7~8年前、といってもそれも定かではないが、依頼されて朝鮮半島の歴史を書いた。出版社に送った後、何の連絡もなかったが、昨年末にやっと他の方々の原稿が揃いました、という連絡があった。私は、ずっとまえに書いたものだからそれをそのまま載せることはしたくない、ついては加筆修正したいと返事した。
その後4月頃か、連絡があって、6月末までに加筆修正した原稿を送って欲しいという。その原稿を今日送った。7~8年前は、いろいろな文献を読み、きちんと調べて原稿を書いたのだが、今回の加筆修正はあまり熱心に取り組まなかった。それでも関係する文献を数冊購入し、また図書館で何冊かを借りた。
パソコンの前に座って原稿を書く仕事がある。原稿を書くということは、output(出力)の一種である。outputを良質なものとするためには、inputしなければならない。input、つまり膨大な書籍を読んだり、聞き取りをしたりする必要がある。それらから入手した情報を、自分自身の脳で再構成し、思考し、それを文字化していく。
そういう仕事と、農作業。それが私の日課である。もちろん社会的な活動もしているので、あちこち出て行く。
しかし出て行っても、私の周りにいる人々、ほとんどすべてが私と同じ世代、あるいはそれ以上の年齢の人々である。若い人々と話すことはほとんどない。またテレビも見ないので、自分自身の感性が時代の流れについていけているのか不安になる。
私が引き受けている講座を聴講されている人々も、決して若くはない。
今も、クラシック音楽を聴きながら、キーボードを打ったり、周りにある活字に目をやる。
ふと、これでいいのか、と思ってしまう。
その後4月頃か、連絡があって、6月末までに加筆修正した原稿を送って欲しいという。その原稿を今日送った。7~8年前は、いろいろな文献を読み、きちんと調べて原稿を書いたのだが、今回の加筆修正はあまり熱心に取り組まなかった。それでも関係する文献を数冊購入し、また図書館で何冊かを借りた。
パソコンの前に座って原稿を書く仕事がある。原稿を書くということは、output(出力)の一種である。outputを良質なものとするためには、inputしなければならない。input、つまり膨大な書籍を読んだり、聞き取りをしたりする必要がある。それらから入手した情報を、自分自身の脳で再構成し、思考し、それを文字化していく。
そういう仕事と、農作業。それが私の日課である。もちろん社会的な活動もしているので、あちこち出て行く。
しかし出て行っても、私の周りにいる人々、ほとんどすべてが私と同じ世代、あるいはそれ以上の年齢の人々である。若い人々と話すことはほとんどない。またテレビも見ないので、自分自身の感性が時代の流れについていけているのか不安になる。
私が引き受けている講座を聴講されている人々も、決して若くはない。
今も、クラシック音楽を聴きながら、キーボードを打ったり、周りにある活字に目をやる。
ふと、これでいいのか、と思ってしまう。