岩波新書の最新刊『尊厳』を読んでいたら、「高慢」の意味として「自分を敬うよう他者に要求しながら、他者にはそれを与えない」とあった(37ページ)。カントのことばである。
男には、この「高慢」がある。自慢話をしたがる人が多い。自分はこんなに「エライ」のだということを周囲に認めさせるために自慢話をする。私はそれが嫌いだ。
私が農作業をする隣の畑で農業を営むSさんが、私に話しかけてきたことが何度かあるが、農業の話かと思っていたら、彼の出身大学、親戚に某社の重役がいる・・・・とかの自慢話であった。一度目は「そうですか」などと聞いていたが、さすがに同じことを二度も聞くと、もうこの人の話は聞かないことにしようと決意した。
こうした「高慢」の一方で、女性を蔑む言葉を吐く人もいる。その女性がいないときに、呼び捨てにするのである。某革新政党内でのことだ。
既婚の男性の生活ぶりをみると、財布を奥さんに握られ、主導権が奥さんにある家庭が多い。女性への蔑視発言は、日頃奥さんの尻に敷かれていることのうっぷん晴らしかもしれないと思うこともある。
歴史研究者の呉座勇一氏が、SNSで女性差別的な発言を繰り返したことが明らかにされ、彼が所属する国際日本文化研究センターから注意処分を受けた。彼は41歳、助教である。なかなか微妙な職業上の位置にある。
この問題について、いろいろな動きがある。
女性差別的な文化を脱するために
呉座勇一「炎上」事件で考える、歴史家が歴史修正主義者になってしまうということ