部隊」の育成に尽力するさなか、病気で還らぬ人となった。
 ボクは、「日系軍官」に関する文献、「抗日パルチザン」と派遣された日本軍との戦闘に関する文献、そして「朝鮮人部隊」に関する文献を渉猟し、さらに「台湾」や「ソ満国境」までみずから足を運び、それらをまとめて、彼の戦時下の行跡について叙述した。

 「調査報道」と手法は、ほとんど変わらない。もちろん、文献や史資料は信頼に価するものを使う。史料については、きちんと史料批判を行っていく。

 そのようにして書き上げたストーリーがもし「取り消す」とされたら・・。ボクは、前記の記事を書き、処分された記者たちの痛みを感じることができる。「取り消す」、懲戒処分をした当時の『朝日新聞』社長らの対応に、憤りを覚える。

 この本は“買い”である。2400円+悪税。

 メディア関係者は、熟読すべきである。

 
 
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落合恵子さんの詩

2015-05-07 20:43:44 | 政治
 落合恵子さんの詩を以下に掲げる。落合さんは、ボクが若い頃、文化放送で深夜放送のアナウンサーをしていた。

 今、平和のために、人権のために、ひたすら生きている。

◇沖縄の辞書

あなたよ

世界中でもっとも愛(いと)おしいひとを考えよう

それはわが子? いつの間にか老いた親? つれあい?

半年前からあなたの心に住みついたあのひと?

 

わたしよ

心の奥に降り積もった 憤り 屈辱 慟哭(どうこく)

過ぎた日々に受けた差別の記憶を掻かき集めよ

それらすべてが 沖縄のひとりびとりに

いまもなお 存在するのだ

彼女はあなたかもしれない 彼はわたしかもしれない

沖縄の辞書を開こう

 

2015年4月5日 ようやくやってきたひとが

何度も使った「粛々と」

沖縄の辞書に倣って 広辞苑も国語辞典も

その意味を書きかえなければならない

「民意を踏みにじって」、「痛みへの想像力を欠如させたまま」、「上から目線で」と

 

はじめて沖縄を訪れたのは ヒカンザクラが咲く季節

土産代わりに持ち帰ったのは

市場のおばあが教えてくれた あのことば

「なんくるないさー」

なんとかなるさーという意味だ と とびきりの笑顔

そのあと ぽつりとつぶやいた

そうとでも思わないと生きてこれなかった

何度目かの沖縄 きれいな貝がらと共に贈られたことば「ぬちどぅ たから」

官邸近くの抗議行動

名護から駆けつけた女たちは

福島への連帯を同じことばで表した

「ぬちどぅ たから、いのちこそ宝!」

 

「想像してごらん、ですよ」

まつげの長い 島の高校生は

レノンの歌のように静かに言った

「国土面積の0・6%しかない沖縄県に

在日米軍専用施設の74%があるんですよ

わが家が勝手に占領され 自分たちは使えないなんて

選挙の結果を踏みにじるのが 民主主義ですか?

本土にとって沖縄とは?

本土にとって わたしたちって何なんですか?」

真っ直すぐな瞳に 突然盛り上がった涙

息苦しくなって わたしは海に目を逃がす

しかし 心は逃げられない

 

2015年4月5日 知事は言った

「沖縄県が自ら基地を提供したことはない」

そこで 「どくん!」と本土のわたしがうめく

ひとつ屋根の下で暮らす家族のひとりに隠れて

他の家族みんなで うまいもんを食らう

その卑しさが その醜悪さが わたしをうちのめす

沖縄の辞書にはあって 

本土の辞書には載っていないことばが 他にはないか?

 

だからわたしは 自分と約束する

あの島の子どもたちに

若者にも おばあにもおじいにも

共に歩かせてください 祈りと抵抗の時を

平和にかかわるひとつひとつが

「粛々と」切り崩されていく現在(いま)

立ちはだかるのだ わたしよ

まっとうに抗(あらが)うことに ためらいはいらない
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アメリカの歴史学者の声明

2015-05-07 20:28:15 | 近現代史
 『毎日新聞』記事。

日本研究者:欧米の187人 戦後70年で安倍首相に意見

毎日新聞 2015年05月07日 

 【ワシントン西田進一郎】欧米の日本研究者ら187人が4日、安倍晋三首相に対し、戦後70年の今年を過去の植民地支配や侵略の過ちを認める機会にするよう求める声明を送付した。戦後日本の歩みは「世界の祝福に値する」としたうえで、「祝福を受けるに当たり、歴史解釈の問題が障害になっている」と指摘。アジアの平和と友好を進めるため「過去の過ちについて、できる限り偏見のない清算を共に残そう」とした。

 声明は、ハーバード大のエズラ・ボーゲル名誉教授やマサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授、コネティカット大のアレクシス・ダデン教授らが署名。ダデン氏によると、4日に首相官邸に声明を送付して首相の目に触れるよう要請したという。首相が8月にも発表する「戦後70年談話」を念頭にしているとみられる。

 声明は、歴史解釈の最も深刻な問題の一つとして、旧日本軍の従軍慰安婦問題を挙げた。慰安婦の数を巡って諸説あることを認めたうえで「いかなる数に判断が落ち着いても、日本帝国とその戦場で女性たちが尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできない」と強調。旧日本軍の関与の度合いについて異論もあるとしたが、「大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされた」ことは明らかだと主張した。

 そのうえで、「今年は日本政府が言葉と行動で、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会だ」と指摘。首相の29日の米議会演説について「首相は人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、他国に与えた苦しみを直視する必要性について話した」と触れ、「こうした気持ちを称賛し、その一つ一つに基づき大胆に行動することを期待してやまない」と訴えた。


 その声明。

https://networks.h-net.org/system/files/contributed-files/japan-scholars-statement-2015.5.4-eng_0.pdf

 日本語訳は下記。

http://wam-peace.org/20150506/
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北朝鮮

2015-05-07 20:02:35 | 日記
 今日は映画を見に行った。“金日成のパレード”と“北朝鮮 素顔の人々”の二本立て。前者が北朝鮮の「光」だとすれば、後者は「影」。

 まず“金日成のパレード”
 平壌に住む人々がやるのだろうか、あのパレード、マスゲーム、カラーカードを駆使して織りなす絵や文字。とてもたいへんだろうなと思う。あのように一糸乱れずの集団行動にするまで、ものすごい練習を行うのだろう。それを想像すると、ボクはできないし、やりたくはない。
 平壌の人々は、どういう気持でやっているのだろう。いやいやでやってたら、とてもあの社会では生きていけそうもないから、きっと何ものかに喜びを見つけてやっているのだろうな。

 パレードには、たくさんの旗が掲げられていた。こういう光景はナチスドイツの集団行動やスターリニズム体制下のソ連でもみられたから、北朝鮮も全体主義的な国家なのだろう。

 ボクは、北朝鮮は、大日本帝国の幻影(1945年8月までの日本の国家や社会)を追い続けているのではないかと思っていたが、北朝鮮はそれだけでなく、スターリニズムのソ連をも真似しているようだ。

 “北朝鮮 素顔の人々”は、北朝鮮の日常を隠しカメラで撮影したもの。浮浪児たち、公開処刑、駅前の風景、非合法の市場・・・・北朝鮮の現実。そこに生きる人々は決して幸せそうではない。

 前者と後者では、時期は離れているが、パレードやマスゲームなどは、いつでも行われていることだ。そこで費やされるカネを、一般の庶民に振り分ければ彼らはもっと幸せになれるのに。

 いつでも、どこでも、カネは少数の人々に集まり、貧しき人々には渡らない。人間世界の不条理は、なくなることはないようだ。
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