浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』(講談社)

2021-04-16 20:17:53 | 

 日本中世史を題材にしたものだ。いろいろな研究者がいろいろな研究して論文・著書として発表してきたものを、きちんと整理して提示する。最近私が読んだ中世史の本は、『中世史講義』(ちくま新書)くらいだが、それでも昔読んだ、たとえば網野善彦の『無縁・公界・楽』などの研究の位置づけ整理して見せてくれる。たいへんありがたい本である。

 また東島氏の背後にある丸山真男につながるきちんとして思想がしっかりとあり、読んでいて教えられることが多かった。「江湖散人」、「悪党」、「公共圏」などという語に対する理解を深めてくれた。

 本書に書かれた中世に関わる内容は、「公」にかかわることであり、古代でも、中世でも、たとえば飢饉が起きたときなど、「公」としての国家(幕府など)はいかなることを行ったのかを知ることができ、それが現在の「公」ともつながり、現代社会を理解する上でも参考になった。

 できるだけ、東島氏の著作を読み込もうと思う。この本を読んで、読まなければならない本が増えた。たとえば石母田正。

 

 

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【本】佐高信『佐藤優というタブー』(旬報社)

2021-04-16 19:34:56 | 

 できるだけ買わないようにしようと思いながら、次々と注文した本が届く。その一冊である。

 「佐藤優」という人が書いた文をいろいろな媒体でみる。しかし私は読まない。ずっと前からそうだ。私の勘が働くからだ。彼は「売文家」ではないかと思っていた。というのも、彼はいかなる媒体でも登場するからだ。ふつうはそれぞれの思想や立場により、出場する媒体は限られてくる。

 私は、彼はカネ儲けしたいのだろうか、と思っていた。いかなる媒体にも書くということは、彼には思想も立場もないということである。見ていて(読んだわけではない)、もしあるとしたら体制を批判しないということだろうか。もと外交官だから当然だが。

 さて本書は、佐藤批判の書である。佐高は、しかし佐藤といっしょに本を出している。佐高も人を見る眼がないということでもある。だが、佐藤の姿に我慢がならず、ついにこういう本を出したのである。

 書名通りに佐藤批判が多い。まず佐藤にとってのタブーとして、池田大作、鈴木宗男、竹中平蔵をあげている。タブーというか、佐藤はこの3人にぞっこんなのである。池田大作・創価学会を天にまで祀りあげ、現実社会では鈴木宗男と行動し、竹中平蔵に入れあげている。

 私にとって、彼から得るものはない。だから読まない。

 佐高は本書で、佐藤優を「知識の“武器商人”」、「危険な思想家」、「矮小な思想家」、「自公政権のお抱え知識人」、「思想なきウンチクおたく」などと批判しているが、ならばなぜ佐藤と本を出したのかと思ってしまう。

 彼が書くものを見渡すと、どうもカネの臭いがする。創価学会系の雑誌の原稿料はかなり高額だと聞いたことがあるし、池田大作をほめれば多くの学会員が買うだろう。そして体制とくっついていたほうが、絶対にカネは入る。

 しかし本書は、佐藤批判は三分の一くらいで、あとは佐高がいろいろなところに書いた文である。いつものように、佐高は様々な書籍や雑誌から知識を得て、それらをもとにいろいろなことに対して厳しい批判をする。博識である。

 その中で一つだけ紹介する。「社民党は女性主導で再出発を」という文であるが、私もそう思っているからだ。男はだめ。とにかく自分自身をエラク見せるために行動するからだ。そのため、「転向」も平気である。大日本帝国時代には権力による暴力が「転向」を強いたが、今は暴力を振るわなくても、出世や名誉の「褒美」をちらつかせれば、すぐに「転向」してしまう。私はそういう人たちを知っている。

 佐高もその辺を知っているようだ。こう書いている。

新自由主義に対決する社会民主主義の必要性がますます高まっている時に、なぜ、社民党を解党して、代表や幹事長が疑問なく伊勢神宮に参拝する立憲民主党と合流しようと思うのか。そこに私は、男たちの拡大志向の出世主義の臭いをかぐ。多分、それは市民感覚と離れた労働組合運動の中で培われたに違いない。端的に言えば、自治労の都合で今度の騒ぎは引き起こされた。

 佐高の言う通りである。社民党には地方組織があり地道に活動している人たちがいるけれども、その幹部は議員出身者が多い。そして彼らは、多くは労働組合上がりの人物であり、べつに社会民主主義についての知識なんか持たず、労働組合の幹部をしているなかで、組合の推薦により議員としてでてきた人である。思想があるわけではない。だからすんなりと立憲民主党でも、どこへでも「参加可能」なのである。

 社民党は、総評・社会党として一体となって行動してきた。総評がしっかりしていれば、社会党もしっかりする。しかし総評がなくなると、社会党は漂流を始めた。その漂流船から次々と別の船に乗り換え、みずからの延命をはかる者がでてきた。今回の解党劇は、その最終仕上げである。すでに党首を務めていた吉田忠智や、幹部であった吉川某も立憲民主党へと移り、全国各地でその動きが活発化している。

 私は社民党支持であるが、立憲民主党へ移った人々は、私のような支持者のことを何も考えないということだ。彼らは、「私はいなくなる、あとは知らん」ということなのだろう。

 かくて私は、人間不信となる。

 この本は、なかなか面白い。短時間で読むことができる。政治に関する雑多な知識を得ることができる。

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兵庫県の学校

2021-04-16 15:18:55 | 社会

 学校、どこもおかしなところがあるが、兵庫県は、教師間の陰湿ないじめもあった。こんどはこれ。

「廊下で100回練習しろ」女子生徒転落は「顧問の叱責原因」…手術8回で加療中

 しかし、全国の中学校や高等学校の部活は、これに近いことが行われている。私も、吹奏楽部顧問の厳しい叱責を何度聞いたことか。その顧問の笑っているところを見たことがない。  部活動は、とにかく「やりすぎ」、である。部活動をするために学校に来る子どもが、本当に多い。そして社会が、部活動偏重を支えている。勉強してこなくても、本を読まなくても、ただ部活動をやっていた、ということだけで進学も就職も容易になる。その理由は簡単なことだ。高校や大学では、「良い」選手を集めて大会とかで良い成績を出したいからだし、企業は上意下達の運営がやりやすいからだ。部活動の前で民主主義は佇み、専制主義だけが大声で叫ばれる。それに慣れた子どもたちがたくさんいるのだ。文科省も教育委員会も、だからこそ、部活動を支えるのだ。

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名古屋市偽造署名事件と「維新」

2021-04-16 15:04:45 | 政治

「偽造署名に深く関与」で元維新・山田市議が辞職、田中事務局長の偽造指示も明言

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厚労省の無能

2021-04-16 14:03:27 | コロナ

 厚労省職員の宴会、コロナ感染者が増えている

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