浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「もしも・・」

2015-05-10 22:47:05 | 日記
 ソウルのロッテホテルの前に、プーシキンの銅像があるそうだ。ボクはソウルに何回か行ったことはあるが、高級ホテルには縁がなく、そうした銅像があることを知らなかった。

 『新潮』5月号に、藤谷治という人の「ウルチロイックプーシキン」という作品が掲載されていて、読んでしまった。ボクはこの作家のことはまったく知らない。「プーシキン」という名にひかれた。

 ボクは、高校生から大学生の時代、ロシア文学にのめり込んだ。そのなかでプーシキンの詩はとても気に入っていた。書庫に行けば、その頃もっていた詩集から引用できるのだが、この時間、そこまで行く元気はない。

 そこでネットで調べたら、下記のサイトに紹介されていた。
http://pushkin.sakura.ne.jp/

 その中の「いとしき人へ・・・」は、高校生の頃のあこがれであった女性のことを思いながら読んだこともある。

 本題に戻る。小説は、ある作家が韓国で開かれた国際文学会議に招待され、韓国で起きた諸々のことをしるしたものだ。

 その作家に、プーシキンの銅像があることを教えたのは、日本語を話せる清掃夫のおじさんであった。そのおじさんは、日本に住んだこともあり、『氷点』や『人間の条件』を読んだことがあるという。
 ※『人間の条件』は、ボクがもっとも影響を受け、必ず人に読むことを薦める小説だ(岩波現代文庫にある)。

 その作家は、最初と最後におじさんと遭うのだが、最後のおじさんのことばが妙に気にかかるのだ。
 
 プーシキンの銅像には、彼の詩が刻まれているそうだ。その詩は、「もしも・・」という。

運命が君を惑わすといえども
悲しむのはよしなさい 憤るのはよしなさい
陰うつな日には、心おだやかになさい
晴れやかな日はきっとやってくる 信じなさい

未来への思いはいきづいている
今はふさぎこんでいるけれど
すべて一瞬のうち、すべてすぎゆく
去りゆくものは何とていとおしく、いとおしくこそみゆる


 作家はおじさんにこういう。「過去なんてない。現在もない。あるのは未来だけなんだ」

 それに対しておじさんは、

「過去はね、今、ここにはありませんよ。記憶があるだけですよ。あるのは未来ですよ。本当に。私はそのようにして、生きていますよ」

「だけど先生、記憶も未来ですよ。判りますか。記憶も、未来ですよ。理解できますか。」

「・・私はね、未来という、希望と、記憶という、絶望と、両方、何もかも、ごっちゃまぜに生きていますよ。そして、未来にばっかり、向かっていますよ。今も。今も。ごっちゃまぜで、なんだか、未来が、絶望で、記憶が、希望で、そんな風に、なることがありますよ。それはどうしたらいいでしょうか。」
  
 
 と応える。

 この小説は、これを言いたいがために書かれたような気がした。
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不安

2015-05-10 21:16:50 | 日記
 高校生の頃、「死」についてよく考えた。その頃のボクは、思春期。人生とは何か、生きる意味はあるのか・・・・など、様々な問いを抱えていた。哲学書や古今東西の文学書を読みあさった。あるいはクラスメートと話し合ったりした。
 今、そういう、いわば根本的な問いを考えることはほとんどない。なかなか晴耕雨読とはいっても、講座の準備などのために、読むべき本や考えることがたくさんあって、そういう問いまで行き着かないのだ。
 とはいえ、ボクも齢を重ねているので、病のはなし、誰それが死んだ・・・というニュースは入ってくる。そういう年齢になっているということを痛感するのだが、しかしボクの目の前には「死」はない。思春期の時のほうが、「死」は近くにあったような気がする。
 なぜなのか。
 思春期の頃、ボクの前には長い人生が待っているとはいっても、その人生は明確に姿を現していなかった。
 子どもの頃、本当の闇があった。目を開けても何も見えない。まさに暗黒の世界。
 思春期のボクの前にある人生は、その闇の中にあって、まったく見えていなかった。見えていないということは、「不安」である。「不安」を打ち消すために本を読み、友人と対話し・・・

 今、ボクにはしなければならないことがたくさんあって、それをこなしていくことに精一杯だ。だからボクの前にある、おそらくそんなに長くはない人生を遠望する余裕などないのだ。ボクの身体を通過していく時間を生き抜くことにほとんどのエネルギーを費消しているといってよいだろう。

 なぜこんなことを書くかというと、『新潮』5月号の中村文則と田中慎弥との対談を読んだからだ。田中は、近頃『宰相A』という小説を発表した。それについては、このブログに紹介したことがある。「A」は安倍首相でもあり、アドルフ・ヒトラーの「A」である。中村も、『教団X』という小説を発表している(これについては読んではいない)。

 中村は、現代という時代に対する鋭い感覚を持ち、『教団X』を書いた背景として、「僕は今の日本の流れに危機感を持っていて、全体主義的傾向がもっとはっきり出てきた時にはもう遅い。そうなったら、誰も聞く耳を持たなくなる。だから「今のうちに」と思ってやっているところがあって」と語る。
 それに対して田中は、みずからが非政治的な人間であり、また「(小説を書くということは)自分のためにやっている」としつつ、こういう。

 今までと違うことが起こっていて、それは誰も経験したことことないわけですから、当然この先どうなるかはわからない。憲法改正ってところまでいくのかどうかまで含めて、そのどうなるかわからないことが良いのか悪いのかもわからないという状況に対し、個人として不安を抱えているかもしれません。今までと違う世の中になったら、自分はどうすればいいだろう、という不安です。

 つまり、政治的人間であるボクは、目の前のいろいろなことをこなすために未来を遠望する暇がない、頭の中では安倍政権による憲法改悪の野望などに対する危機感や不安は持っているが、しかしそれは生理的なところから湧き上がる不安ではない。田中の不安は、おそらく彼の生から出てくる本源的なものなのだろう。それはボクが思春期に抱いていた不安と通じるものだ。

 中村の危機感は、おそらく現在のボクと通じるものだろう。

 『新潮』のこの対談の鏡は、斜めに「AとXの対話」とあって、また斜めに中村文則と田中慎弥の名があり、それがクロス状になっている。

 田中の不安と中村の不安(それはボクの不安でもある)とが、交錯するところに、現代の希望があるのではないかと思った。
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歳出への関心を!

2015-05-10 07:30:21 | 政治
 日本国民はできるだけ税金をすくなく納めようとする。本能的に、みずからが納めた税金が正しく公共のために使われていないことを知っているからだ。だが具体的にどのように税金がつかわれているかについては関心を持たない。

 庶民にとっては、一旦納めた税金がみずからに戻ってくることは原則的にありえない。だが企業にとっては、税金を納めていようといまいと、何ごとかの事業、たとえば新しい機械を購入する、新しく工場をつくる、新たに従業員を雇傭する・・・・・そういうとき、企業は国、県、市町村に「補助金」がないかどうかを調べる。すると、いろいろな種類の「補助金」があることを見出す。もちろん企業は申請し、多額のカネをせしめる。

 とくに企業が工場を設置する場合、直接の「補助金」だけではなく、道路や上下水道などのインフラ建設さえも、自治体が肩代わりする。庶民が家を建てるときに、上下水道を自宅に引く場合、自治体などから「補助金」はでるだろうか。

 国民が納めた税金は、庶民に還元されるのではなく、企業や、そして米軍に渡される。

 『日刊ゲンダイ』で有益な記事を見出した。以下、引用させてもらう。

これも訪米歓待の代償…「米軍再編関係費」1.6倍になっていた」という記事だ。(2015年5月10日)

 安倍首相が米国で歓待された裏で、日本は法外な値段で米国からオスプレイを導入した。まさしく、安倍議会演説の代償は血税だったわけだが、怪しい話は他にもある。日本政府が米軍の駐留経費として負担する「在日米軍関係経費」だ。

 2014年度は4667億円だったが、今年度は5197億円に増加した。このうち目を引くのが「米軍再編関係費」だ。昨年の890億円から1426億円に増えた。実に60%増である。

 その内訳は「在沖米海兵隊のグアムへの移転」や「訓練移転のための事業」など7項目に及ぶ。中でも増加が目立つのが「空母艦載機の改編に関連した事業」で14年度の589億円から926億円に大幅に増えている。このほか「沖縄における再編のための事業」が57億円から271億円に、「再編関連措置の円滑化を図るための事業」は105億円から158億円に増加した。そうか、これだけ米国に貢げば、安倍首相が重宝されるのは当然だ。

一体、この出費は妥当なのか。何のための費用なのか。防衛省に言わせたところ、以下のような説明だった。

「『空母艦載機の改編――』は空母に配備されている飛行機の整備や配置転換の費用です。飛行機は空母が港に入港するたびに、いったん陸に上げてメンテナンスを受けます。また、厚木基地の飛行機の一部を岩国に配置する費用も含まれています。これによって厚木基地周辺の騒音が緩和されました。『沖縄における――』は空中給油機やオスプレイを岩国に訓練移転させる費用など。『再編関連の円滑化─―』は防衛省と外務省の担当者が渡米して米側と調整をはかる費用などです」(広報課)

 要は米軍のメンテナンス費用を上積みしたということだ。

「わざと項目を多くして、外部からお金の流れが分からないようにしているようです」と言うのは軍事評論家の神浦元彰氏。

「米軍再編関係経費が増えたのは空中給油機『KC130』などの岩国移転が大きいでしょう。飛行機を移すと人間も動くので、基地内に何百軒もの住宅を造らなければならないのです。将校には広いキッチンに寝室が3つある豪華な家を建てる。そのほかの兵士にはタワーマンションを建設。プールやスポーツジム、運動場、大型スーパーまで造るので費用はかさむ一方です」

 このほか土壌の汚染除去費用を計上している可能性もあるという。

「13年に沖縄・嘉手納より南の米軍基地を返還する日米合意がなされました。これらの基地の土壌は枯葉剤や重金属などの有毒物質で汚染されているかもしれない。米側はトラブルを恐れて土壌をきれいにするでしょうが、それもこの経費が使われることになります」(神浦元彰氏)

 こうしたことが国会で問題視されていないのは野党の怠慢以外の何モノでもない。


 このようにして、国民の税金は、安倍晋三という男とその取り巻きたちの「野望」実現のために費消されていく。記事がいうように、アメリカが安倍を歓待するのは当たり前だ。こんな大金を貢いでくれるのは、日本だけだからだ。
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