浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

森友問題、これも読んだ方が・・・

2017-07-31 22:58:35 | その他
 このブログ。

http://blogos.com/article/237608/
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森友学園、籠池夫妻逮捕

2017-07-31 22:51:09 | その他
 真相が明らかになるだろうか。

 逮捕前に、籠池氏が明かした事実。

http://toyokeizai.net/articles/-/179316
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エルガーのチェロ協奏曲

2017-07-31 22:16:07 | その他
 クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~ というサイトがある。著作権が切れた(?)レコードをネットで聴くことができる。今日久しぶりにアクセスしたら、ジャクリーヌ・デュ・プレのチェロによるエルガーの協奏曲が聴けるようになっていた。

 私はもちろんこのCDを持っている。それどころか、デュ・プレが演奏したすべてのCDを私は購入している。

 デュ・プレの演奏、特にドヴォルザークとエルガーのチェロ協奏曲がよい。両方とも、一期一会の演奏である。誠心誠意、この一曲に、彼女の生まれてきてからの生と演奏しているその時の生とが、ぶち込まれている。

 ドヴォルザークのチェロ協奏曲を初めて聴いたときは、全身が耳となってチェロの奏でる音を追い、受け止め、すぐにそれを購入したいと思った。もちろんこの両方、車のなかで聴くことができるようになっているが、特に夜走っているときに聴くと、私も何らかの表現活動をするときには、誠心誠意、全力で取り組まなければいけないという気持ちがわきおこるのだ。

 とはいえ、彼女のその生き方に、悲痛さを感じることがある。彼女は精神に異常を来して、若いうちに亡くなっているからだ。短い一生を全力で走り抜いてこの世から去っていった。その足跡が彼女が残した演奏である。

http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=3175

 
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【本】斎藤貴男『国民のしつけ方』(集英社インターナショナル新書)

2017-07-31 13:49:43 | その他
 この本、かなり前に読んだ本である。本には朱線が引かれ、たくさんの付箋がついている。しかし、私の脳裏には、その内容が深く刻印されてはいない。つまり、衝撃的な内容がないと言うことでもある。

 最近の私の頭脳は、よほど刺戟的な内容でない限り、その本の中身が記憶として残らなくなっている。以前は、読めばどういう内容が書かれていたかある程度の記憶が残っていたのだが、最近はそれがなくなっている。これが老化なのだろう。

 要するに本書は、ジャーナリズムの現状に対する批判である。私は、Journalismという雑誌も購読し、メディアの動向には気を遣っているから、ここに書かれている内容は、新鮮というものではない。

 報道の自由度が世界72位、メディアが「巧妙な戦略に乗せられて」いること、情報が飛び交うネット社会で「何を信じる」か、など、そうした現状はすでに認識している。著者は、「あるべき姿への道」を提示しているが、それが実現できていないことが問題なのだ。

 本書の中で、

 リベラルの言説は視聴者に人気がない、うんざりだという人が増えて視聴率が取れない(149)

 という記述があった。最近大学生と話をしていて、リベラルではなく、右翼的な言動をすることが大学生の間で「フツー」になっていることを知らされた。今まで、社会的なことに関心を持っていなかった者が、ネット社会に放り込まれてネットサーフィンをすると、そこには右翼的な言説が、さも真実であるかのように記されている。ある意味、基本的な知識(それは学校で教えられているはずだが、試検が終わればさっさと頭の中から流れ去る)をもたない者にとって、右翼的な説明はある意味新鮮なのだ。それで食いついていく。

 だがそれは、若者だけではなく、私が時々行う講座の参加者からも同様の意見を伺うことがある。ネット社会というものは、ある意味恐ろしいものなのだ。

 私は、何かを調べようとするときは、基本的には文献で調べ、書くときには何を根拠にしているかを明示する。しかしネットにはそういうものがないものが多い。だからネットに記述されているものを根拠とすることはまったくあり得ない(韓国の「従軍慰安婦」について著書を発行した朴裕河氏が、その立論の根拠としてネットの記述をつかっていることに驚いたことがあるが、学問の世界では基本的にありえない。もちろん、研究論文・本そのものがネットにあり、それが充分学問的に意味があるものについては、それを明示して使用することがある)。
 若者の書いた文を読んでいると、ネットから引用し、それをつないだものと予想できる場合がある。学問的な手続きとして、それだけで失格である。

 本書にはまた、

 主にネットの普及から何もかもがフラット化し、どのような分野であれプロの仕事がリスペクトされずに素人と同列に扱われるのが一般的になった世の中にあって、ジャーナリストは少なくとも一定程度のプライドを取り戻さなければならない(177)
 
 と記されていた。

 私たちは、「プロの仕事」をもとにして、それらを踏まえて新しい世界へと向かうのだが、その「プロの仕事」がそれとして認知されない時代に入っている。

 情報の入手方法などがきちんと認識されていればそんなことはないのだが、ネットは接続すれば欲しい情報が正確であるかどうかは別としてとにかく存在している、人々は安易にそれに飛びつく。吟味し、批判的に扱うという作業がなされていない。

 学問の世界では、膨大な文献を渉猟して新しい研究が次々と発表されているが、しかしそれは普通の人々の日常世界とはどんどんかけ離れていくように見える。研究会での発表をきいたり、研究書を読む度に、その乖離を感じる。

 学問研究の成果は、社会の中に存在していない。だからこそ、学問に生きる者たちは、社会の中でもっと語るべきだと思う。


  

 
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筋を通す

2017-07-31 09:04:44 | その他
 私は、政治のレベルでは、筋を通すことがとてもたいせつなことだと思っている。しかし見ていると、筋を通す姿勢を保持しているのは、残念ながら共産党くらいしかいない。他の政党は、あるいは議員は、いったい何を考えているのか、いかなる政治的立脚点にあるのかが判然としない。民進党議員なんか、とりわけ訳が分からない。

 自民党安倍政権ががたがたしているときに、野党第一党である民進党は、ぐらぐらしていていったい何をしようとする政党なのか、皆目わからない。今回の民進党の代表選挙に立候補した前原議員なんかは、自民党に行ってもいいくらいの人物だ。

 また共謀罪に反対した山尾議員、極右の横浜市長・林某を応援している。いったい何を考えているのか。

 まあいいさ。日本の国会議員がいかに信用できない者たちで構成されているのかがよくわかる、というものだ。

 こうして政治不信は深まっていく。

 筋なんかない議員、時流に乗るだけが自らの仕事と心得ている者が多すぎる。

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田原総一朗という人間

2017-07-31 07:49:34 | その他
 そもそもテレビに出る評論家や学者なんか信用できない、というのが私の持論である。テレビ出演する者は、時流に流されている者が多い。その時々のながれに対応した発言をすることができること、それがテレビが求める「人材」である。

 したがって、そういう人物には、一貫性がない。持続する意志がない。

 田原もそういう人のようだ。下記の記事でも、「タヌキジジイ」としている。

http://lite-ra.com/2017/07/post-3350.html
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これも予想されていたこと

2017-07-31 07:30:14 | その他
 日本の高級官僚は、官僚になってから政府のカネで、つまり税金でほとんどがアメリカに留学する。そしてアメリカをある程度学んで帰国し、アメリカの真似をする。

 アメリカは訴訟社会である。日本の政策は、基本的にアメリカ化といってもよいほどに、あらゆる政策がアメリカと似ている。アメリカが訴訟社会なら、今後日本がアメリカ化を図れば訴訟がもっと増えるに違いない、それなら、と、今までは法科大学院に行かなくても法曹の資格をとることができた(司法試験に受かれば、のはなし)にもかかわらず、入学生にとっては莫大なカネがかかる法科大学院をつくってそこを卒業した者に司法試験の受検資格を与えるような制度を導入した。そして司法試験合格者を増やしていった。

 ところが司法試験をうかっても、増えすぎたために弁護士としての仕事ができない者が続出。日本は政府が予想したように訴訟社会にならなかった。
 弁護士として仕事をするためには、「〇〇弁護士会」に入会するのが原則であるが、その会費が高い。今までたったら支払うことができる会費ではあったが、仕事をとれない弁護士はそれが払えない。司法試験に受かっても・・・という事態が生じてしまった。

 司法試験に受かっても・・・という事態となってから、高額の学費を払って法科大学院に入る者が減っていった。そして下記の新聞記事のようになってしまった。

 だがこれとて、そうした法曹改革が行われる前から、政府が期待したようにはならないこと、司法試験合格者に失業者が生まれることは予想されていた。しかし法曹界の賛成を経て実施されてしまったのだ。おそらく法務省内でこれを制度設計をした者は栄転しているだろう。官僚は数年で部署が替わるから、結果が悪くても誰も責任をとらない。制度設計した者は、「今私が云々する立場ではありません」。現在の担当者は、「私は前任者の仕事を受け継いだだけですから」。

 かくて官僚はその責任をとらず、その制度改革に期待して法科大学院に入学した者が損をする。

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170731-00000007-asahi-soci

 
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久しぶりの東京

2017-07-31 06:39:30 | その他
 昨日は姪の結婚式で上京。久しぶりの東京であった。しかし、いつもは上京したついでに美術館などによるのだが、猛暑を心配して結婚式のみ。

 東京行きの「こだま」は、途中からたくさんの人が乗り込み、立っている人も。いつも「こだま」はすいている、というのが私の頭にあったので驚いた。なかでも中国語がたくさん飛び交っていた。

 数年前宮崎に行ったが、あまり有名ではない観光地に、中国からの観光客がいて驚いたことがある。

 中国人観光客が減ったと報じられていたがそんなことはないのではないかと思った。

 東京都心は休日とあって混雑はしていなかったが、駅はよくもまあこんな人がいるものだと、いつもの感想。

 思っていたほど暑くはなく、また帰りの「こだま」はすいていた。

 車中、『矢内原忠雄』を読み続けた。あと少しで読み終える。矢内原は、キリスト者の立場で軍部国家の専制と闘っていたが、その闘い方に「現実的」というか、当時の民衆の意識と遊離していなかったように思えた。これについては読み終えてからまた記そう。
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