昨日、浜松アクトのホールでこんにゃく座“まげもん”を観た。
私は高校生の頃から演劇が好きで、大学に入ってからも東京労演の会員となって見つづけ、卒業後田舎に帰ってからもずっと見つづけてきた。
しかし仕事が忙しくなり、いつの間に演劇鑑賞から遠ざかった。最近、友人の強い勧誘でまた足を運ぶようになったが、演劇から遠ざかっていた間、私は難しい本を読んだり、歴史を書いたりして、どちらかというと右脳を使ってこなかった。いつも左脳をつかって、何ごとかを理解しようとし、何ごとかを考え、何ごとかを書き綴ってきた。
そういう習慣が続いていたので、演劇をみても「理解する」ことが優先となって、つまり左脳で演劇をみることをしていた。昨日も私は難しい顔をして、あたかも難しい本を読むように演劇に対していた。
ところが、こんにゃく座のこの「オペラ」は徐々に私のそうした姿勢を崩し、演劇やこういうミュージカルは、感性のレベルで受容していくものだということを思い出させてくれた。若い頃、私は演劇についていろいろ書いたこともあった。だが、長い間遠ざかっていたために、演劇鑑賞の仕方を忘れていたのだ。
こんにゃく座は「オペラ」と謳っているけれども、一般的に言えばミュージカルだろう。この“まげもん”、台本演出が鄭義信、彼は「焼き肉ドラゴン」でとても有名になった人。私はこれをテレビで観ている。とても感動した。その作者のものだから、という気持ちもあったかもしれない。
簡素な舞台装置を縦横無尽に利用し尽くし、テンポよく、演劇空間のなかに私を引き込み、私は笑わされ、心を洗われ、感動させられ、そして主題歌(?)が歌われたときには、目が潤んでしまった。
舞台の袖で演奏されるピアノ。それをバックにして歌う歌詞が、心の中にすっと入り込む。
演劇では、演じる者とそれを見る者、ホールにいるすべての者の目や耳が、声、音、光すべてのものを感受し、それらが交錯するなかで、きわめて創造的な時空が生み出される。
そうした時空に漂うことの快適さを取り戻してくれたのが、昨日の“オペラまげもん”であった。
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追記:花火が描かれた傘はすばらしかった。