浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

“自民支持「少数派」”

2012-12-18 08:06:29 | 日記
 今日の『中日新聞』の一面に載せられていた記事。現行の小選挙区制の問題点を細かく指摘している。しかしこの選挙制度は、実施される前から問題があることは指摘されていた。それを政府やマスメディアが「政治改革」という名の「時流」をつくって強行したものだ。

 私は、この制度の「悪」について、選挙のたびごとに指摘してきた。

 この制度に賛成した政党、議員、学者、何れも信用できない。 


戦後最低の投票率となった16日の衆院選は、自民党が定数(480)の6割を超える294議席を確保する圧勝で終わった。しかし小選挙区で自民党候補の名を書いたのは全有権者の約四分の一、比例代表に至っては15.99%だった。自民党の勝利は、必ずしも民意を反映したものではない。他党乱立と低投票率が自民党を利した結果であるということが、はっきり分かる。

 衆院選の投票率は小選挙区制で59・32%。戦後最低を記録した。

 一方、自民党の得票率は小選挙区が43.01%。比例代表は27.62%。ただしこれは投票した人の中での比率だ。全有権者に占める比率は24.67%、比例代表は15.99%となる。選挙区でも比例代表でも自民党候補や党名を書いた有権者は「少数派」だ。

 ところが自民党が獲得した議席は小選挙区で定数の79%にあたる237議席、比例代表は同31.67%の57議席だった。

 現在の衆院選挙制度は、小選挙区制と比例代表の並立制を採用している。民意を集約して二大政党制に導く小選挙区制で自民党は、有権者全体に占める得票率の三倍以上の議席を獲得。

 信じられないような世論との乖離が生じた。

 民主党は、小選挙区で自民党の約半分にあたる22・81%の得票だったが小選挙区での獲得議席は自民党の1割強の27にとどまった。ここで両党が明暗を分けた。

 このようなずれは、12党が乱立した今回の衆院選で、多くの候補が票を食い合ったことが最大の要因。特に、最大の争点の一つだった原発政策で「原発ゼロ」を公約する政党が小選挙区で競合し、結果として原発を容認する自民党を利した形だ。
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許せない制度

2012-12-18 07:48:24 | 日記
 総選挙に関する投票率が明らかになった。

 投票した人の内、小選挙区で、自民党に投票した人は43.01%、比例区では27.62%。小選挙区では自民党に投票した人の方が少ないにもかかわらず、議席数は定数の79%の237議席。43%の得票で約8割の議席を獲得したのだ。比例区でも、自民党に投票した人は27.62%、しかし議席数は約32%の57議席である。

 まったく民意を反映しない選挙制度である。

 さらに全有権者数からみると、投票率は小選挙区制59.32%であるから、自民党に投票した人は24.67%のみ。比例では16%のみ。まあ棄権した人が悪いといえばそれまでだが、しかし小選挙区では約25%の投票数で議席の8割、比例区では約16%の投票数で約32%の議席数。

 いかに現行の選挙制度が非民主的どころか、反民主的であることがわかろうというものだ。自民党に投票した人よりも、そうでない政党に投票した人の方が多い、にもかかわらず大量の議席を獲得して、勝手な政治を強行していくのである。

 ボクは、この選挙制度ができたとき、反対の論陣を張った(ブログ「過去と未来の間」)。しかしそのとき、全マスメディアは賛成の論陣をはり、政治学者、たとえば山口二郎らも賛成論を強く主張した。

 以下は、『東京新聞』の記事。

小選挙区の宿命 自民得票4割、議席8割
2012年12月17日 夕刊


 第四十六回衆院選は十七日午前、開票作業が終了し、小選挙区(定数三〇〇)と比例代表(定数一八〇)の計四百八十議席が確定した。自民党の小選挙区全体の得票率は43%程度だったにもかかわらず、獲得議席は二百三十七と全議席の79%を占めた。また、総務省は小選挙区の確定投票率は59・32%だったと発表。衆院選の戦後最低記録で、前回二〇〇九年(69・28%)から約10ポイント下落した。

 衆院選の投票率は現行の小選挙区比例代表並立制が導入された一九九六年の59・65%が戦後最低だったが、それを下回った。東日本大震災後、初めての大型国政選挙だったにもかかわらず、乱立した十二政党が原発政策などで主張の違いを明確に示せず民意の受け皿になりきれなかった。

 戦後の投票率は60%台後半から70%台後半で推移。九六年の現行制度導入後は三回続けて60%前後だった。二〇〇五年の郵政選挙と、民主党に政権交代した〇九年は60%台後半に盛り返したが、再び低下に転じた。

 各党の獲得議席は、三年ぶりに連立政権を組むことになる自民党が二百九十四議席、公明党が三十一議席。政権から転落する民主党は五十七議席で、九八年の結党以来、最低に落ち込んだ。

 自民党の比例代表の獲得議席は惨敗に終わった〇九年の五十五議席から二議席増えただけにとどまった。民意を反映する比例代表での議席獲得が伸び悩んだことは、自民党が有権者の積極的支持を得ていないことを物語っている。

 各党の比例代表の獲得議席は自民五十七のほか、日本維新の会四十、民主三十、公明党二十二、みんなの党十四、共産党八、日本未来の党七、社民党一、新党大地一。維新は獲得議席全体では第三党だが、比例代表では第二党となった。
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いよいよテレビは見ない決意を!

2012-12-17 17:55:24 | 日記
 いかなるテレビ局も、ボクがいつもいう「権力中枢」、植草氏が言う「既得権益」集団の一員として、よく活躍した。

 また自民党も、インターンネットやテレビ、新聞にたくさんの広告(広告バナー)を貼り付けた。あの安倍の知性のない顔が、望んでもいないようなところに、たくさんあった。カネをかけたのだろう。広告代理店、電通や博報堂も、依頼者のために大いに働いたのだろう。

 ボクは皆さんに言いたい、テレビは捨てよう!と。テレビはやはり、諸君の知性を劣化させる。今回の選挙報道でも、それが証明された。

 それよりも本を読もう。国文科に行ったYさんは、たくさん本を読んでいるという。

 さて総選挙の結果についての論評が出始めた。もちろんマスメディアの論評はあたりさわりのないものばかり。書いても書かなくても、毒にも薬にもならないものばかりだから読む必要はない。メディア関係者は、みずからを生活者としてではなく、高みの見物をする習慣があるようだ。いわゆる「上から目線」である。

 以下は、読んでおくべき論評。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-35c4.html

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2012-12-17

 野田君は、今頃、「既得権益」集団や「権力中枢」から、「よくやった!」などと褒められているのだろう。

 でもこの選挙結果について、国民は責任を負うべきであると思う。これから「悪政」が次々と繰り出されても、ある意味「自業自得」。
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「決められる政治」

2012-12-17 08:48:08 | 日記
 「決められる政治」は、マスメディアからしばしば聞かれたことばだ。そのことばは、1993年から94年にかけての細川内閣で、マスメディアや政治学者等によって全面的にバックアップされて行われた「政治改革」、すなわち小選挙区制の導入に始まる。

 二大政党制により、どんどん政治を進めていくべきだという考えでもある。この頃から新自由主義的な、富者が富み、中産階級が没落する政策が行われ始めたのだが、国民の生活や意思を顧慮することなく、政策決定をどんどんすすめていくということでもあった。

 しかし、そういう体制はすぐにはやってこなかった。小泉選挙によりそれが可能になると思われたが、格差拡大など社会の矛盾が露呈する中で、新自由主義路線は批判されるようになった。そして総選挙。民主党が勝利した。新自由主義路線への対決をスローガンにもしていた。

 ところが、財界やマスメディアは、それを喜ばなかった。また官僚が担う権力機構も、非協力であった。それだけではなく、政治資金の問題をでっち上げて、民主党の実力者である小沢一郎を徹底的に攻撃した。マスメディアは、検察のリークを無批判に報道し、民主党に対する攻撃に終始した。

 また公務員攻撃も行った。公務員の中のエリート官僚こそ天下りなどでカネを集める階層であるにもかかわらず、庶民と変わらない生活をしている公務員攻撃に終始した。マスメディアの住人は、実は高額の給料を食んでいるのに、あるいは税制改革で減税の恩恵にもっともあずかっている富裕者がたくさんいるのに、マスメディアはみずからや本当の富裕者を攻撃することはなかった。

 そして今度の総選挙。野田は、この結果を予想して選挙を始めたはずだ。野田は、権力中枢の期待、すなわち自民党政権の復活を実現するエージェントであった。

 そしてこの結果。マスメディアや財界など権力中枢が望んでいた「決められる政治」が実現する。さてどんな政治が出現するか。貧しき者はさらに貧しくなり、富裕者はより富裕となるそういう社会がさらに続く。

 だが、庶民は、みずからの生活の悪化を、「自然現象」として捉えるようなのだ。政治が意図的に様々な政策を展開しているその結果としてあるのに、庶民は考えない。それが庶民なのだろう。

 さて、どんなことが「決められるのか」、凝視していくつもりだ。日本という国の劣化・衰退をしっかと見届けるのだ。
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総選挙の結果

2012-12-17 00:39:06 | 日記
 小選挙区制度に問題はあるが、選挙結果は、ボクが望む方向ではなかった。

 国民は、消費税増税、TPP参加、原発存続、対米隷従強化、「公共」事業の拡大(国民の増税で「公共」事業を支える)、沖縄・オスプレイ配備賛成、辺野古への新基地建設賛成、社会保障の後退賛成・・・・・・を選んだようだ。

 沖縄でも自民党が一つを除き、議席を確保。沖縄の住民は対米隷従を選んだようだ。おそらくオスプレイ配備も、辺野古新基地建設も、文句を言うな!という政策になるだろう。フクシマも原発存続の自民党がほとんどの議席を確保。放射能にまみれてもよい、という判断なのだろうか。地元の人たちがそういう判断をしたということだろうか。

 もう一度、日本人は「悪政」にまみれてみたいと思っているようだ。それも仕方がない。

 ただし、小選挙区制度であるから、得票をきちんと分析してみないと上記のことは訂正する必要がでてくる。
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今日は投票日

2012-12-16 19:55:56 | 日記
 ボクはすでに不在者投票を済ましているから、今日は特別の日ではない。マスメディアは、自民党、公明党、「維新」などが圧倒的に勝利すると予想している。

 ボクにとっては、とても残念な予想だ。その予想が外れてくれることを願うのみである。

 何度も記しているが、小選挙区制は、民意を踏みにじる選挙制度である。こういう選挙制度はなくさなければならない。二大政党は、この選挙制度により大きな利益を得ているから、みずからは選挙制度の改正に取り組まないだろう。しかしもしそうなら、この日本は「闇」である。

 フクシマで、多くの人が、昨年3・11以前の生活に戻れないままに苦しんでいるというのに、原発を存続させようとする政党を勝利させるのなら、日本人の隣人愛とか、日本人の想像力はあまりににぶい、ということになる。

 さて今日ボクは、書店に行った。岩波文庫の棚に行ったら、浅川巧の『朝鮮民芸論集』を見つけた。日本が朝鮮を植民地支配しているとき、多くの日本人は朝鮮人を差別し、蔑視していた。だが浅川は、朝鮮人のもつ創造力に感動し、朝鮮人がつくった民芸作品を正当に評価する活動を行った。

 日本人は、支配層が企画し、マスメディアが実践部隊となってつくりあげる「時流」というものに乗る人が多い。その「時流」が人びとをどういうところに連れて行くのか問わないまま、その「時流」に乗る。そうすると安心できるようなのだ。

 だがボクは、浅川のような生き方が好きだ。あるいは五味川純平の『人間の条件』の主人公・梶のような生き方が好きだ。

 今日、おそらくテレビは選挙で騒ぎまくるだろう。だがボクは静かに浅川の本を読む。
 
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「-民意はどこに?-脱原発社会へ一票!私たちは、選挙を通じて脱原発の実現を呼びかけます」

2012-12-15 17:40:40 | 日記
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/44809
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沢田研二(ジュリー)も反原発・憲法擁護

2012-12-15 17:24:26 | 日記
 沢田研二が、反原発の唄を歌っている、ボクの手元にそれはあり、時々聴いている。

 彼は、憲法9条を守ろうという唄も歌っている。「我が窮状」という唄である。

http://www.dailymotion.com/video/xf7d5x_yyyy-yyyy_music

 歌詞の「窮状」を「九条」にかえると、ジュリーの意思が伝わるだろう。

 自民党や維新は、改憲を叫んでいる。平和を守る、日本人は戦闘で人を殺すことをしてはならない。ジュリーの意思は、ボクの意思でもある。

 戦争死について研究したこともあるボクとしては、戦争や戦闘はなくさなければならないと思っている。戦争死は、苦しい、戦争死は悲しい、戦争死は、おそらく無駄死にだ。

 そのジュリーが、何と選挙で応援演説をした。

http://www.dailymotion.com/video/xvxyxk_yyyyy-yyyy-yyyyy-yyyyyyy_news

 選挙権をもつ年代になったよね、反原発、憲法擁護の候補者に投票して欲しい。
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【本】北村博司『原発を止めた町』(現代書館)

2012-12-15 12:47:13 | 日記
 芦浜原発を建設させなかった三重県の人々の闘いを詳細に記したものだ。読んでいて、すごいと思ったのは、反対運動を切り崩すために様々な手が使われたことだ。

 札束で頬を撫でる、あるいはひっぱたく、というのは一般的なことだ。原発立地地域には、計画から建設、そして稼働まで、莫大なカネが投入される。そして人々の心を奪っていく。

 芦浜の場合は、カネで心を奪われる人々もいたが、反対運動を展開した人々はいかなる圧力にも屈しなかった。

 「いかなる圧力」という場合。しばしばテレビが使われる。

 東京のキー局が「恐怖のハマチ」という報道番組を流した。ただ、この番組、この地域では流されなかった。

 その内容は、次の通り。この地では「ハマチ」の養殖が盛んで、養殖業者には原発反対の漁民が多かった。その「養殖ハマチ」は薬漬けで、漁網防汚剤として有機スズが使われている、「養殖ハマチ」は危険というもので、当地の漁民の「漁師は、養殖ハマチは食べない」などという証言も流したのである。「ハマチ」の養殖は他の地域でも行われていたのだが、なぜかこの地域が取材され、わざわざその地域がわかる画像を流していた。

 その後、この地域の「養殖ハマチ」の価格は下落し、ハマチの養殖家の経営は悪化した。そして、原発推進の三重県の部長が乗り込んできた。

 後でわかったことだが、「漁師は、養殖ハマチを食べない」と語った人は、漁師ではなく原発推進派の幹部であった。

 原発推進は国策でもあった。テレビは、このように国策に協力して、でっち上げ番組すら流すのである。

 またこうした謀略もある。

 反対派の家庭に、中核派の機関紙が送られてくるようになった。運動に外部からの介入をさせないできた反対派住民は、中核派に何とか連絡をつけて、機関紙送付に付き尋ねたところ、送っていないという返事。機関紙は、東京や大阪などから、ばらばらに送られてきたという。

 しばらくして、全国紙の論説委員が、芦浜原発反対闘争は中核派に指導されているという文を、原発関係の雑誌に書いた。

 このように、原発推進のためには、手段を選ばないのである。テレビや新聞も、その手段となり、積極的に動いた。

 こういう事実については、しっかりと記憶しておくことが重要だ。
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総選挙

2012-12-15 09:49:21 | 日記
 小選挙区制のもとでの選挙は、少ない得票でも、大幅に議席をのばすことができるという「魔」の制度である。基本的に二つの大政党をつくりあげる制度であるから、それ以外の政党は進出はできても、大きな勢力にはなり得ない。民意は、簡単に踏みにじられ、選挙民にはどういう政治意識を持とうとも、二つに一つという選択が与えられるだけである。

 こういう選挙制度を導入しようとした人々を私は、忘れない。そのなかに小沢一郎という政治家もいるし、ほとんどのマスメディアも積極的にバックアップした。何と、小選挙区制度では自滅することがわかっていた社会党(現在の社民党)も賛成した。そのときの「政治改革」という名を借りた小選挙区制導入の力は、大きかった。反対する勢力は、あたかも「非国民」であるかのような扱いであった。

 しかし、予想通り、小選挙区制は日本の政治を劣化させた。

 劣化されたもとで行われる総選挙。しっかりとその弊害を認識しておくべきである。

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2012-12-14
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「ステマ」

2012-12-15 09:36:18 | 日記
 新しい言葉だそうだ。「ステルスマーケティング」の略。「報酬を払って商品や店を推奨させているのに、その旨を説明しない宣伝行為」だという。

 この「ステマ」を行っていたということで、タレントが警察に事情聴取されているという。当然のことである。自分では買ってもいないのに、安く買うことができたと、不特定多数の人に公言したのだから。

 だがしかし、この「ステマ」は広汎に行われているのではないか。

 テレビでは、どこかの飲食店に行って何かを食べる番組が多い。そして「おいしい」、「うまい」などと大きな声で叫ぶ。

 だがそれを食べて「おいしい」というタレントは、はたしてお金を払っているか。あるいはテレビ局は代金を支払っているか。おそらく支払っていないだろう。

 そうなると「おいしい」としか言えないだろう。これだって、ある種の「ステマ」だ。

 テレビは、あらゆる意味での「ステマ」の巣窟だ。

 だが多くの人々は、「オレオレ詐欺」、「振り込め詐欺」と同様に、だまされるのである。テレビに出ているものを信じるという性向は、すべてを歪ませる。

 テレビを見ない、テレビを「信仰」しない、ということが必要だ。テレビそれ自体が、「大衆操作」の手段なのである。それをもっとも効果的につかっているのが、権力である。

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最高裁・裁判官の国民審査

2012-12-14 20:00:41 | 日記
 表記の件について、江川紹子氏の論説。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20121214-00022725/
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消費税増税派を当選させるな!

2012-12-14 09:38:43 | 日記
  消費税増税は、権力中枢の罠だ。それを見抜くことが、重要である。

 下記の論説を読むことをおすすめする。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-91ae.html
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最高裁国民審査への対応は?

2012-12-14 09:31:34 | 日記
 ボクは、すべての裁判官に×をつける。これについては以前書いた。今日の『中日新聞』の社説。

 国民審査 憲法の番人を見極めて 2012年12月14日

 最高裁判事の国民審査は、国民が司法を直接チェックする大事な機会だ。どう判断していいのか、困るのも現実だろう。審査公報などをもっと充実させ、有権者も権利を積極的に行使してほしい。

 「国民は最高裁判事を罷免できると憲法に書いてあります。でも、情報が足りないから、その力を国民は知らずにいるのです」

 選挙での「一人一票」の運動をする升永英俊弁護士はそう語る。一票の格差が二倍あると、住む地域によって、「〇・五票」しか持てない人が出る。その地域格差を完全になくそうというのが、「一人一票」運動だ。

 最高裁は衆院選で二倍超、参院選で五倍超の格差を「違憲状態」とする判決を出した。

 「主権者たる国民の多数決と国会議員の多数決は、一致せねばならないはずです。それを反映できるのは、人口比例選挙しかない。でも、最高裁は完全に平等になる『一人一票』と明言しませんでした。だから、私たちは心を鬼にして、判事全員に『×』を投票するよう呼び掛けているのです」

 どんな価値観で判断するかは、有権者の自由だ。国民審査は不信任票が過半数に達すると、判事罷免となるダイナミックな仕組みでもある。問題なのは、大半の国民が判事をよく知らないままで、審査が形骸化していることだ。

 最高裁は長官と判事十四人の計十五人で構成されるが、今回の審査の対象は十人である。だが、名前を聞いても、よほど法曹界に通じていない限り、人物像は分からないだろう。

 有権者に配られる審査公報には、略歴や関与した裁判、心構えが簡単に記されている。だが、まだまだ“顔”が見えるまでには到達していない。

 「憲法の番人」と呼ばれる大事な役割を担うだけに、判事の情報を国民にもっとわかりやすく公開すべきである。さまざまなメディアを通じて発信する努力も尽くしてほしい。

 米国では大統領に指名された連邦最高裁の判事候補者は、上院議会の承認を受ける。その際には公聴会で、さまざまな質問を受け、チェックされる。

 それに比べて、内閣が任命する日本の最高裁判事の選任過程は、ブラックボックスである。有識者らで任命諮問委員会をつくってはという案もある。最高裁判決は国民生活に直結する。司法への信頼を高めるため、任命段階での透明化も大きな課題だ。



 日本の司法は、常に政府よりの判決を下す、その根本にあるのが、最高裁の裁判官を内閣が任命するという制度にある。政府の考えに賛同するような人しか、最高裁の裁判官になれない。そしてその最高裁が、下級裁判官を束ねているのだ。司法を国民に取り戻すためには、この国民審査制度を活用しようではないか。
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労働組合の意味

2012-12-14 08:57:07 | 日記
 今日本の最大の労働組合のナショナルセンターというと、それは「連合」である。「連合」は、民主党を支援し、民主党と蜜月の関係にある。「連合」は、大企業の組合を中心とした、いってみれば「御用組合」の連合体だ。それぞれの企業の労働組合の幹部を経験すると、ほとんどが会社内でも「出世」する。そういう労働組合に支援される、ということは、経営者に支援されることと同じである。民主党を「中道左派」に位置づけようとする昨日指摘した北海道大学の政治学者・山口二郎氏の希望的観測も事実をもって破産せざるを得ない。

 この連合、日本の権力中枢により、計画的に持続的に、そして長い時間をかけて、つくりだされてきたものだ。戦後日本の労働組合は、平和や生活擁護のためによく闘った。権力中枢は、そうした労働組合を骨抜きにするために、様々な策略を用いた。

 労働組合を体制内化するためにもっとも利用された組合が電力労連、東京電力や東北電力、中部電力などの労働組合である。地域で組織された労働組合の連合体の体制内化の尖兵として、彼らはよく闘った。そうした研究をボクは読んだことがあるが、今その文献を示すことはできない。

 労働組合として、その組合の利益を追求することは否定はできないのだが、労働者はそれぞれの労働組合を越えて、横につながりながら国民全体の生活を改善するために動くことが求められるはずだ。

 一応、急いで付け加えると、「連合」を発足させるためには「総評」を解体しなければならない。「総評」を解体するためには、その中心となって闘っていた国鉄労働組合を解体しなければならない。そのために企図されたのが、国鉄の分割民営化である。JR各社が発足する時、国鉄労働組合のメンバーの多くはJR各社への採用が拒否された。まさに国家的不当労働行為であり、労働組合法違反であるが、国家権力の強権を背景にしながら、表向きはJR各社の裁量として実行された。

 労働者や国民生活のために闘う労働組合を排除して、電力関係の労組のような自分の労働組合の経済的利益だけを追求する組織を中心にしてできあがったのが「連合」である。

 だから「連合」は、平和活動や国民生活の改善などの活動はほとんど見られない。

 さて、その電力関係労組に関して、今日の「中日春秋」は鋭い指摘をしている。


野球場の案内係は、観客を守るための大切な道具を持っている。警笛だ

▼ナゴヤドームを例にとれば、場内の百人ほどの案内スタッフがプラスチック製の黒いホイッスルを持っている。ファウルボールが客席に向かえば、一斉に力強く吹く。ただちに落下地点に駆けつけ、お客さんにけががないか確かめる

▼世の中には、警笛を吹くのが仕事の大事な一部という職業がある。警察官、運転士、駅員、サッカーの審判…。危険が迫ること、不正があることをすばやく見つけ、注意を促す。だから英語で笛を吹く人を表すホイッスル・ブロワーという言葉には、「内部告発者」という意味がある

▼福島原発の収束作業現場から伝わってくる被ばく隠しや偽装請負。そんな記事を読むたび疑問に思うのは、東京電力の労働組合はあそこで働く人たちのために何をやっているのかという疑問だ。働く人を守る、しかも同じ現場で汗を流す人々のために、警笛を鳴らしているのか

▼中部電力の労組は、民主党の候補者に支援と引き換えに、原子力の平和利用推進を盛り込んだ政策協定を結ばせたという。福島の惨事を見て電力のプロとして何も感じないのか。業界の利益を守ることしか考えないのなら、労働組合の社会的な意義はどこにあるのか

▼プロだからこそ、組織の内部にいるからこそ、社会に向かって吹きうる警笛があるはずだ。


 昨日、NHKの「クローズアップ現代」で、東電の何が問題であったのかを内部で検証する作業が進んでいるようなことを放映していた。しかし、それを見ていて、東電の面々は(そしてそれをあたかも熱心に検証に取り組んでいるかのように報道するNHKも)、「あそこで働く人たちのために何をやっているのか」と指摘されるように、下請けで働いている人びと、故郷を離れてばらばらになって生活している避難民、そういう人たちのことを想起しながら検証することには思いも付かないようであった。

 「中日春秋」は、「労働組合の社会的な意義はどこにあるのか」と問うが、「連合」傘下の多くの組合には、そうした問いかけは無意味だろう。「社会的」という形容は、「連合」には似合わないのだ。

 もちろんだからといって、労働組合の意義は大いにある。その場合、何度も同じことを指摘するが、「連合」を労働組合の範疇には入れない。

 今日の「生活」面に、「労組をつくる(理論編)」という記事があるが、「使用者との交渉を対等に」するためには、労働組合はなくてはならないものである。

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