窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

吉野ヶ里遺跡⑥-中のムラ

2010年10月21日 | 史跡めぐり


  中のムラは、北内郭で行われる政治や祭祀で使う様々なもの、つまり絹織物や酒、祭器などを司祭者たちが作っていた場所と考えられています。



  養蚕(写真左)と機織機(写真右)です。

  次回は税や武器を納めた倉庫と交易を行った市についてです。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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吉野ヶ里遺跡⑤-北墳丘墓

2010年10月20日 | 史跡めぐり


  環濠集落歴代の王の墓と考えられています。発掘調査で14基の甕棺が発見されており、中に入ると本物を見ることができます。墳丘墓は、水城でもご紹介しました「版築」という技法をもって頑丈に突き固められた人工の丘です。しかし、紀元前1世紀以降は墓として使われず、専ら祖先の霊を祀る神聖な場所として扱われていたようです。なぜ墓として使われなくなったのかは分かりません。



  祀堂。祖先の霊に、供物をささげ祭祀を行うためのお堂と考えられています。冒頭の写真で、墳丘墓の前に柱が立っていますが、これは立柱といい、祖先の霊が宿ると考えられていたようです。



  北墳丘墓から、北内郭を観たところ。説明によると、北墳丘墓と祀堂、北内郭の大祭殿は南北一直線に並んでおり、これを聖なる軸線と呼んでいるそうです。



  しかし、そうだとすれば、建物の向き、墳丘墓の中心線をきちんと揃えて造りそうなものです(画像をクリックすると拡大画像が見られます)。素人の僕に分かることではありませんが。



  さて、墳丘墓内の甕棺からは、有柄把頭飾銅剣(ゆうへいはとうしょくどうけん)やガラス管玉が副葬品として発見されています。「有柄把頭飾銅剣」というのは文字通り、柄まで青銅でできた剣という意味です。埋葬された人物の身分の高さが窺えます。



  中国文献の記述や発掘調査の結果を元に、埋葬状態を再現したものです。

  次回は中のムラについてです。

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「よみがえり」が、かながわリサイクル製品に認定されました

2010年10月19日 | リサイクル軍手の世界


  発売以来、ご好評いただいております「特殊紡績手袋 よみがえり」と「特殊紡績手袋 よみがぁ~る」が、第1回かながわリサイクル認定製品の認定を受けました。



  第1回の認定製品は7社、14製品。品目別としては、

園芸用品:6製品
堆肥・肥料:4製品
食器類:3製品
作業手袋:1製品 ←「よみがえり」と「よみがぁ~る」で1製品の扱いです

となりました。



  本日、神奈川県庁本庁舎第3応接室において、松沢知事より認定証の授与がなされました。右が松沢知事、左が当社代表取締役社長、中野博恭です。



  松沢知事からは、「古着をどうやって糸に紡ぎなおすのか」、「溶かして作るわけじゃないから大変な工程でしょう」、「コストパフォーマンスはどうなの?」など「特殊紡績手袋 よみがえり」と「特殊紡績手袋 よみがぁ~る」について、次々とご質問がありました。そして、徐に「よみがえり」をはめると、その丈夫さに感心しておられたようでした。



  また、「よみがえり」の環境パフォーマンスについては、「よみがえりが20万双を突破しました」でもご紹介しました通りで、当ブログをご覧の皆様には既におなじみのことと思います。



  今回認定された14製品については、10月22日より1週間、神奈川県庁新庁舎1階で展示されるとの事です。また、近く県のホームページでも情報がご覧いただけるようになります。



  因みに、神奈川県庁本庁舎は現存する自治体庁舎としては大阪府庁舎に次いで古く、当社が創業する前年、昭和8年(1933年)のものだそうです。また、今回認定証授与式が行われた第3応接室は、古くは天皇陛下をお迎えする貴賓室として使われた由緒ある部屋で、東京オリンピックの際の聖火もここで1泊したのだそうです。

  引き続き、「特殊紡績手袋 よみがえり」と「特殊紡績手袋 よみがぁ~る」を宜しくお願い致します。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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吉野ヶ里遺跡④-北内郭

2010年10月18日 | 史跡めぐり


  環濠集落の中で最も重要とされた場所で、祭祀や政治を執り行う場所でした。入口の塀は真っ直ぐには侵入できないよう、鍵型に折れ曲がり迷路のようになっています。これは城郭建築などでは良く見られる構造ですが、このこと一つとってもここ北内郭が重要な区域であったことが分かります。

  さらに、今城柵ではなく塀と書きましたが、上の写真で周囲を囲んでいるのがこれまでの丸太の柵ではなく、隙間なく並べられた板塀であるのにお気づきでしょうか。重要かつ神聖な場所であるということで、復元時このようにしたとのことです。北内郭は、こうした板塀によって二重に囲まれていました。



  直径50cmの柱で支え、高さが16mもある巨大な主祭殿。



  最上階では巫女が祖先の霊と交信し、そのお告げを従者が階下の王達に告げます。



  階下では、王や吉野ヶ里の支配下である周辺のムラから集まった長達がここで祖先の霊を祭ったり、政治を執り行ったりします。

 

  高床式住居。神聖な巫女が居住していたと考えられています。



  東祭殿。夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上に建てられており、太陽の動きを知るための建物と考えられています。ここで季節ごとの祭祀が行われていたと考えられており、また何度も立て替えられた跡があることから、祭りの度に立て替えられたのではないかとも考えられています。

  次回は北墳丘墓です。

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吉野ヶ里遺跡③-南内郭

2010年10月17日 | 史跡めぐり


  南内郭は、竪穴式住居跡と共に、当時は貴重な鉄製品が発見されていることから、王や大人など支配者層の居住区だったのではないかと考えられています。



  南内郭は防御のためと、王の権威を象徴する大きな物見櫓があり、櫓からは集落が一望できます。



  南内郭を囲むように竪穴式住居が配列され、これらは身分の高い大人(たいじん)の住居跡であったであろうと考えられています。

 

  さらに南内郭には、特に柵で区切られた区域があり、そこは王とその妻や家族の住居跡であったと考えられています。身分の高い人たちが果たして自宅とはいえ、こんな貧相な格好をしていたのか、個人的には疑問です。



  さらに集会の館や、

 

  共同で煮炊きを行ったと思われる、煮炊屋がありました。



  南内郭の南には櫓門があり、やはり厳重な警備がなされていた地区であるとが分かります。

  次回は政治および祭祀の中心であった北内郭です。

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吉野ヶ里遺跡②

2010年10月16日 | 史跡めぐり
吉野ヶ里遺跡


  2年振りに吉野ヶ里遺跡を訪れました。前回は僕のブログのスキルが足りず、詳しくご紹介できなかったので、今回は数回に分けて少し細かくご紹介していきたいと思います。



  吉野ヶ里遺跡は紀元前3世紀頃から紀元3世紀頃まで、およそ600年に渡り栄えたとされる、発掘されている中では弥生時代最大規模の環濠集落です。その大きさはおよそ50ヘクタール、福岡ヤフージャパンドームが6個納まるほどです。1992年に国営吉野ヶ里歴史公園として、遺跡の上に公園が整備され、考古学的知見に基づき宮殿、櫓、竪穴式住居、高床式倉庫など数多くの建造物が再建されています(上の画像をクリックすると拡大画像を見ることができます)。

  遺跡からは支配者層の居住区である南内郭、祭祀や政治の中心である北内郭の外、墳丘墓、村、倉庫群、交易を行う市などが発見されており、まさに一つのクニのようです。冒頭の画像の通り、広大な敷地に数多く再建された建造物の中を歩いていると、まるで弥生時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。



  入口は、環濠集落の東門にあたるところからです。門の上に、木でできた鳥がとまっていますが、これは弥生時代に鳥が穀物の霊を運んできたり、悪霊から守ってくれると考えられていたことによるそうです。古代日本における太陽信仰、鳥信仰については、かつてご紹介した「龍の文明、太陽の文明」が興味深いです。



  逆茂木・乱杭。城柵の後ろにV字型の濠を廻らし、そのまた後ろに先を尖らせた杭が逆さに打ち込んであります。敵の侵入を防ぐためと考えられますが、相手が騎兵で、馬が濠を越えてきたのでもない限り、こんなものが果たして防衛の役に立ったのか疑問です。因みに、弥生時代に日本に馬はいなかったというのが定説のようです。

  次回は、王や支配者層が居住していたとされる、南内郭についてご紹介します。

吉野ヶ里歴史公園

佐賀県神埼郡三田川町大字田手1843



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買ったばかりの自転車に...

2010年10月15日 | その他


  カマキリが卵を産みつけていました。

  秋ですね...

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味処 なか野 4

2010年10月15日 | 食べ歩きデータベース
  このブログをご覧になられている方でしたら、最早ご紹介するまでもないと思います。「窪田恭史のリサイクルライフ」最多登場、「味処 なか野」さんです。過去の記事はリンクからご覧ください。

  今回、「味処 なか野」さんとナカノ株式会社とは何か関係があるのですが、とのご質問をいただきましたのでお答えしますと、直接の関係はありません。単に私の友人の紹介で13年前にここを初めて訪れ、以来、僕が福岡に来るたびにお邪魔しているというだけです。



  さて、今回はまず目の前で海栗をむいていただいたところから始まり、



  まだまだ旬、カマスの塩焼き。「かますの焼き食い、一升飯」というように、カマスといえば塩焼きか干物です。



  イカ造り、カワハギ、〆鰯です。カワハギはもちろん肝つき。肝を醤油に溶いて刺身をいただきます。



  当ブログをご覧になられている方ならご存知だと思います、僕の定番、地鶏焼きです。これは絶対に外せませんし、外したこともありません。今回も絶品でした。

  アラ、ふく、牡蠣などなど、福岡はこれからが良い季節です。

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第1回YMSを開催しました

2010年10月14日 | YMS情報


  去る10月13日、僕も発起人に名を連ねておりますYMSの第1回セミナーが開催されました。

  YMSは横浜市経済観光局が主催する、「みなとみらい次世代経営者スクール」(来年1月に第7期が開催されます)の修了生による自主勉強会を母体として誕生した、「参加者が自由に課題を設定できる学習の場と企業人交流の場を提供する」ことを目的とした組織です。可能な限り参加者がお互いに持っている人的ネットワークを活用し、オープンに、低負担で気楽に集うことを目指しています。

  記念すべき第1回は、下川社会保険労務士事務所代表の下川伸二先生を講師にお招きし、「就業規則を経営に活かす!(あなたの会社を守る就業規則!)」と題して、約1時間強のご講義をいただきました。



  就業規則は会社としても比較的意識しているつもりでしたが、お話を伺って今一度細かいところを点検してみる必要を感じました。



  そして終了後は「企業人交流の場」の世界。友人や社員なども興味に応じて好きな時に参加できる、しなやかな組織を目指しています。

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呼子 ふく萬坊

2010年10月14日 | 食べ歩きデータベース


  土曜日は、博多駅よりバスに揺られること2時間、およそ2年ぶりに呼子へ行ってきました。



  途中、激しい雨に見舞われながらも、幸い到着した頃には晴れ間がのぞきました。三連休初日でしたが、思ったより静かな呼子でした。



  前回行ったのは「いか本家」でしたが、今回はほぼ隣接する「ふく萬坊」へ。いかシュウマイの元祖といわれる「萬坊」の姉妹店です。



 お店は広く、きれいで、港を眺めながら食事ができます。外のテラスで潮風に当たりながら食事することもできます。



  その元祖といわれる、いかシューマイ。以前食べたものより、旨みがあり美味しかったです。



  メインのいか造りと後造りのゲソ揚げ。



  ふく萬坊の名前が示すとおり、こちらではイカだけでなくフグも扱っています。因みに九州ではフクといいます。写真左は、ビールにセットでついてくる唐揚げ、右は鰭酒です。

  全体として悪くなかったのですが、ゲソの揚げや鰭のあぶり加減など細かい部分ががもう少ししっかりしていれば良かったとおもいました。

ふく萬坊

佐賀県唐津市呼子町呼子3079



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