意図は分かるが、材料を入れすぎて主張が薄まっている。
週のはじめに考える 「自由」の自由取り戻す
2019年9月22日
自由という言葉からは、しなやかさを連想します。ですが最近「表現の自由」は縮こまっているように感じます。こわばりをほどく方法を考えました。
戦後七十年の二〇一五年、本紙の取材班は一人の男性の戦後を追いました。信州大学教授だった故島田美成さん。息子にも語らなかった戦中の過去がありました。
生活をありのままに描く指導法が「共産主義を広める」として、北海道の旭川中学の教員や教え子など二十人以上が治安維持法違反容疑で逮捕された生活図画事件。東京美術学校(現東京芸大)を卒業し、徴兵されていた同中学出身の島田さんもその一人でした。
◆秘めた思いがノートに
事件について調べている東京芸大講師の川嶋均さんが昨秋、遺族の家から一冊のノートを発掘しました。当時の取材ではつかむことのできなかった島田さんの胸の内がつづられていました。
「汚穢(おわい)船」と題された随筆は、昭和十三年ごろ、隅田川で糞尿(ふんにょう)を運搬する船を見た思い出話で始まります。「人間が喰(た)べるものと出すもののための労働である」。当時、二十代だった島田青年は、そんな感想を抱きながら、川べりで船を眺めていたのです。石炭も船で運搬されていました。陸地へは人がかごにいれて運んでいたのが、やがて機械が導入されたことに触れ「だんだん労働から人間を必要としなくなる時代の始めのような感じがした」と記しています。
美校時代に描いたそれらの船や千葉・松戸の農民、水戸の海岸の漁民のスケッチはすべて「軍法会議(裁判)で没収されてしまった」とあります。「法律というものはいつでも国家のものであって、庶民のものでないと強く思うのである」
◆ナショナリズムの内実
ノートに記された日付によれば、随筆が書かれたのは一九九〇年代後半。半世紀たっても残る悔しさが生々しく伝わります。
今夏、名古屋市で開かれていた企画展「表現の不自由展・その後」が開催から数日で打ち切りとなりました。旧日本軍の慰安婦を象徴した少女像の展示などに抗議が殺到し、その中には脅迫と思われるものも含まれていました。
近年、憲法や戦争などにまつわる展示や講演会に、行政が「政治的中立性」を理由に後援しなかったり、作品の撤去を要請したりする事例も相次ぎます。戦前の治安維持法とは違い、一種の「空気」によって、意見の分かれる問題について考えたり議論したりする場が縮まっていきかねない風潮に懸念を覚えます。民主主義の足腰の強さにかかわります。
第二次世界大戦が終わった一九四五年、英国人作家ジョージ・オーウェルは「ナショナリズム覚え書き」という随筆で、異論を認めぬような心のこわばりの根源を見つめようとしています。
オーウェルは、すべての人間の活動が監視され、日記を付けることも禁止された全体主義社会を描いた小説「1984」で知られますが、行動の人でもありました。
下級官吏の家に生まれ、名門イートン校を卒業後、英国統治下のインドの一部だったビルマで警官となります。帝国主義に幻滅して職を辞した後は、ロンドンやパリのスラム地区で暮らし、最底辺で生きる人々の苦境をルポルタージュに記しました。スペイン内戦には民兵として身を投じます。
このスペイン内戦でオーウェルは、戦争の記憶はそれぞれの立場で都合良くとらえられ、歴史が改ざんされる危うさを感じます。
「私たちみんなの心にあって」「その思考を誤らせるいくつかの傾向」の正体を突き止めることを目的に随筆は書かれました。ここではナショナリズムの意味は自国を愛することにとどまりません。自国を嫌うことも、他の特定の国に入れ込むことも、さらには平和主義も含まれます。当時、平和主義者を名乗っていた人たちは、必ずしも分け隔てなく暴力に非難を向けているわけではなく、特定の大国に批判を向けていると、オーウェルの目には映っていました。
共通するのは、「個人よりも巨大な何かに仕えているという意識」によって生み出される、「自分が正しい側にいるという揺るぎない信念」です。「巨大な何か」を国家に限らなければ、大きな物語に寄り掛かって安心しようとする心のありようは程度の差こそあれ、多くの人が経験しているのではないでしょうか。
◆小さな物語を自ら紡ぐ
「自由」にしなやかさを取り戻す一歩は、大きな物語の居心地よさになるべく寄り掛からず、小さな物語を自ら紡ぎ出す営みかもしれません。それは例えば隅田川でスケッチしたり、日記に思いを刻んだりするような。
週のはじめに考える 「自由」の自由取り戻す
2019年9月22日
自由という言葉からは、しなやかさを連想します。ですが最近「表現の自由」は縮こまっているように感じます。こわばりをほどく方法を考えました。
戦後七十年の二〇一五年、本紙の取材班は一人の男性の戦後を追いました。信州大学教授だった故島田美成さん。息子にも語らなかった戦中の過去がありました。
生活をありのままに描く指導法が「共産主義を広める」として、北海道の旭川中学の教員や教え子など二十人以上が治安維持法違反容疑で逮捕された生活図画事件。東京美術学校(現東京芸大)を卒業し、徴兵されていた同中学出身の島田さんもその一人でした。
◆秘めた思いがノートに
事件について調べている東京芸大講師の川嶋均さんが昨秋、遺族の家から一冊のノートを発掘しました。当時の取材ではつかむことのできなかった島田さんの胸の内がつづられていました。
「汚穢(おわい)船」と題された随筆は、昭和十三年ごろ、隅田川で糞尿(ふんにょう)を運搬する船を見た思い出話で始まります。「人間が喰(た)べるものと出すもののための労働である」。当時、二十代だった島田青年は、そんな感想を抱きながら、川べりで船を眺めていたのです。石炭も船で運搬されていました。陸地へは人がかごにいれて運んでいたのが、やがて機械が導入されたことに触れ「だんだん労働から人間を必要としなくなる時代の始めのような感じがした」と記しています。
美校時代に描いたそれらの船や千葉・松戸の農民、水戸の海岸の漁民のスケッチはすべて「軍法会議(裁判)で没収されてしまった」とあります。「法律というものはいつでも国家のものであって、庶民のものでないと強く思うのである」
◆ナショナリズムの内実
ノートに記された日付によれば、随筆が書かれたのは一九九〇年代後半。半世紀たっても残る悔しさが生々しく伝わります。
今夏、名古屋市で開かれていた企画展「表現の不自由展・その後」が開催から数日で打ち切りとなりました。旧日本軍の慰安婦を象徴した少女像の展示などに抗議が殺到し、その中には脅迫と思われるものも含まれていました。
近年、憲法や戦争などにまつわる展示や講演会に、行政が「政治的中立性」を理由に後援しなかったり、作品の撤去を要請したりする事例も相次ぎます。戦前の治安維持法とは違い、一種の「空気」によって、意見の分かれる問題について考えたり議論したりする場が縮まっていきかねない風潮に懸念を覚えます。民主主義の足腰の強さにかかわります。
第二次世界大戦が終わった一九四五年、英国人作家ジョージ・オーウェルは「ナショナリズム覚え書き」という随筆で、異論を認めぬような心のこわばりの根源を見つめようとしています。
オーウェルは、すべての人間の活動が監視され、日記を付けることも禁止された全体主義社会を描いた小説「1984」で知られますが、行動の人でもありました。
下級官吏の家に生まれ、名門イートン校を卒業後、英国統治下のインドの一部だったビルマで警官となります。帝国主義に幻滅して職を辞した後は、ロンドンやパリのスラム地区で暮らし、最底辺で生きる人々の苦境をルポルタージュに記しました。スペイン内戦には民兵として身を投じます。
このスペイン内戦でオーウェルは、戦争の記憶はそれぞれの立場で都合良くとらえられ、歴史が改ざんされる危うさを感じます。
「私たちみんなの心にあって」「その思考を誤らせるいくつかの傾向」の正体を突き止めることを目的に随筆は書かれました。ここではナショナリズムの意味は自国を愛することにとどまりません。自国を嫌うことも、他の特定の国に入れ込むことも、さらには平和主義も含まれます。当時、平和主義者を名乗っていた人たちは、必ずしも分け隔てなく暴力に非難を向けているわけではなく、特定の大国に批判を向けていると、オーウェルの目には映っていました。
共通するのは、「個人よりも巨大な何かに仕えているという意識」によって生み出される、「自分が正しい側にいるという揺るぎない信念」です。「巨大な何か」を国家に限らなければ、大きな物語に寄り掛かって安心しようとする心のありようは程度の差こそあれ、多くの人が経験しているのではないでしょうか。
◆小さな物語を自ら紡ぐ
「自由」にしなやかさを取り戻す一歩は、大きな物語の居心地よさになるべく寄り掛からず、小さな物語を自ら紡ぎ出す営みかもしれません。それは例えば隅田川でスケッチしたり、日記に思いを刻んだりするような。
昨日の『東京新聞』に、当時の東電経営陣に無罪判決が下されたことについての連載記事があった。記事の内容は、福島県大熊町にあった双葉病院。今も高線量で帰還困難区域となっている。
2011年3月、双葉病院とその系列の介護施設にいた人たち436人が避難しなければならなくなった。医療設備のない観光バスでの避難、44人が亡くなった。
近くに住んでいた菅野正克さん、裁判を傍聴していた。旧経営陣の3人は、「「無罪は当然」という表情だった」と語っていた。「知らぬ存ぜぬ」を貫き通した旧経営陣。
あの事故で責任をとった者は1人もいない。
現在の日本、支配層の1人が暴走して親子を殺害しても逮捕もされない、森友・加計の問題でも、支配層に捨てられた籠池夫妻だけが起訴され、悪事を働いた者たちはどこ吹く風というように生きている。
支配層は今ややり放題である。万能である。犯罪をおかしても逮捕されない、起訴されても無罪になる。支配層とつながるヘイトスピーチの集団は、警察に守られてヘイトスピーチをまき散らす。
支配層とつながっていればどんな悪事でもゴーサインである。
支配層は全能だ!!今、日本はそういう社会にある。
2011年3月、双葉病院とその系列の介護施設にいた人たち436人が避難しなければならなくなった。医療設備のない観光バスでの避難、44人が亡くなった。
近くに住んでいた菅野正克さん、裁判を傍聴していた。旧経営陣の3人は、「「無罪は当然」という表情だった」と語っていた。「知らぬ存ぜぬ」を貫き通した旧経営陣。
あの事故で責任をとった者は1人もいない。
現在の日本、支配層の1人が暴走して親子を殺害しても逮捕もされない、森友・加計の問題でも、支配層に捨てられた籠池夫妻だけが起訴され、悪事を働いた者たちはどこ吹く風というように生きている。
支配層は今ややり放題である。万能である。犯罪をおかしても逮捕されない、起訴されても無罪になる。支配層とつながるヘイトスピーチの集団は、警察に守られてヘイトスピーチをまき散らす。
支配層とつながっていればどんな悪事でもゴーサインである。
支配層は全能だ!!今、日本はそういう社会にある。
亡くなられた軍事史学者・藤原彰氏の従軍記。藤原彰氏は父が陸軍であったことから、陸軍士官学校に入学、その後は陸軍の中堅将校として中国戦線に。最後は本土決戦のための大隊長として終戦を迎えた。
その経緯が書かれたのが本書である。藤原氏の著書はたくさんあるが、なぜそういう研究をしたのかが、本書を読めばわかる。
『餓死した英霊たち』は、氏が実際に体験した経験をきちんと調べたものだ。日本の陸軍は拙劣な戦い方を兵士に強いた。その一つは、兵站の軽視である。日本陸軍は、前線の兵士に、食糧や武器・弾薬など送るべきものを送っていなかった。したがってそこから二つの問題が発生する。一つは掠奪である。食糧は住民から奪うしかない。しかし日本兵が次から次へと奪っていけば、後から来た兵士には奪うものがなくなってしまう。そうなると、兵士は栄養失調、ひどい場合は餓死せざるを得ない。まさにそうなった。
中隊長であった藤原氏は、実際にそれを体験した。戦争栄養失調症を原因とした戦病死が多数にのぼったのである。また戦傷のために野戦病院に行ったとき、氏は何の治療もされなかったが、そこにいた戦傷病者の兵士たちが次々と亡くなっていくことを知った。戦闘部隊は住民から食糧を掠奪できるが、野戦病院に関わる部隊はそれが出来ず、患者である兵士に食糧を供給できないのである。もちろん医薬品も兵站の一環であるから、兵站軽視の日本軍の場合、医薬品も圧倒的に不足していたのである。
いったい日本陸軍の指導部は、兵士を何と思っていたのだろうか。兵士に満足な食糧さえ与えることができない日本軍が、占領地の住民に安定した生活を保障することなんかあり得なかった。
その日本軍部隊には、今、ネトウヨなどが掲げている「旭日旗」があった。
この本には、なぜ氏が天皇制について研究を行ったのか、その契機も記されている。「天皇陛下のために」といって多くの兵士が亡くなっていった。しかし戦争が終わったとき、天皇はそうした「臣民」のことを考えず、「朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り」(「終戦の詔書」)と「ケロッとしている」(187頁)。それに氏は強烈な違和感をもった。
とても良い本である。
その経緯が書かれたのが本書である。藤原氏の著書はたくさんあるが、なぜそういう研究をしたのかが、本書を読めばわかる。
『餓死した英霊たち』は、氏が実際に体験した経験をきちんと調べたものだ。日本の陸軍は拙劣な戦い方を兵士に強いた。その一つは、兵站の軽視である。日本陸軍は、前線の兵士に、食糧や武器・弾薬など送るべきものを送っていなかった。したがってそこから二つの問題が発生する。一つは掠奪である。食糧は住民から奪うしかない。しかし日本兵が次から次へと奪っていけば、後から来た兵士には奪うものがなくなってしまう。そうなると、兵士は栄養失調、ひどい場合は餓死せざるを得ない。まさにそうなった。
中隊長であった藤原氏は、実際にそれを体験した。戦争栄養失調症を原因とした戦病死が多数にのぼったのである。また戦傷のために野戦病院に行ったとき、氏は何の治療もされなかったが、そこにいた戦傷病者の兵士たちが次々と亡くなっていくことを知った。戦闘部隊は住民から食糧を掠奪できるが、野戦病院に関わる部隊はそれが出来ず、患者である兵士に食糧を供給できないのである。もちろん医薬品も兵站の一環であるから、兵站軽視の日本軍の場合、医薬品も圧倒的に不足していたのである。
いったい日本陸軍の指導部は、兵士を何と思っていたのだろうか。兵士に満足な食糧さえ与えることができない日本軍が、占領地の住民に安定した生活を保障することなんかあり得なかった。
その日本軍部隊には、今、ネトウヨなどが掲げている「旭日旗」があった。
この本には、なぜ氏が天皇制について研究を行ったのか、その契機も記されている。「天皇陛下のために」といって多くの兵士が亡くなっていった。しかし戦争が終わったとき、天皇はそうした「臣民」のことを考えず、「朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り」(「終戦の詔書」)と「ケロッとしている」(187頁)。それに氏は強烈な違和感をもった。
とても良い本である。
昨日、東電の旧経営陣が起訴された裁判に無罪判決が下った。私は当初から、そういう判決が出されるだろうと思っていた。なぜなら、もう裁判所には独立性はないからだ。司法は首相官邸の権力機構の一部となっており、首相の意向と異なる判断は下されないとみていたからだ。
判決には、『原発は絶対的な安全性を求められていない』という個所があるそうだ。そうだろうと思う。安全でなくても原発は稼動させ拡大するという政策は、国策であり。それは同時に核兵器の製造に直結する政策でもあるからだ。
裁判官はもうほとんどが「ヒラ目」ばかりとなり、みずからの出世のためには首相官邸の意向には逆らわないのである。
日本はすでにファシズム国家になっているのだ。あるいは独裁国家に。
判決には、『原発は絶対的な安全性を求められていない』という個所があるそうだ。そうだろうと思う。安全でなくても原発は稼動させ拡大するという政策は、国策であり。それは同時に核兵器の製造に直結する政策でもあるからだ。
裁判官はもうほとんどが「ヒラ目」ばかりとなり、みずからの出世のためには首相官邸の意向には逆らわないのである。
日本はすでにファシズム国家になっているのだ。あるいは独裁国家に。
治安維持法が制定され、多くの共産主義者が獄中に送られた。中には「転向」して獄外に出られた者もいたが、かなり早い段階で、共産主義者は活動が出来ない状態に追い込まれた。
しかしそれでは特高は困るのだ。
警察官僚はじめ、官僚は仕事がなくなるのを怖れる。予算が減らされてしまうし、人員も削られてしまう。
特高は、とにかく治安維持法をつかって何者かをつかまえなければならない、また検察官も同じである。治安維持法体制下、思想検事という分類があった。彼らも、仕事がなくなっては困るのだ。
特高は、獲物はないかと探しまわる。北海道では、子どもたちに作文を書かせていた教員たちが狙われた。子どもに作文を書かせていた、ただそれだけで捕まり、拷問を受け、自分が共産主義者であると認めさせられ、これからは心を入れ替えますと誓約しなければならなくなった。
その教員たちは、共産主義の本なんか読んだこともなかった。しかし彼らは共産主義者だとされた。
教員たちは子どもたちに慕われていたが、以後、教壇に立つことはできなくなった。
この事件は「北海道綴方教育連盟事件」といわれる。
戦後、この時に逮捕拷問された人が「教育出版」という教科書会社に入り、社長にもなった。教育出版は良い教科書を発行し続けた。
だが今、教育出版の教科書は、文科省の意向に沿ったものとなっている。教育出版のものを、選びたくない教科書として、意識ある教員たちは認識している。
時代が戻っている、治安維持法があった時代に・・・・・
しかしそれでは特高は困るのだ。
警察官僚はじめ、官僚は仕事がなくなるのを怖れる。予算が減らされてしまうし、人員も削られてしまう。
特高は、とにかく治安維持法をつかって何者かをつかまえなければならない、また検察官も同じである。治安維持法体制下、思想検事という分類があった。彼らも、仕事がなくなっては困るのだ。
特高は、獲物はないかと探しまわる。北海道では、子どもたちに作文を書かせていた教員たちが狙われた。子どもに作文を書かせていた、ただそれだけで捕まり、拷問を受け、自分が共産主義者であると認めさせられ、これからは心を入れ替えますと誓約しなければならなくなった。
その教員たちは、共産主義の本なんか読んだこともなかった。しかし彼らは共産主義者だとされた。
教員たちは子どもたちに慕われていたが、以後、教壇に立つことはできなくなった。
この事件は「北海道綴方教育連盟事件」といわれる。
戦後、この時に逮捕拷問された人が「教育出版」という教科書会社に入り、社長にもなった。教育出版は良い教科書を発行し続けた。
だが今、教育出版の教科書は、文科省の意向に沿ったものとなっている。教育出版のものを、選びたくない教科書として、意識ある教員たちは認識している。
時代が戻っている、治安維持法があった時代に・・・・・
こういう人を議員とした杉並区民の知性が疑われるよ。こんなあり得ないことを議会で平然と話すこの人の人格を疑う。
「朝鮮通信使は凶悪犯罪者集団」杉並区議、本会議で発言
NHKなんとかという政党の人びとは、議員になってはいけない人がどういう人物であるかを教えているようだ。
「朝鮮通信使は凶悪犯罪者集団」杉並区議、本会議で発言
NHKなんとかという政党の人びとは、議員になってはいけない人がどういう人物であるかを教えているようだ。
発売されて間もなく購入したのに、4刷であった。売れているのだ。
私は歴史については勉強しているが、軍事学はまったくの素人であるから、この本のどれくらいを理解できたかはわからない。しかし、第二次世界大戦においてもっとも死傷者数が多かったのがソ連であるから、独ソ戦は想像できないほどの規模であったことは理解できる。
さてこの本を読み、スターリン体制下のソ連、ナチスドイツ支配下のドイツでは、軍事的合理性よりも独裁者の意向が貫かれ、そのためにムダな戦闘、ムダな死傷者が出されたことが予想されることである。またソ連では多くの将校が粛清されたことにより、対独戦争に支障を来すほどであったことが記される。独裁者の跳梁を許さないことが、歴史の教訓であることは、戦争においても同様なのである。
ヒトラーは、ドイツ国民の経済生活を戦時下でも維持すべく、周辺諸国からの略奪や労働力の簒奪を展開したことが記される。ドイツ国民も、ナチスドイツ、ヒトラーの「共犯者」であること、またドイツ国防軍は戦後、戦争の責任をヒトラーに押しつけていたが、もちろんドイツ国防軍も「共犯者」であったことが暴露される。
読んでいて、戦争というものがムダであること、バカらしいものであることがよく理解できた。
多くの箇所で赤線を引いたが、戦闘の詳細についてはあまり関心が無いが、それらを通して出された結論については、教えられるところが多かった。
私は歴史については勉強しているが、軍事学はまったくの素人であるから、この本のどれくらいを理解できたかはわからない。しかし、第二次世界大戦においてもっとも死傷者数が多かったのがソ連であるから、独ソ戦は想像できないほどの規模であったことは理解できる。
さてこの本を読み、スターリン体制下のソ連、ナチスドイツ支配下のドイツでは、軍事的合理性よりも独裁者の意向が貫かれ、そのためにムダな戦闘、ムダな死傷者が出されたことが予想されることである。またソ連では多くの将校が粛清されたことにより、対独戦争に支障を来すほどであったことが記される。独裁者の跳梁を許さないことが、歴史の教訓であることは、戦争においても同様なのである。
ヒトラーは、ドイツ国民の経済生活を戦時下でも維持すべく、周辺諸国からの略奪や労働力の簒奪を展開したことが記される。ドイツ国民も、ナチスドイツ、ヒトラーの「共犯者」であること、またドイツ国防軍は戦後、戦争の責任をヒトラーに押しつけていたが、もちろんドイツ国防軍も「共犯者」であったことが暴露される。
読んでいて、戦争というものがムダであること、バカらしいものであることがよく理解できた。
多くの箇所で赤線を引いたが、戦闘の詳細についてはあまり関心が無いが、それらを通して出された結論については、教えられるところが多かった。
元国税が暴露。日本企業の内部留保が増えると社員の給料が減る訳
この背景には、日本の政財界による労働組合つぶし、総評を解体し、旧同盟系が主導権を握る連合がでいたためである。
賃金など労働条件の改善は、労働者自身が闘わなければならないのに・・・。
北海道などで、首相の選挙演説にヤジを飛ばした人が排除された事例が報じられた。しかし、その法的根拠は明らかにされないままだ。
そしたら、出て来た出て来た。警察庁からの指示文書。
道警・首相ヤジ排除問題に新事実 「接近を阻止」は警察庁指示
そしたら、出て来た出て来た。警察庁からの指示文書。
道警・首相ヤジ排除問題に新事実 「接近を阻止」は警察庁指示
千葉県の台風被害からの復興がすごく遅れているようだ。とりわけ千葉県や政府の対応が遅れたこと、いまでもきちんと為されていない。
また『東京新聞』は千葉県などの被災を一面で報じ続けていたが、『朝日』はそうではなかったことを、今日の『東京新聞』のコラムで斎藤実奈子さんが指摘していた。
政治もメディアも、おかしくなっているということだ。
なぜ県や市町村の対応が遅れるかと云えば、行革という公務員の人減らしに大きな原因がある。
「役所の職員が来るのが遅い」のはなぜ?~自然災害が明らかにする人員不足
この問題は、東日本大震災でも指摘されていたのに、その後も公務員減らしは続いている。何ということだ!!
また『東京新聞』は千葉県などの被災を一面で報じ続けていたが、『朝日』はそうではなかったことを、今日の『東京新聞』のコラムで斎藤実奈子さんが指摘していた。
政治もメディアも、おかしくなっているということだ。
なぜ県や市町村の対応が遅れるかと云えば、行革という公務員の人減らしに大きな原因がある。
「役所の職員が来るのが遅い」のはなぜ?~自然災害が明らかにする人員不足
この問題は、東日本大震災でも指摘されていたのに、その後も公務員減らしは続いている。何ということだ!!
9月15日は名古屋に行った。大杉栄、伊藤野枝とともに、1923年9月16日、虐殺された橘宗一の墓前祭に参加するためであった。
さてそこへ向かう途中、『週刊金曜日』に紹介されていた『夢みる名古屋』(矢部史郎、現代書館、2019年)を読んだ。
一応歴史を研究している私としては、名古屋市の近代的「発展」については、知っておかなければと思い購入したのであるが、なかなか面白かった。
著者の矢部氏は、2011年の原発事故のあと、春日井市に引っ越したそうだ。春日井市は名古屋周辺の地であり、矢部氏は名古屋の「負の側面」を縦横に論じる。
まず100㍍道路。名古屋市民はこの道路建設を英断だと認識する者が多いようだが、氏はこれはナチスの「廃墟価値の理論」、すなわち「建築物の美とは、その建物が数千年先に廃墟となったときに、未来の人びとがそれを見て過去の文明の偉大さを感じとるようなものでなければならない」に沿ったもので、現にナチスドイツは120㍍道路を計画したそうだ。「名古屋の都市計画者たちは、敗戦を経験してもなお枢軸国の美学を抱きつづけた」と、著者は指摘する。
100㍍道路を渡るには当然時間がかかる。だから名古屋ではハイヒールを履く人は少ないそうだ。また道路の真ん中にわたりきれない人のための空間があるが、それはまったく無味乾燥なところだという。
さらに名古屋は、狭い道がなく、すべての道路が広く車が通行できるようになっている。そこに住む人々は、近所の人との語り合いも出来ないと指摘する。
そして全国の都市は、名古屋を見本にしている。人びとが人間らしく生活できない都市。自動車産業を中心とした産業都市。そこは人間が落ち着いて生活できる空間ではない。
というようなことが記されている。なかなか刺激的な内容で、名古屋の問題にとどまらない普遍性をもっている。ただここは中途半端だなと思うところもあった。
さてそこへ向かう途中、『週刊金曜日』に紹介されていた『夢みる名古屋』(矢部史郎、現代書館、2019年)を読んだ。
一応歴史を研究している私としては、名古屋市の近代的「発展」については、知っておかなければと思い購入したのであるが、なかなか面白かった。
著者の矢部氏は、2011年の原発事故のあと、春日井市に引っ越したそうだ。春日井市は名古屋周辺の地であり、矢部氏は名古屋の「負の側面」を縦横に論じる。
まず100㍍道路。名古屋市民はこの道路建設を英断だと認識する者が多いようだが、氏はこれはナチスの「廃墟価値の理論」、すなわち「建築物の美とは、その建物が数千年先に廃墟となったときに、未来の人びとがそれを見て過去の文明の偉大さを感じとるようなものでなければならない」に沿ったもので、現にナチスドイツは120㍍道路を計画したそうだ。「名古屋の都市計画者たちは、敗戦を経験してもなお枢軸国の美学を抱きつづけた」と、著者は指摘する。
100㍍道路を渡るには当然時間がかかる。だから名古屋ではハイヒールを履く人は少ないそうだ。また道路の真ん中にわたりきれない人のための空間があるが、それはまったく無味乾燥なところだという。
さらに名古屋は、狭い道がなく、すべての道路が広く車が通行できるようになっている。そこに住む人々は、近所の人との語り合いも出来ないと指摘する。
そして全国の都市は、名古屋を見本にしている。人びとが人間らしく生活できない都市。自動車産業を中心とした産業都市。そこは人間が落ち着いて生活できる空間ではない。
というようなことが記されている。なかなか刺激的な内容で、名古屋の問題にとどまらない普遍性をもっている。ただここは中途半端だなと思うところもあった。