都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
読売日本交響楽団 「ブルックナー:交響曲第6番」他 12/15
読売日本交響楽団第444回定期演奏会
スクロヴァチェフスキ 管弦楽のための協奏曲
ブルックナー 交響曲第6番
指揮 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
演奏 読売日本交響楽団
2005/12/15 19:00 サントリーホール2階
読売日響の次期常任指揮者に就任した、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキによる定期演奏会。彼の魅力を味わうことの出来るプログラムでしょうか。記念すべき演奏会とも言えそうです。
一曲目は「管弦楽のための協奏曲」。こう書くと、すぐさまバルトークの音楽を思い浮かべてしまいますが、この日演奏されたのは、指揮のスクロヴァチェフスキ自らが作曲したもの。全2楽章、約30分。やや平面的ながらも、彫りの深い音楽は、管弦楽の妙味を存分に堪能させてくれます。もちろん、聴き応えがあったのは、第2楽章(アダージョ)の「アントン・ブルックナーの昇天」(!)です。文字通り、ブルックナーに捧げられた音楽ですが、弦と管がシンプルに重ね合いながら、クライマックスを迎え、また消え行くという、どこかブルックナー風の流れを感じることの出来る内容に仕上がっています。トロンボーンの咆哮と、ヴァイオリンの痛切なソロ、そして時折聴かれる、祈るような音の塊。スクロヴァチェフスキの、全く揺らぐことのない明晰な指揮が、興味深いこの音楽を、豊かな表情でもって聴かせてくれました。これは見事だったと思います。(ちなみにこの曲は「改訂版」にて演奏されました。その辺もブルックナー風?…。)
メインはブルックナーの第6番です。スクロヴァチェフスキの手に掛かると、ブルックナーの宗教性やら大自然云々と言うような、どこか勿体ぶった雰囲気は、キレイサッパリと消え去ります。彼の目指すもの、それは、決して音楽から飛躍し過ぎない、文学性やら情緒性などを排した、音楽そのものの面白さなのでしょうか。特徴的なフレーズを掘り起こしたり、響きのバランスを、半ば驚かされるくらい個性的に仕上げる。実は私、スクロヴァチェフスキのブルックナーはやや苦手としているのですが、そのような好き嫌いを通り越すほどに、突き詰められた、独創的とも言えるアプローチで曲を楽しませてくれます。「この曲にこんな響きがあったのか。」そう思わせることの連続です。
第2楽章が圧巻でした。ここでスクロヴァチェフスキは、テンポをグッと落とし、オーケストラの各パートの音を幾重にも合わせていって、クライマックスへと音楽を進めていきます。出しゃばることのない抑制的なホルン。幾分即物的な木管群。そしてスクロヴァチェフスキの棒に捲し上げられるかのように、逞しく、また大きく響く弦のうねり。それらがゆっくりと、ゆっくりと、一つの大河になるかのようにまとまっていく。これほどこの楽章が、巨大に、また威厳をもって聴かれたのは初めてです。勿論、浪花節的に、曲へ没入していくわけでもない。思わず涙腺が緩んでしまいそうになりました。この楽章を聴いただけでも、この日のコンサートは心から満足出来た思えるほどです。
極限にまで遅めに進められたコーダ。スクロヴァチェフスキの音楽は、作為的ともとれる表現が、不思議な説得力を帯びてきます。終演後のカーテンコールは、彼の常任指揮者就任を祝うかのような雰囲気で、非常に華々しいものでした。(早めのブラボーが残念でした…。)こんなに力のある、そして陳腐な言葉で恐縮ですが、面白い音楽を作る方をシェフに迎えた読売日響。この日のオーケストラの状態は、あまり良いものとは思えませんでしたが、今後のこのコンビに大いに期待したいと思わせるコンサートでした。
スクロヴァチェフスキ 管弦楽のための協奏曲
ブルックナー 交響曲第6番
指揮 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
演奏 読売日本交響楽団
2005/12/15 19:00 サントリーホール2階
読売日響の次期常任指揮者に就任した、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキによる定期演奏会。彼の魅力を味わうことの出来るプログラムでしょうか。記念すべき演奏会とも言えそうです。
一曲目は「管弦楽のための協奏曲」。こう書くと、すぐさまバルトークの音楽を思い浮かべてしまいますが、この日演奏されたのは、指揮のスクロヴァチェフスキ自らが作曲したもの。全2楽章、約30分。やや平面的ながらも、彫りの深い音楽は、管弦楽の妙味を存分に堪能させてくれます。もちろん、聴き応えがあったのは、第2楽章(アダージョ)の「アントン・ブルックナーの昇天」(!)です。文字通り、ブルックナーに捧げられた音楽ですが、弦と管がシンプルに重ね合いながら、クライマックスを迎え、また消え行くという、どこかブルックナー風の流れを感じることの出来る内容に仕上がっています。トロンボーンの咆哮と、ヴァイオリンの痛切なソロ、そして時折聴かれる、祈るような音の塊。スクロヴァチェフスキの、全く揺らぐことのない明晰な指揮が、興味深いこの音楽を、豊かな表情でもって聴かせてくれました。これは見事だったと思います。(ちなみにこの曲は「改訂版」にて演奏されました。その辺もブルックナー風?…。)
メインはブルックナーの第6番です。スクロヴァチェフスキの手に掛かると、ブルックナーの宗教性やら大自然云々と言うような、どこか勿体ぶった雰囲気は、キレイサッパリと消え去ります。彼の目指すもの、それは、決して音楽から飛躍し過ぎない、文学性やら情緒性などを排した、音楽そのものの面白さなのでしょうか。特徴的なフレーズを掘り起こしたり、響きのバランスを、半ば驚かされるくらい個性的に仕上げる。実は私、スクロヴァチェフスキのブルックナーはやや苦手としているのですが、そのような好き嫌いを通り越すほどに、突き詰められた、独創的とも言えるアプローチで曲を楽しませてくれます。「この曲にこんな響きがあったのか。」そう思わせることの連続です。
第2楽章が圧巻でした。ここでスクロヴァチェフスキは、テンポをグッと落とし、オーケストラの各パートの音を幾重にも合わせていって、クライマックスへと音楽を進めていきます。出しゃばることのない抑制的なホルン。幾分即物的な木管群。そしてスクロヴァチェフスキの棒に捲し上げられるかのように、逞しく、また大きく響く弦のうねり。それらがゆっくりと、ゆっくりと、一つの大河になるかのようにまとまっていく。これほどこの楽章が、巨大に、また威厳をもって聴かれたのは初めてです。勿論、浪花節的に、曲へ没入していくわけでもない。思わず涙腺が緩んでしまいそうになりました。この楽章を聴いただけでも、この日のコンサートは心から満足出来た思えるほどです。
極限にまで遅めに進められたコーダ。スクロヴァチェフスキの音楽は、作為的ともとれる表現が、不思議な説得力を帯びてきます。終演後のカーテンコールは、彼の常任指揮者就任を祝うかのような雰囲気で、非常に華々しいものでした。(早めのブラボーが残念でした…。)こんなに力のある、そして陳腐な言葉で恐縮ですが、面白い音楽を作る方をシェフに迎えた読売日響。この日のオーケストラの状態は、あまり良いものとは思えませんでしたが、今後のこのコンビに大いに期待したいと思わせるコンサートでした。
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