浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

晴耕雨読の日々

2017-07-09 22:18:47 | その他
 7~8年前、といってもそれも定かではないが、依頼されて朝鮮半島の歴史を書いた。出版社に送った後、何の連絡もなかったが、昨年末にやっと他の方々の原稿が揃いました、という連絡があった。私は、ずっとまえに書いたものだからそれをそのまま載せることはしたくない、ついては加筆修正したいと返事した。

 その後4月頃か、連絡があって、6月末までに加筆修正した原稿を送って欲しいという。その原稿を今日送った。7~8年前は、いろいろな文献を読み、きちんと調べて原稿を書いたのだが、今回の加筆修正はあまり熱心に取り組まなかった。それでも関係する文献を数冊購入し、また図書館で何冊かを借りた。

 パソコンの前に座って原稿を書く仕事がある。原稿を書くということは、output(出力)の一種である。outputを良質なものとするためには、inputしなければならない。input、つまり膨大な書籍を読んだり、聞き取りをしたりする必要がある。それらから入手した情報を、自分自身の脳で再構成し、思考し、それを文字化していく。

 そういう仕事と、農作業。それが私の日課である。もちろん社会的な活動もしているので、あちこち出て行く。

 しかし出て行っても、私の周りにいる人々、ほとんどすべてが私と同じ世代、あるいはそれ以上の年齢の人々である。若い人々と話すことはほとんどない。またテレビも見ないので、自分自身の感性が時代の流れについていけているのか不安になる。

 私が引き受けている講座を聴講されている人々も、決して若くはない。

 今も、クラシック音楽を聴きながら、キーボードを打ったり、周りにある活字に目をやる。

 ふと、これでいいのか、と思ってしまう。 
 

  
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2017-07-09 12:42:57 | その他
 核兵器禁止条約が国連で採択された。核兵器は、アメリカによって市民の頭上に落とされた。私たちは中沢啓治さんの『はだしのゲン』というマンガなどで、核兵器による被爆というものがいかに悲惨なものであるかを知っている。

 残念ながら、安倍政権の人々や自民党・公明党の人々は、それを知ろうともしないのであろう、日本政府は署名しないという。

 以下は、『信濃毎日新聞』の社説。末尾の「市民の力」を鼓舞しているところがよい。


核禁止条約 抑止論の呪縛解く一歩に

 人類や地球環境にとって深刻な脅威となっている大量破壊兵器をなくすための歴史的な一歩が刻まれた。

 核兵器の保有や使用などを幅広く禁止する史上初の「核兵器禁止条約」が国連で採択された。

 米軍による広島、長崎への原爆投下から72年。禁止条約は核兵器の惨禍を体験した被爆者らの悲願だった。同じ悲劇を二度と繰り返してはならない―。粘り強い訴えや、長年の取り組みが国際社会を動かしたともいえる。

   <重要な道しるべに>

 米国やロシアといった保有国や、米の「核の傘」に依存する日本などは強く反対し、制定交渉にも参加しなかった。核保有国が参加しない条約の実効性を疑問視する声があるのは事実だ。それでも、核兵器に網を掛ける国際ルールを確立した意味は重い。

 核兵器廃絶への道のりは険しいものになるだろう。条約は待ち構える困難を乗り越えるための道しるべになる。死語になりつつある「核なき世界」を再生させる決意を新たにしたい。

 条約制定交渉は国連総会で決まり、今年3月下旬から議長国のコスタリカなどを中心に草案づくりを進めてきた。6月中旬から始まった今回の交渉には約120カ国が参加。最終的に投票で採択された。条約は50カ国が批准してから90日後に発効する。

 前文には「核兵器の使用による被害者(hibakusha)や核実験によって影響を受けた人々の受け入れ難い苦しみと危害に留意する」と明記された。交渉の中で「受け入れ難い」との言葉が付け加えられ、非人道性がより強調されることになった。


   <日本の被爆が支柱>

 平和・軍縮教育や、将来の世代に核兵器の危険性を教える取り組みの重要性にも言及。さらに、被爆者や被害者の医療ケアなどの支援をすることも盛った。被爆者が高齢化する中、日本の被爆体験が条約の精神的な支柱となっていることを示した。

 注視したいのは、核兵器の実験や製造、保有、使用などに加え、核による威嚇も禁止したことだ。保有国や日本などが正当化している「核抑止論」を正面から否定したことを意味する。核兵器に安全保障を依存する国に対し、核との決別を強く求めた。

核抑止論は冷戦期から今に至るまで幅を利かせている。北朝鮮が独裁体制維持のために、米本土を狙える核ミサイルの開発を進める中、米はますます抑止力重視に傾いている。米国と対立するロシアも含め、保有国は「脅し」の効果を信じて疑わない。

 核ミサイルの発射ボタンを先に押せば、相手からの報復攻撃が待っている。双方が壊滅的な損害を受けるだけでなく、放射能汚染も広範囲に広がる。

 影響の深刻さを冷静に考えれば、核は使えない兵器のはずである。そもそも多くの市民を無差別に殺傷する非人道的な兵器に安全保障を依存することが許されるのだろうか。抑止論の呪縛からどう脱却するか、国際社会は真剣に論議しなくてはならない。

 条約の採択を受け、核保有国の米英仏3カ国は署名の意思はないとする共同声明を発表した。日本の国連大使も「署名することはない」と明言した。

 日本政府は条約を巡って、賛成派と反対派の「橋渡し役」を担うと訴え続けてきた。が、交渉にも参加せず、条約採択の意味も深く吟味しようとしない。その姿勢は無責任で問題が多い。

 日本原水爆被害者団体協議会の事務局次長を務める藤森俊希さん(73)=茅野市=は2010年以降、核兵器に関する国際会議に出席を続け、被爆の実態を訴えてきた。会議に出るたびに禁止条約の必要性に理解を示す国が増えていったことを肌で感じた。

 今回も渡米し、採決に立ち会った。反対国が採決欠席を求めるなど、圧力を強めたとされる。それでも議場は各国代表で埋まった。藤森さんは「核なき世界へ前進するため、採択を起点に力を尽くしたい」と気を引き締める。

 藤森さんが期待するのは、市民の力だ。日本被団協などは昨年春から核廃絶を求める国際署名を始めた。20年までに世界で数億人分を集める計画を立てている。1年ほどで296万人余の署名が集まり、目録を国連幹部や条約交渉の議長に渡した。今後もパンフレット配布や集会などで、条約への理解を広げる考えだ。

   <鍵を握る市民の力>

 条約は核保有国が参加する道を開くため、核放棄後に加わる方法と、保有段階で参加して廃棄計画を示す手順を示した。国連に加盟する193カ国のうち、120を超える国が賛成した。反対国に対する包囲網ともいえ、その重みを軽視すべきではない。

 問われるのは、核軍縮実現の意思と機運を高める努力だ。世界の市民が連携し、条約加盟を促す必要がある。日本の市民こそがリーダーシップを取りたい。

(7月9日)




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途方もないカネが原発に投入される

2017-07-09 12:35:25 | その他
 原発での発電は安い?もうそういうウソはつかないで欲しいと思うが、ウソをつく人々が権力を掌握しているからなあ。

 今日の『愛媛新聞』コラム。


廃炉の時代へ

2017年7月9日(日)(愛媛新聞)


 70年で1兆円、年平均142億円余り。額が大きすぎて実感が湧かない。日本原子力研究開発機構が、茨城県東海村にある国内初の再処理工場「東海再処理施設」の廃止費用を公表した。すべて国費で賄われる▲

 四国電力伊方原発1号機の廃炉費が約407億円なので、東海施設がいかに桁違いかが分かる。施設が約30カ所に点在、放射性物質による汚染範囲が格段に広いためだ。他に年間50億円程度の維持管理費もかかる▲

 中には、放射性廃棄物を入れたドラム缶約800個が乱雑に積み重ねられたプールがある。すでに漏れ出ている恐れがあり、人が作業できない状況。管理のずさんさに憤りを覚える▲

 国内の原発はこれまでに9基の廃炉が決まった。問題は、施設の解体で出てくる「低レベル放射性廃棄物」の処理。国はすべて電力会社の責任だとしているが、処分地はまだ一カ所も決まっていない▲

 原子炉本体の構造物など高濃度汚染物もある。運搬の難しさを考えれば、原発の敷地内にそのまま埋設される可能性が高い。将来の廃止手順を考慮しないまま、開発に突っ走った原子力行政のツケが回ってきている。しかも、その負担は確実に次の次の世代にまで及ぶ▲

 青森では完成が20回以上延期され、稼働自体が危ぶまれる再処理工場の建設が進む。完成後40年間の総事業費は13兆9千億円。結局国民が負担する。それでも国は原発が「安い」と言う。到底理解し難い。
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教育委員会

2017-07-09 08:33:48 | その他
 『Journalism』七月号(朝日新聞社)に「いじめ自死で役割果たせぬ教委 遺族たちの不信と国介入の危機」という文が掲載されている。執筆したのは、河北新報の論説委員。

 東北地方で、いじめによる自死がおきたとき、学校はもとより教育委員会も、そして第三者委員会もいじめの事実を否定したり隠したりしていること、あまりにひどいために文科省が介入した事例を紹介している。

 「問われているのは自治体の教育委員会、第三者委員会の存在意義だ。」とある。

 たとえば学校で事件が起きたときには、校長など管理職は一般職員にメディアなどに話さないことを「命令」し、メディア対応は教頭などが行う、という触れをだす。

 管理職にとっては、不祥事はできるだけ表に出したくないし、さらに学校の責任を追及されたくない、とりわけ学校の責任と云う場合、校長が最終的にはその責任をとることになる。したがって、隠したり、事実を否定したりする。

 教育委員会のメンバーも教員で、いずれは管理職になる面々である。校長とはツーカーの仲である。彼らも事件が起きた校長と共同歩調をとる。とにかく、責任から逃れたいの一心である。校長の責任は、同時に教育委員会の責任ともなりうるからである。

 往々にして、管理職や教育委員会のメンバーは、教育者として有能であるとか、管理職としての資質をもつというところから「出世」していくのではなく、ごますりや付け届け、有力者とのつながりなどから「出世」していくのである。そういう面々であるから、不祥事が起きたときにはその被害や原因を考究するよりも前に、自己保身を考えるのである。

 第三者委員会も、そういう面々が任命するのであるから、任命者の気持ちを「忖度」してくれそうな人物を選ぶのだ。

 記事では、仙台市立折戸中2年の男子生徒の自死の事例を紹介しているが、校長や教育委員会は事実を隠蔽し、ウソまでついて、自死の原因がいじめでないことを言明していたのだが、あまりのひどさに文科省が「介入」してやっと彼らは事実を告白した。もちろん遺族の人々の訴えがその背景にある。

 学校というところは、正義や真実が尊重される世界ではないのだ。その背後には、国家権力による教育統制がある。
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