今日、『世界』八月号が届いた。ぱらぱらとみていたら、ダニエル・バレンボイムというピアニスト・指揮者の対談があった。ダニエル・バレンボイムは、私の好きなチェリスト・ジャクリーヌ・デュ・プレの夫であった人。残念ながら、デュ・プレは早世してしまった。デュ・プレの、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を、私はよく聴く。全力で渾身の力で弾く、というのが彼女の音楽である。
デュ・プレのことは置いておいて、バレンボイムの対談について書こう。
彼は、対談の中で、グローバリズムとナショナリズムを批判する。グローバリズムは「制限すること」だと指摘する。その意味についての詳細はないけれども、私は鋭い指摘だと思った。グローバリズムが人口に膾炙する中で、世界はずたずたに切り裂かれてきた。それが現実だ。まさに「制限すること」だ。人々は自由を失ってきている。 彼は、ユニッヴァーサリズムを推奨する。
そしてナショナリズムは「自分の関心が第一」であり、パトリオティズム(愛国主義)を薦める。「自分が幸せに感じていて、自国に対して誇りの感情さえ抱く。だから、他の(国の)人たちとも対話することができる」と。ナショナリズムの典型として、トランプの「アメリカ・ファースト」を示しているが、最近の東京都議会議員選挙で「都民ファースト」なる政党が躍進した。東京に住んでいる者だけがよければいい、という考えの政党に、東京都民が投票している。ultra・nationalistの安倍政権への批判の受け皿という側面もあるけれども、「都民ファースト」でよいのか。
又彼は、「教育と文化」の重要性を指摘する。人々の関心は、カネ。「今日の時代精神において、文化の欠如、そして教育の価値があまりになおざりにされている」と。
バレンボイムは、6月に寄稿した文でこう記す。
ヨーロッパの反ユダヤ主義、ホロコーストがなければ、「パレスチナの分割はなかった。」、「ヨーロッパ自体がパレスチナ人への責任を負っている。」という趣旨のものだ。
その通りだと思う。現在生じている事態の淵源を理解しないで、対処療法的な思考や対策が多すぎると思う。歴史をさかのぼって、なにが現在の困難をつくりだしたかを忘れないこと、それが大切だ。
アメリカのイラク侵攻・フセイン政権の倒壊が、ISをつくりだし、現在のイラクの困難を生み出した。過去の歴史を忘れない、それを糾弾し続けなければならない。
ダニエル・バレンボイムの曲を聴こうと、Amazonmusicで探したら、彼とイサーク・パールマンによるモーツアルトのヴァイオリンソナタ全集があり、それを聴き始めた。
ヴァイオリンソナタというのは、ヴァイオリンが主役で、ピアノが脇役だと思っていたが、そうではないことに気づいた。ヴァイオリンとピアノが、対等の立場で会話をしている。