浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「場所を空ける」

2017-07-08 20:35:33 | その他
 西村一之牧師の「説教」を読む。聖書を真剣に読んだことのない私にとって、理解することが難しい箇所がたくさんある。だけど、ところどころに、同意というか、心に響くものを発見する。

 北九州の各地で、たくさんの方が亡くなられた。その人たちや、その周囲にいる人々の悲しみを思う。遠方に住む私は、そうしたことしかできない。その他では、義援金を送るくらいだろうか。今朝新聞を見ながら、もどかしさを感じていた。

 西村先生の「説教」のなかに、こういう描写がある。

 最後の晩餐のとき、イエスは弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいで拭くということをされた。ペテロは、恐れ多いと思ったのか「私の足を洗わないでください」と。

 これをどう考えるか、ということであるが、そこにキリストの愛があるという。主イエスによって、当時は奴隷や下層の身分の者が行っていた足を洗うという行為を、主がなされた。あなただったらどうでしょう、足を洗ってもらえますか?

 私なら、みずからよりも途方もなく立派な方にそういうことをさせてはならないと思い、ペテロと同様のことを言うだろう。そもそもそういうことを他人にしてもらうなんてことは考えない。

 なぜイエスはそうしたのか、天に帰るその時に、弟子たちに自らの愛を刻印しようとしたのだろうか。

 西村先生は縷々話を展開していくのであるが、こういう箇所があった。

 わたしたちは心の中でですね、たくさんの友人、知人、家族がおります時に、その人のことをおもうっていうのは、その人のために場所を空けているわけですよ。その場所には他の人を入れさせません。

 心の中に、その人の場所を空けておく。これもすばらしいことばだ。

 西村先生は、この話を死との関わりの中で話し始めている。

 私の周囲から、知っている方々が亡くなっている。その一人一人を、私は思い浮かべることができる。それは、心の中に、その人たちの場所を空けているからだ。思い出すということは、その空いている場所、その人しか入れない場所、そこにその人を招くということだろうか。

 しかし私はふと思う。私が個人的に知らなかった人々にも「場所」をあけておこう、と。福島原発で自殺した方、戦争で非業の死を迎えさせられた人々、シリアやイラクで殺された人々、今度の災害で命を落とした人々・・・・・・・・・その人たちのことを思うために。

 私たちには、いつも想像力が必要だ。


 なお、この『まぶねのかたへに』は、聖隷クリストファー大学の図書館にあります。
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『高知新聞』のコラムも秀逸

2017-07-08 19:57:58 | その他
 理性的に、ジャーナリズムが備えておかなければならない批判精神をさらりと記す。


小社会 誤用例としてよく取り上げられる言葉に「役不足」…

 誤用例としてよく取り上げられる言葉に「役不足」がある。2012年度の文化庁の国語世論調査では本来の「力量に対して役目が軽すぎること」が42%だったのに対し、逆の意味の「役目が重すぎる」は51%に上った。

 後者を表すのは「力不足」が一般的。日本国語大辞典には「役過ぎる」という言葉が出ていて、「その人の能力に比べて役目が重すぎる。分不相応である」とある。たまたま見つけた筆者を含め、見聞きしたことがない人が大半だろう。

 この人の場合、「力不足」では済みそうにない。問題発言などを繰り返す稲田防衛相だ。都議選の応援演説でのとんでもない発言を撤回したばかりだが、今度は職責に対する自覚が疑われるような行動である。

 九州豪雨で特別警報が出ていた7月6日昼、1時間余りも防衛省を空けていた。その間の約40分は防衛副大臣と政務官2人も不在。万が一、救助活動中の自衛隊員らに不測の事態などが起きていたら。稲田氏が不在理由とした民間人との勉強会出席と、危機管理はどちらが重要なのか。

 ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは「職業としての政治」で、政治家にとっての特に重要な素質として「情熱、責任感、判断力」の三つを挙げる。稲田氏はどれもが及第点に届いていないようにみえる。

 安倍首相は8月第1週にも内閣改造を実施する考えのようだ。3週間余りとはいえ、その間は大丈夫なのか。


 安倍政権の閣僚と高級官僚の面々は、実は「情熱、責任感、判断力」を持っている。問題は、それをどういう方向にむかってつかうか、である。

 彼らは、自分たちの不(公)正を隠す「情熱」と、自分たちの仲間を守るための「責任感」、そして安倍首相とそのグループに褒めて貰うための「判断力」は、持っている。

 政治権力を担うべき人々では、絶対にない。
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『信濃毎日新聞』のコラム

2017-07-08 19:51:25 | その他
 『信濃毎日新聞』のコラム「斜面」をほぼ毎日読んでいる。ジャーナリズムの精神がみなぎる文だ。今日は、これ。



斜面


NHK連続テレビ小説「ひよっこ」で洋食屋の店主を演じる宮本信子さんは、前の「あまちゃん」での役とも相まって人情味のあるしっかり者がはまり役になっている。だが印象に残るのは、やはり映画「マルサの女」の査察官である

   ◆

夫の故伊丹十三監督が脚本も手がけたバブル時代の2部作で、悪質な脱税者との攻防をコミカルに描く。スゴ腕の宮本さんはあの手この手で追い詰めていく。伊丹さんは事前に国税局職員やOBから脱税の手口や内偵から強制調査に移る手順を取材した

   ◆

女性査察官からは踏み込む際の心掛けを聴いている。相手にのまれないようにする、隠している人は態度が不自然なので目線やしぐさに注意すること、アクセサリーを身に着けて行かないこと…。何から何までよく考えているものだ、と伊丹さんは感心した(「マルサの女」日記)

   ◆

仮題のタイトルを褒められ自信を得たという。裏側の苦労に光を当ててくれた映画は現場の職員にも好評だった。先日、そのトップの国税庁長官に佐川宣寿氏が昇進している。森友学園への国有地払い下げ問題で、何度も国会答弁に立った前理財局長だ

   ◆

まさか「資料は破棄した」「調査するつもりはない」と突っぱね通した論功行賞ではあるまい。確定申告に頭を悩ます納税者にすれば、「領収書も破棄したで済むのか」と窓口に皮肉も言いたくなる。職員の士気にも影響しないか。現場にも、国民感情にも無頓着な安倍政権の人事である。 (7月8日)


 権力に貢献した人が「出世」していく。どこの世界でも同じ。「生きてごらん」といわれてこの世に生まれた人間として、恥ずかしくはないか。





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新聞が伝えること

2017-07-08 07:29:24 | その他
 今日の『中日新聞』(東海本社)第一面、北九州の大雨による被害の記事。亡くなられた方々のことが報じられていた。明日も明後日も生きるのが当たり前であった人々の命が奪われた。何ということだ。

 なぜ亡くなったのかという遺族の悲しみ、なぜ自分は死ななければならないのかという死者の嘆き。

 自然は、ひとりひとりの人間の生を顧慮することなく、その命を奪うことがある。なぜこの人が・・・という問いに、私たちは不条理を感じる。

 被災者の方々に何を語りかけることができよう。

 私にできることは、悲しみを共有し、ただ祈ることだけだ。



 また中国の民主活動家に対する中国政府の惨い仕打ちの記事。習近平政権になってから、政府権力の強大化を図っているようだ。同時に、人権に対する強圧的な動きも強まっている。他国のこととはいえ、こちらも心が痛む。面積も広く、また多民族により構成される中国を統一しつづけることの難しさは、中国の歴史を繙くと理解はできるが、しかし二十一世紀の今は、自由や平等の認識が発達している時代である、人権を抑圧することにより統一を維持するという方策は、逆に中国を困難に導くのではないかと思う。

 自分が生まれ育った国が良い国であるという自覚を自然にもつことができるような施策こそが、安定した国家をつくりだすことになるはずだ。
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悪しき者

2017-07-08 06:54:06 | その他
 ほんとうに人間の世界にはいろいろな人間がいるなあと思う。良き人もいれば、悪しき者もいる。そういう玉石混淆であるから、人間の社会は、ある意味で面白いのだろう。

 だが悪しき者たちによって不幸にされる人たちもいる。私たちはその悪しき者どもを批判しなければならない。

 今の世は、悪しき者たちが跳梁している時代だと思う。跳梁している,と記したのは、彼らが政治権力を掌握しているということだ。

 アメリカの独立宣言を、トランプ批判の文書だと勘違いして非難を加える人々。そこには反知性がある。トランプ大統領の言動を見ていると、そこには知性も、理性も感じられない。それだけではなく、倫理的にも許されない言動をする。

 残念ながら、日本でも同様だ。安倍政権の人々、「安倍チルドレン」、そして安倍首相とつながる人々。皆揃って、平気で嘘をつくし、居直るし、他者を攻撃するし、弱者に対して冷たいし、身内には経済的利益を与えるなど、庶民の目からもここまでするのか、と思わざるを得ない者どもだ。まさに悪しき者。そこには知性も、理性も、倫理性も何も感じられない。厚顔無恥そのものだ。安倍夫人も同様だ。

 安倍晋三とつながる人々は、なぜ揃いも揃ってこういう人物なのだろう。

 悪しき者たちに、政治権力を渡してはならないと、つくづくと思う。

 そしてその中のひとり、この人も厚顔無恥。

http://lite-ra.com/2017/07/post-3296.html
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