ソウルのロッテホテルの前に、プーシキンの銅像があるそうだ。ボクはソウルに何回か行ったことはあるが、高級ホテルには縁がなく、そうした銅像があることを知らなかった。
『新潮』5月号に、藤谷治という人の「ウルチロイックプーシキン」という作品が掲載されていて、読んでしまった。ボクはこの作家のことはまったく知らない。「プーシキン」という名にひかれた。
ボクは、高校生から大学生の時代、ロシア文学にのめり込んだ。そのなかでプーシキンの詩はとても気に入っていた。書庫に行けば、その頃もっていた詩集から引用できるのだが、この時間、そこまで行く元気はない。
そこでネットで調べたら、下記のサイトに紹介されていた。
http://pushkin.sakura.ne.jp/
その中の「いとしき人へ・・・」は、高校生の頃のあこがれであった女性のことを思いながら読んだこともある。
本題に戻る。小説は、ある作家が韓国で開かれた国際文学会議に招待され、韓国で起きた諸々のことをしるしたものだ。
その作家に、プーシキンの銅像があることを教えたのは、日本語を話せる清掃夫のおじさんであった。そのおじさんは、日本に住んだこともあり、『氷点』や『人間の条件』を読んだことがあるという。
※『人間の条件』は、ボクがもっとも影響を受け、必ず人に読むことを薦める小説だ(岩波現代文庫にある)。
その作家は、最初と最後におじさんと遭うのだが、最後のおじさんのことばが妙に気にかかるのだ。
プーシキンの銅像には、彼の詩が刻まれているそうだ。その詩は、「もしも・・」という。
運命が君を惑わすといえども
悲しむのはよしなさい 憤るのはよしなさい
陰うつな日には、心おだやかになさい
晴れやかな日はきっとやってくる 信じなさい
未来への思いはいきづいている
今はふさぎこんでいるけれど
すべて一瞬のうち、すべてすぎゆく
去りゆくものは何とていとおしく、いとおしくこそみゆる
作家はおじさんにこういう。「過去なんてない。現在もない。あるのは未来だけなんだ」
それに対しておじさんは、
「過去はね、今、ここにはありませんよ。記憶があるだけですよ。あるのは未来ですよ。本当に。私はそのようにして、生きていますよ」
「だけど先生、記憶も未来ですよ。判りますか。記憶も、未来ですよ。理解できますか。」
「・・私はね、未来という、希望と、記憶という、絶望と、両方、何もかも、ごっちゃまぜに生きていますよ。そして、未来にばっかり、向かっていますよ。今も。今も。ごっちゃまぜで、なんだか、未来が、絶望で、記憶が、希望で、そんな風に、なることがありますよ。それはどうしたらいいでしょうか。」
と応える。
この小説は、これを言いたいがために書かれたような気がした。
『新潮』5月号に、藤谷治という人の「ウルチロイックプーシキン」という作品が掲載されていて、読んでしまった。ボクはこの作家のことはまったく知らない。「プーシキン」という名にひかれた。
ボクは、高校生から大学生の時代、ロシア文学にのめり込んだ。そのなかでプーシキンの詩はとても気に入っていた。書庫に行けば、その頃もっていた詩集から引用できるのだが、この時間、そこまで行く元気はない。
そこでネットで調べたら、下記のサイトに紹介されていた。
http://pushkin.sakura.ne.jp/
その中の「いとしき人へ・・・」は、高校生の頃のあこがれであった女性のことを思いながら読んだこともある。
本題に戻る。小説は、ある作家が韓国で開かれた国際文学会議に招待され、韓国で起きた諸々のことをしるしたものだ。
その作家に、プーシキンの銅像があることを教えたのは、日本語を話せる清掃夫のおじさんであった。そのおじさんは、日本に住んだこともあり、『氷点』や『人間の条件』を読んだことがあるという。
※『人間の条件』は、ボクがもっとも影響を受け、必ず人に読むことを薦める小説だ(岩波現代文庫にある)。
その作家は、最初と最後におじさんと遭うのだが、最後のおじさんのことばが妙に気にかかるのだ。
プーシキンの銅像には、彼の詩が刻まれているそうだ。その詩は、「もしも・・」という。
運命が君を惑わすといえども
悲しむのはよしなさい 憤るのはよしなさい
陰うつな日には、心おだやかになさい
晴れやかな日はきっとやってくる 信じなさい
未来への思いはいきづいている
今はふさぎこんでいるけれど
すべて一瞬のうち、すべてすぎゆく
去りゆくものは何とていとおしく、いとおしくこそみゆる
作家はおじさんにこういう。「過去なんてない。現在もない。あるのは未来だけなんだ」
それに対しておじさんは、
「過去はね、今、ここにはありませんよ。記憶があるだけですよ。あるのは未来ですよ。本当に。私はそのようにして、生きていますよ」
「だけど先生、記憶も未来ですよ。判りますか。記憶も、未来ですよ。理解できますか。」
「・・私はね、未来という、希望と、記憶という、絶望と、両方、何もかも、ごっちゃまぜに生きていますよ。そして、未来にばっかり、向かっていますよ。今も。今も。ごっちゃまぜで、なんだか、未来が、絶望で、記憶が、希望で、そんな風に、なることがありますよ。それはどうしたらいいでしょうか。」
と応える。
この小説は、これを言いたいがために書かれたような気がした。