政府や自治体がいうことは、会食や旅行を「控えろ」、飲食店は「時短せよ」などと、人々に我慢を強いるだけのことしか、この一年以上していない。
どこの国でも、広汎な検査を行って感染者をみつけだし隔離する、あるいは海外からの入国を制限して入国に際しては厳しい検査を行うなど、こうした感染症の蔓延を防ぐ方策を当然行っている。ニュージーランド、台湾、オーストラリアの島国はそれで成功している。
しかし日本にはそれがない。人々に我慢を強いるのみで、症状のある感染者が出たらその周辺を検査して感染者を発見するだけ。まさにモグラ叩き状態。もぐら(有症感染者)はどこからでてくるかわからないから、それまでは放任。これでは何もしていないと同じことだ。無為無策である。
そしてやることといったら、GO TO なんとか。ウィルスをまき散らすこと、そしてオリンピック。今度は世界各地からウィルスを集めようとしている。
そうした無能な政権に40%以上の支持が与えられる。
もう日本は終わった。私は、日本の支配層は日本そのものを畳もうとしているとしか考えられない。
鮫島宏という朝日新聞記者がもうじき退社する。朝日新聞はリストラを強化しているようで、人減らしを行っている。といってもそれは朝日新聞だけではなく、他者も同じである。人減らしの中、地方支局など地方に配属された記者は、重労働に喘いでいる。
さて鮫島宏が、退社に際してみずからHPをたちあげ、毎日長文の論説を書いている。今日のそれを読んでいたら、こういう個所があった。
いまは新聞社のブランドで「読むべき記事」を選ぶ時代ではない。記者個人に注目して選ぶ時代である。マスコミ報道が画一化して物足りなくなった今、情報が多様化する一方で氾濫して何を読んで良いのかわからない今、ひとつの媒体にくまなく目を通すよりも、「信頼できるジャーナリスト個人」を複数みつけて彼らが発信する情報をクロスチェックするほうが、中身のある情報を素早く効率的に集められる時代になったといえるだろう。
なるほど、そうかもしれない。朝日新聞自体にまったく魅力を感じなくなってかなりの年月が経過したが、なかには良い記事を書く記者もいることは確かだ。鮫島が指摘する読み方もアリだなと思う。
昔は、新聞を、私は社会面から一面にかけて逆に読むという見方をしているが(現在購読している『東京新聞』もそうしている)、紙面を見ながらそのなかにまったく知らなかった情報を発見することがあり、新聞とは思いがけない情報を得ることができるものだという認識を持っている。
鮫島のすすめる読み方は、そうした機会がなくなるということでもある。さてどうするか、であるが、『東京新聞』を購読しながら、朝日についてはそうしてみよう。もちろん、朝日新聞に不信を抱いているのでカネを出すつもりは毛頭ない。