インドの新たな変異ウイルス 国内で21件確認 官房長官
この記事中の、加藤の「インドの変異株のみならず、厚生労働省で各国政府やWHO=世界保健機関、専門家などとも連携を図りながら、情報収集や評価、分析を行うとともに、水際対策や変異株に対する監視体制の強化など、必要な対策を徹底していきたい」は、要するに効果的な対策は何もしないということである。
1989年刊。むかし読んだ本だが、もう一度読み直した。静岡県の引佐町金指出身(現在浜松市)の松尾邦之助のフランスでの生活を綴ったものである。
松尾がフランスにいたのは、1920年代から30年代前半である。良い時代である。日本も第一次大戦で儲けて、日本からフランスへ渡る人も増えた。藤田嗣治、武林無想庵、辻潤、石黒敬七などなど。松尾はこういう人物らと交遊し、まさに遊んだ。カネがなくてもパリで生きていた日本人のひとりとして、自由に奔放に生きた。
この本に登場する人々は、まさに自由人である。自由気ままな人たちである。私には、とうていこういう人生は送れないなと思うような、どこでも生きていけそうな人々であった。「日本人野郎」といったことばがふさわしい人々だ。
これらの人々は、パリで、アナーキーに生きた。日本にいたときからそういう生き方をしていたのだろうが、アナーキーということばが似合う。
パリでの生活は、裸一貫、生活のためのカネは自分で稼ぐしかない。国家的庇護はない。カネを借りたり、極めて低賃金で働いたり、その日その日をただ生きる。そしてフランス女性と恋をしたり、ワインを飲み、深夜まで遊ぶ。
こういう生活ができるようにならなければいけないような時代に、今からはいっていくような気がする。
10時頃、友人から電話が入った。この本を読むのを中断してでたところ、広島、長野、北海道の選挙結果のことであった。野党が勝ってよかったという話であった。しかし私はこの話にのらなかった。勝ったからといって何が変わるのか。変わりはしない。
COVID-19の猛威はとどまるところをしらない。他国は、政府が戦闘となってウィルスと闘っているが、日本ではwith coronaなどといって、国民を感染させ、死に追いやり、飲食店を困窮させ、人々の自由を奪うことに何の痛痒も感じない者たちが政治に携わっている。自民党・公明党政権はいうまでもないが、維新であろうと、立憲民主党であろうと、議員がいようといまいと、他国でやっているような COVID-19との闘いを放棄したままの状態が続く。
何もしない、まったく無為無策の政府や自治体に、いったいどんな期待を寄せられるか。私の気持ちは、政府も何もいらない!というものだ。
国家は、国民の生命や健康を守ることが第一の使命である。その使命を一切果たそうとしない、ただ国民にむかって「自粛」を求めるのみ。いらないだろうこんな政府や自治体。
私の気持ちは、いよいよアナーキーになっていく。