浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

労働組合のあり方

2017-07-18 21:51:13 | その他
 残業代ゼロ法案を、全国の労働組合の中心にいる「連合」が受け入れるとしたことから、加盟している労働組合から批判が起きているという。当たり前である。労働組合は、労働組合らしく働く人々の生活と労働を守るべきである。

 ところが連合は、そういう労働組合ではないことを、下記が指摘している。

http://blogos.com/article/235268/

 私が若い頃は、総評(日本労働組合総評議会)加盟の労働組合は、労働者の権利や生活、さらに平和を守るために活発な活動を展開していた。そして各県には総評傘下の県評(〇〇県労働組合総評議会)があり、各地域で活発な活動をしていた。

 ところが、労働組合の活発な動きをおさえるために、会社は自らの息がかかった人々を集めてインフォーマルな組織をつくり、活発な労働組合員を監視し、排除していくことをはじめた。私はそれに関係した本を読んだことがある。今はそれらの本は書庫にあるのですぐには見られないが、民間の大企業では多かれ少なかれそうしたインフォーマルな組織をつくって労働組合の戦闘力を少しずつ削いでいき、最終的には労働組合を分裂させ、ほとんどの労働者を「御用組合」(会社の御用をつとめる組合)に編入していった。

 そういうインフォーマルな組織を指導したのは、転向した共産主義者であった。彼らは労働組合がどういう組織であるかを熟知し、また労働運動のやり方も知っているので、労働組合をつぶすために効果的な指導を行ったのである。

 本来労働組合は先に記したように労働者の権利や生活を守る組織であるが、「御用組合」になると、労働者を監視し会社の意向を貫徹する組織となる。労働組合の委員長の指名は、会社の総務部が行うようになる。そしてその幹部を務めた者が労務管理を担当し、「出世」していく。

 労働者は、会社に対して権利を主張する手段を奪われ、会社の命令のままに動くようになる。異質な労働者は、左遷され、あるいは年齢が高くなってもずっと平社員のままにされたり、パワハラに見舞われる。異質は排除され、会社の方針に反するようなことは言えなくなる。ずっとまえ、『工場の門前で民主主義が立ちすくむ』という本がでていた。工場の中に民主主義がない実態を記したものだ。管理統制され、働いて、安い賃金を受け取るだけの労働者。

 それは東芝も同じだ。その実態の一部を、共同通信が報じている。

https://this.kiji.is/259938081387298817?c=39546741839462401

 
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安倍政権の予算編成

2017-07-18 20:10:29 | その他
 来年の予算も、軍事費が増え、社会保障費が減る。

http://buzzap.jp/news/20170718-japan-budget-2018/

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/209641

 『世界』8月号に、谷口長世氏が「北朝鮮核緊張のまぼろし」を書いている。前号からの続きであるが、北朝鮮における核開発は、実は欧米の承認の下に展開されてきたものであること、核開発の様々な部品が北朝鮮に送られていることを欧米は知っていたこと、などが記され、その後にこういう文が続く。

 しばらく前から「米国の軍事戦略の中心点が欧洲からアジアへ移動した」という表現を耳にする機会が増した。東アジアが「世界の最も不安定な地域」ともいわれる。これを軍事産業や軍事政策に携わる連中が眺めると、「アジアは最も将来性ある有望な商機を与える市場」となる。彼らの期待感は実際に統計上の数字から裏付けることができる。

 その後に、アジア地域での軍需品の売り上げが大きく伸びていることが示される。

 私たちの税金は、そうした軍需産業に吸い取られるようになっている。

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朝の変化

2017-07-18 07:28:42 | その他
 今朝目が覚めると、いつもと違う、と思った。しばらく考えてたが、その答えがわかった。わが家の周辺では、いつも小鳥の姿が見られるが、朝、いつもはそのさえずりにしばし聞き入る。しかし今朝は小鳥のさえずりではなく、ある意味、騒音に近い音が響いていた。蝉。一斉に全身から音を発し、それが何重奏ともなって私の耳に押し寄せてきていたのである。

 小鳥たちはどうしたのだろうか。

 いつもと違ったこと、それは暑さである。朝から、猛暑が蝉の重奏と一緒になって私を取り囲んでいた。

 もう寝ては居られない。

 

 朝、私は毎日畑に顔を出す。ズッキーニを育てているのだが、その受粉に行く。今年は異変があった。

 ズッキーニ、小さな身の先端にめしべが大きくなって花を咲かせるとき、おしべの花をあてがい受粉させる。最近、そのめしべが花を咲かせない。つぼみはある、だが咲かないのである。咲かないまま朽ちていく。

 私はズッキーニの苗を周辺の方々に毎年提供している。聞いてみると、同じ状況だ。なぜだろう。最初は人にあげるくらい次々と生長していたのに、不作が続いていた。植物は何も語らないから想像するしかないが、カリ肥料が不足しているかもしれないと思い、数日前にまいた。

 それが功を奏したのかはわからないが、昨日の朝、久しぶりにめしべが二つ花を咲かせた。今日は咲いているだろうか。

 自然の営みを左右することはできない。自然の恵みをいただいて生きていく。だが、人間の日々の営みが、自然を長い間に少しずつ痛めつけてきたのかもしれないと思うことがある。

 農業は、自然を感知しながら営む。その自然に、時々いつもと違うことが生じていることに気付くことが多くなってきた。
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